麻辣湯の行列から考えた、生鮮食品スーパーの新しい可能性
いつも行列ができている麻辣湯の店がある。
前を通るたびに気にはなっていたが、いつも人が並んでいるので、なかなか入る機会がなかった。ところが今日、その店の前を通ると、珍しく誰も並んでいなかった。
これは入るしかない。
そう思って店内に入った。
外には行列がなかったものの、店内はかなり賑わっていた。ほぼ満席に近い状態だったが、運よく席が空いていた。
入ってみて、まず驚いたのは女性客の多さだった。
麻辣湯というと、辛い、痺れる、刺激が強いという印象がある。どちらかというと、辛いもの好きの人が食べる料理というイメージを持っていた。
しかし、店内を見渡すと、ほとんどが女性客だった。
一人で来ている人もいれば、友人同士で来ている人もいる。
その理由は、店の仕組みを見てすぐにわかった。
この店は、単に辛いスープ料理を出しているのではない。
自分で好きな具材を選び、自分好みの一杯を作る体験を提供している店だった。
まず、ショーケースの中から好きな具材を選ぶ。
野菜、きのこ、練り物、豆腐系のものなど、50種類以上はありそうな具材が並んでいる。
しかも、見た目がとてもカラフルだった。
赤、緑、白、黄色。
見ているだけでも楽しい。
自分でトングを持ち、好きな具材をボウルに入れていく。
そして、重さを量ってもらう。
1g単位で価格が決まる仕組みである。
必要な分だけ選べる。
少しだけ試してみることもできる。
野菜を多めにすることもできる。
練り物を入れて満足感を出すこともできる。
さらに、肉などは別途オーダーできる。
基本の麺は春雨だが、中華麺など他の麺も選べる。
辛さも1辛から10辛まで選べる。
これなら女性客が多いのも納得できる。
春雨を選べば、普通のラーメンよりも軽く感じる。
野菜を多く入れれば、罪悪感も少ない。
辛いものを食べているのに、どこかヘルシーな食事をしているような感覚になる。
しかも、毎回同じものを食べる必要がない。
今日は野菜多めにしよう。
今日は少し辛めにしよう。
今日は肉を足してしっかり食べよう。
今日は春雨だけで軽く済ませよう。
その日の気分や体調に合わせて、自分なりの一杯を作ることができる。
これは、ラーメン店とはかなり違う。
ラーメン店でも、辛さやトッピングを選べる店はある。
しかし、基本的には店が完成品を提供し、お客はその中から選ぶ形である。
一方、麻辣湯は、お客が料理づくりに参加している。
商品を食べる前から、すでに体験が始まっている。
ここに、この業態の面白さがある。
ただし、さらに興味深いのは、麻辣湯が「自由に選べる」ようでいて、実はかなり店側にコントロールされている点である。
具材は自由に選べる。
麺も選べる。
辛さも選べる。
しかし、基本のスープは決まっている。
調理工程もある程度標準化されている。
並んでいる具材も、基本的には麻辣湯に合うものが選ばれている。
つまり、お客は「自分で選んだ」という満足感を得られる。
一方で、店側は味のブレをかなり抑えることができる。
これは、とてもよく考えられた業態だと思った。
この体験をして、私は20年以上前に上海で経験したことを思い出した。
当時、中国の方に、市場のようなレストランへ連れて行ってもらったことがある。そこでは、魚、肉、野菜、海鮮などの食材がずらりと並んでいて、自分で素材を選び、それを店に渡して料理してもらう仕組みだった。
いかにも中国らしい、活気のある店だった。
その店には2回行った。
最初に行ったときは、中国語も話せず、勝手もよくわからなかった。
どの素材を選べばいいのか。
どの素材を組み合わせればいいのか。
どんな料理方法を頼めばいいのか。
まったくわからないまま、適当に具材を選んで料理してもらった。
出てきた料理を食べてみると、正直、あまりおいしくなかった。
素材が悪かったわけではないと思う。
店が悪かったわけでもないと思う。
ただ、こちらに選ぶ力がなかった。
素材の組み合わせも、調理方法の指示も適切ではなかったのだろう。
ところが、別の日に中華料理のシェフを連れて、その店に行ったときは、まったく違った。
彼は、並んでいる素材を見ながら、迷いなく選んでいった。
そして、店の人に調理方法を指示していた。
これは炒めた方がいい。
これはスープに向いている。
これはこういう味付けが合う。
これは一緒に使うとおいしい。
そんな判断をしながら、料理を組み立てていた。
そして出てきた料理を食べると、驚くほどおいしかった。
同じ店である。
同じような食材である。
同じ厨房である。
しかし、選ぶ人の知識と調理指示によって、料理の満足度はまったく違った。
この体験は、今でも強く印象に残っている。
自由度が高い料理は、当たると感動が大きい。
しかし、外すリスクも大きい。
素材を選べる。
調理方法も選べる。
味付けも幅広い。
これはとても魅力的である。
しかし、その自由度を楽しむには、ある程度の知識や経験が必要になる。
その点で、麻辣湯は非常によくできている。
上海で体験した市場型レストランは、自由度が高い分、味のブレも大きかった。
一方、麻辣湯は、そこまで自由ではない。
スープの方向性は決まっている。
辛さも段階で選ぶ。
具材は多いが、基本的には麻辣湯に合うものが並んでいる。
調理工程も標準化されている。
だから、お客は選ぶ楽しさを感じながらも、大きく失敗しにくい。
言い方を変えると、麻辣湯は「制御された自由」を提供している業態である。
ここが日本で受け入れられやすい理由ではないかと思う。
日本の外食は、完成度の高い商品を提供する文化が強い。
ラーメンも、うどんも、寿司も、定食も、基本は店側が設計したものを食べる。
その一方で、最近は「自分で選びたい」というニーズも強くなっている。
サラダ専門店、カスタム弁当、トッピングを選べるカレーや麺類なども増えている。
ただ、自由にしすぎると失敗しやすい。
店側が決めすぎると体験価値が弱くなる。
麻辣湯は、その中間にある。
選ぶ楽しさと、外しにくい安心感。
このバランスがとても上手い。
そして、この考え方は、生鮮食品スーパーにも応用できるのではないかと思った。
飲食店の料理を通じて、食材を知ることは意外と多い。
自分で選ぶだけでは、知らない食材に手を伸ばす機会は少ない。
しかし、知人が薦めてくれた料理や、店主から出していただいた料理をきっかけに、新しい食材を知ることがある。
たとえば以前、中華料理店の店主から空心菜の炒めものをごちそうになったことがある。
最近では空心菜もそれほど珍しくないかもしれないが、当時の私にとっては初めて食べる野菜だった。
中華料理店の強い火力でさっと炒めた空心菜は、味付け自体はとてもシンプルだった。
しかし、シャキッとした食感と青菜の香りがあり、とてもおいしかった。
それからしばらくして、八百屋やスーパーで空心菜を見かけた時、私は自然と手に取るようになった。
一度おいしい状態を知っていたからである。
もちろん家庭の火力では、店とまったく同じ味にはならない。
それでも「あの料理はこういうおいしさだった」という基準があるから、自分でも作ってみようと思えた。
食材は、知識だけではなかなか買われない。
一度おいしく食べた経験があるから、売場で見かけた時に「買ってみよう」と思えるのだ。
これは魚でも肉でも野菜でも同じだと思う。
スーパーの生鮮売場には、本来、とても魅力的な食材が並んでいる。
魚売場に行けば、名前を知らない魚がある。
旬の魚もある。
地元で獲れた魚もある。
鮮度のよさそうなものもある。
しかし、名前を知らない魚は買いづらい。
この魚はどんな味なのか。
刺身で食べられるのか。
焼いた方がいいのか。
煮付けに向いているのか。
骨は多いのか。
それがわからないと、結局いつもの魚を買ってしまう。
肉も同じである。
知らない部位を見ると、どう料理すればいいのかわからない。
焼くのか、煮込むのか。
硬いのか、柔らかいのか。
脂が多いのか、赤身なのか。
野菜も同じで、珍しい野菜や旬の野菜が並んでいても、使い方がわからなければ手が伸びにくい。
生鮮品が売れにくい理由は、単に価格が高いからだけではないと思う。
お客様が、その食材を知らないから買えない。
料理方法を知らないから買えない。
味の基準がないから買えない。
知っている料理であれば、スマホで作り方を調べて、自分で作ることができる。
カレー、肉じゃが、味噌汁、焼き魚、野菜炒め。
こうした料理には、自分なりの味の基準がある。
だから、レシピを見て作っても判断ができる。
少し味が薄い。
火を入れすぎた。
これは自分の好みではない。
次はこうしてみよう。
そうやって修正できる。
しかし、知らない素材の料理は違う。
そもそも、どういう味が正解なのかわからない。
この食感で合っているのか。
この香りが普通なのか。
この苦味は素材の特徴なのか、調理ミスなのか。
判断するものさしがない。
だから、知らない素材を自分で買って、自分で調理しようとはなかなか思わない。
そう考えると、生鮮食品スーパーに必要なのは、単なるレシピ提案だけでは足りないのかもしれない。
必要なのは、まず「おいしい状態」を体験してもらうことだと思う。
この魚は、塩焼きにするとこういう味になる。
この肉の部位は、煮込むとこんなに柔らかくなる。
この野菜は、炒めるとこんなにおいしい。
それを一度食べれば、知らない食材が、知っている食材に変わる。
食べたことがある。
おいしかった。
調理方法もわかった。
家でも作ってみよう。
この流れができれば、購買のハードルは大きく下がる。
だから、スーパーの生鮮売場とレストランがもっと近づいてもいいのではないかと思う。
例えば、鮮魚売場に並んでいる魚を選び、その場で調理してもらう。
刺身、塩焼き、煮付け、唐揚げなど、調理方法はいくつかに限定する。
お客様は魚を選び、調理方法を選ぶ。
店側は標準化された調理で提供する。
食べておいしいと思えば、帰りに同じ魚を買って帰ることができる。
下処理もしてもらえる。
家庭用の簡単なレシピももらえる。
肉売場でも同じことができる。
知らない部位を、まず店内で料理として食べてもらう。
牛すね肉の煮込み、豚肩ロースの低温調理、鶏むね肉のしっとり蒸し、ホルモンの味噌炒め。
食べておいしさがわかれば、その部位を買う理由ができる。
野菜も同じである。
旬の野菜を、蒸し野菜、スープ、炒め物、サラダなどで食べてもらう。
珍しい野菜も、まず料理として体験してもらう。
食べ方がわかれば、買いやすくなる。
これは単なるレストラン併設ではない。
食材の体験販売である。
スーパーは、これまで食材を並べて売ってきた。
もちろん、POPで説明したり、レシピカードを置いたり、試食販売をしたりする取り組みはある。
しかし、POPを読んだだけでは味はわからない。
レシピカードを見ただけでは、自分で作る勇気が出ない。
試食は一口で終わることが多く、料理としての満足感までは伝わりにくい。
本当に必要なのは、食材のおいしい状態を体験してもらうことではないか。
そして、ここにもう一つ面白い可能性がある。
それは、接客のあり方である。
麻辣湯のような仕組みは、基本的にはセルフで成り立つ。
お客様が自分で具材を選び、量を決め、辛さや麺を選ぶ。
店側は、会計と調理のオペレーションを標準化すればよい。
その意味では、人による接客をかなり減らせる業態である。
しかし一方で、「この素材は何に合うのか」「どう組み合わせるとおいしいのか」という不安は残る。
特に初めての食材や、名前を知らない魚、馴染みのない肉の部位、珍しい野菜であればなおさらである。
そこで必要になるのは、販売員というより、食材コンシェルジュではないかと思う。
この魚は塩焼きに向いている。
この部位は煮込みにするとおいしい。
この野菜は油と相性がいい。
この具材は辛いスープに入れると香りが立つ。
そうした助言があれば、お客様は安心して選ぶことができる。
そして、この役割は将来的にAIロボットが担えるかもしれない。
売場にいるAIコンシェルジュに、
「今日は軽めに食べたい」
「辛いものは苦手だけど麻辣湯を試したい」
「この魚はどう食べればいいのか」
「子どもでも食べやすい魚はどれか」
と聞けば、食材の特徴やおすすめの調理法を教えてくれる。
これは単なる省人化ではない。
お客様が知らない食材に一歩踏み出すための支援である。
もちろん、課題はある。
オペレーションは簡単ではない。
食材ごとに調理時間も違う。
下処理も必要になる。
衛生管理も重要である。
価格表示もわかりやすくしなければならない。
自由度を高くしすぎると、厨房が混乱する。
お客様側の知識によって満足度が変わりすぎる可能性もある。
だから、日本で展開するなら、麻辣湯のように「制御された自由」が必要だと思う。
食材は選べる。
しかし、調理方法は数パターンに限定する。
味付けも標準化する。
価格は食材代プラス調理料にする。
初心者でも選びやすいおすすめセットを用意する。
そして、必要に応じてAIコンシェルジュが選び方を支援する。
自由に選べる楽しさと、失敗しにくい安心感。
セルフ化による効率性と、AIによる相談機能。
この両方を設計できれば、生鮮食品スーパーはもっと面白い場所になるのではないか。
今回、麻辣湯の店に入ってみて、最初は「なぜこんなに女性客が多いのだろう」と思った。
しかし、仕組みを見て、食べてみて、よくわかった。
この店は、辛いスープを売っているだけではない。
自分で選ぶ楽しさ。
ヘルシーに感じる納得感。
少量ずつ試せる安心感。
毎回違う組み合わせにできるリピート性。
そうした体験を売っている。
そして店側は、その自由をうまくコントロールしている。
この考え方は、これからの生鮮食品スーパーにも必要になるのではないか。
食材をただ並べるだけでは、知らないものは買われにくい。
しかし、食べ方を知り、味の基準を持てば、買う理由が生まれる。
生鮮売場は、もっと体験型になれる。
スーパーは、食材を売る場所から、食材との出会いを作る場所になれる。
そこにAIコンシェルジュが加われば、セルフ型でありながら、お客様の不安を解消できる売場になるかもしれない。
麻辣湯の行列を見て入った一軒の店から、そんなことを考えた。
