梅雨が明け、博多は今年も山を舁く
――博多祇園山笠がつないできた、地域の結束とよそ者を巻き込む力
九州北部の梅雨が明けた。
今年は7月8日頃の梅雨明けとなり、平年より11日早かったという。梅雨が明けると、福岡には本格的な夏がやってくる。
そして博多の夏といえば、やはり博多祇園山笠である。
町を歩けば、各所に飾り山笠が立ち、長法被姿の人たちを見かける。7月15日の追い山笠に向けて、博多の町の熱気は日に日に高まっていく。
私はこれまで、追い山笠を何度か見たことがある。
中でも忘れられないのが、櫛田入りである。
縁があって、櫛田神社の入り口付近にあるビルの上から見せてもらったことがある。
大太鼓の合図とともに、一番山笠が櫛田神社へ飛び込んでくる。
地響きのような足音。
舁き手たちの掛け声。
勢いよく飛び交う勢い水。
そして、大勢の人たちが一つの山を、まるで一つの生き物のように動かしていく。
テレビで見ても迫力はある。
しかし、現地で感じる空気は全く違う。
速さだけではない。
その場にいる人たちの気が一つに集まり、一気に境内へ流れ込んでいくような、言葉では表現しにくい力がある。
私はその光景を見て、初めて疑問を持った。
なぜ、追い山笠は午前4時59分に始まるのだろう。
なぜ午前5時なのか
午前4時59分に一番山笠が出発する理由については、一番山笠だけに認められた「博多祝い唄」を歌う1分間を設けるためだと説明されている。
本来の基準時刻は午前5時であり、その1分前に一番山笠が動き出すというわけである。
では、なぜ基準が午前5時なのだろう。
私は以前、山笠の関係者にも尋ねたことがある。
しかし、誰からも明確な答えは返ってこなかった。
夜明けに始めるためだという説明もある。
確かに、午前5時頃は空が明るくなり始める時間である。
しかし、本当に日の出が重要なのであれば、毎年の日の出時刻に合わせて開始すればよい。
ところが、追い山笠は毎年同じ午前4時59分に始まる。
そこには、単に「夜が明ける頃だから」という理由だけではない、何らかの意味があるのではないだろうか。
ここからは、私の勝手な想像である。
昔は、一日の時間にも十二支が当てられていた。
おおよその現代時刻に置き換えると、丑の刻は午前1時頃から3時頃、寅の刻は午前3時頃から5時頃、卯の刻は午前5時頃から7時頃に当たる。
方位における丑寅、つまり北東は、鬼門と呼ばれてきた。
もちろん、方位としての鬼門と時刻をそのまま結びつけることはできない。昔の時刻は季節によって一刻の長さも異なるため、現在の時計に単純換算もできない。
それでも午前5時は、現代的に当てはめれば、寅の刻を終えて卯の刻へ移る境目である。
夜から朝へ。
陰から陽へ。
災厄が支配する時間を乗り越え、新しい一日を迎える時間である。
追い山笠がこの時間に始まるのは、鬼門とされた丑寅の時間を乗り越え、疫病や災厄を祓い、新しい朝を迎えるという意味があったのではないか。
それを証明する史料があるわけではない。
あくまで私の私見である。
しかし、山笠の成り立ちを考えると、単なる偶然として片づけるには、少し出来すぎているようにも感じる。
山笠は今も疫病から町を守る祭り
博多祇園山笠の起源には諸説ある。
その中で博多祇園山笠振興会は、1241年、博多で疫病が流行した際、聖一国師が施餓鬼棚に乗り、祈祷水をまいて疫病退散を祈願したことが始まりだという説を採っている。
それが災厄を祓う祇園信仰と結びつき、現在の山笠神事へ発展したとされている。
だから山笠は、疫病対策をきっかけに始まった祭りである。
しかし私は、「昔は疫病退散の祭りだった」と過去形で考えるものではないと思っている。
今も昔も、山笠は疫病や災厄から町を守り、町の安寧を願う祭りである。
実際、現在の博多祇園山笠振興会も、山笠の大義を「疫病退散、そして世の災厄を祓うこと」と表現している。
もちろん、現在の感染症対策は、医学や科学、行政の役割である。
それでも、人々が地域の無事を祈り、町を清め、力を合わせるという営みの意味がなくなったわけではない。
山笠の本来の目的は、人材育成でも、地域活性化でも、観光客を呼ぶことでもない。
まず、疫病や災厄から町を守るための神事である。
ただし、その神事を地域の人々が何百年も力を合わせて続けてきた結果、別の大きなものも育まれてきたのではないかと思う。
それが、地域の結束と、人と人とのつながりである。
地域共同体を毎年つくり直す
今、日本では、昔ながらの地域のつながりが失われつつある。
隣に誰が住んでいるのか分からない。
地域の行事に参加する人が減る。
町内会や商店街の活動も弱くなる。
困ったときに助け合える関係が少なくなり、同じ地域で暮らしていても、互いにほとんど接点を持たない。
もちろん、日本各地には今も多くの祭りや伝統行事が残っている。
しかし、担い手不足によって規模を縮小したり、地域住民が主体となる行事から、見物するための観光イベントへ変わったりしているものもある。
その中で山笠は、今も人々が実際に時間と労力を使い、共同でつくり上げる神事として続いている。
山笠は、福岡市民であれば誰でも自由に参加できる市民祭りではない。
主な舞台は、那珂川と御笠川の間にある旧来の博多部であり、流や町とのつながりを基盤に運営されてきた。
山笠の世界には、日常社会とは異なる秩序もある。
年齢や会社での肩書だけではなく、山笠での経験が重んじられる。
普段は会社の社長であっても、山笠の中では先に入った人を先輩として立てなければならない。
礼儀や言葉遣いにも厳しい。
それぞれに役割があり、自分勝手な行動は許されない。
一人の力だけでは、山は動かない。
先輩から後輩へ役割や作法を伝え、仲間と呼吸を合わせ、それぞれが自分の持ち場を果たすことで、初めて重い山笠を動かすことができる。
厳しい上下関係には、現代の価値観から見れば、合わない部分もあるかもしれない。
しかし、そこで育まれるのは上下関係だけではない。
時間を守ること。
自分の役割を果たすこと。
仲間に迷惑をかけないこと。
先輩から教わり、後輩を育てること。
困っている仲間を助けること。
そして、一人ではできないことを、皆で力を合わせて成し遂げること。
山笠は毎年、地域の人々を集め、つながりを確認し、次の世代へ役割を渡している。
言い換えれば、山笠は地域共同体を毎年つくり直す仕組みになっているのかもしれない。
商人の町・博多が育てた文化
ここで、福岡と博多を分けて考える必要がある。
現在の福岡市は、福岡城を中心とした城下町「福岡」と、古くから交易で栄えた商人の町「博多」が一つになって発展した都市である。
福岡市も、福岡を「城下町・福岡」と「商人の街・博多」の二つの顔を持つ双子都市と説明している。
山笠は、福岡市全体の祭りというより、商人の町・博多を基盤とする祭りである。
そして山笠の文化は、商人の町に必要な価値観とよく似ている。
信用を守る。
約束を守る。
礼儀を重んじる。
仲間と助け合う。
先輩から学び、後輩へ伝える。
一人だけが利益を得るのではなく、町全体の繁栄を考える。
商売は、一人だけでは成り立たない。
仕入れ先があり、売り先があり、仲間がいて、町の人々がいる。
相手から信用されなければ、次の商売にはつながらない。
山笠が商人を育てることを目的に始まったわけではない。
しかし、疫病や災厄から町を守るために、商人たちが力を合わせて山笠を守ってきた。
その結果、山笠の中で培われた礼儀、責任、助け合い、信用、世代継承の文化が、博多商人の精神を育て、受け継ぐ仕組みにもなったのではないか。
山笠が商人を育て、商人たちが山笠を支える。
その循環が、何百年も続いてきたのかもしれない。
結束が強いのに、よそ者を拒まない
地域の結束が強い町は、ともすれば閉鎖的になりやすい。
昔から住んでいる人たちだけで固まり、外から来た人を受け入れない。
地域のやり方を知らない人を、よそ者として排除する。
ところが、博多には少し違う空気がある。
地域のつながりは強い。
守るべき伝統や礼儀にも厳しい。
それでも、外から来た人を一方的に拒む町ではない。
むしろ、「来る者は拒まず」という気質があるように感じる。
これは、博多が古くから港町、商人の町として発展してきたことと無関係ではないだろう。
商人の町には、外から人や物が入ってくる。
新しい商品、新しい技術、新しい情報、新しい文化に触れることで、商売は発展する。
自分たちだけで固まり、外から来るものを拒んでいては、商人の町は栄えない。
博多は、自分たちの軸を守りながら、新しいものを取り入れてきた町なのだと思う。
山笠にも、こうした変化が見られる。
従来は紹介者がいなければ参加が難しかったが、近年は担い手不足への対応もあり、振興会が紹介者となって一般の参加希望者を各流や町へつなぐ取り組みも始まっている。
伝統を守ることと、何も変えないことは同じではない。
守るべきものは厳格に守る。
しかし、時代に合わせて新しい人を受け入れ、その人たちも巻き込みながら次の時代へつないでいく。
ここに、博多の強さがあるのではないか。
内側では、地域の人々が強くつながっている。
外側には、新しい人やものに対して開かれている。
そして外から来た人も、縁ができれば仲間として巻き込んでいく。
結束力と開放性。
伝統と革新。
地域の誇りと、よそ者を受け入れる懐の深さ。
一見、相反するように見えるものを両立させてきたことが、商人の町・博多の活力につながっているのかもしれない。
福岡が日本で最も元気のある都市の一つだといわれる理由は、人口流入、交通の利便性、食文化、企業の集積、都市開発など、さまざまだろう。
もちろん、山笠だけで福岡の発展を説明することはできない。
また、山笠は福岡市全体の祭りでもない。
それでも、山笠によって長く育まれてきた博多の人々の結束力、行動力、信用、世代継承の文化が、商売や地域活動を通して、現在の福岡の活力にもつながっている可能性はあると思う。
今年も博多は山を舁く
最近、福岡県議会は、正副議長ポストを巡る金銭授受疑惑で揺れている。
現職県議らから金銭を支払ったという証言が出る一方、名指しされた側は否定しており、関係者の説明は食い違っている。県議会では外部有識者を交えた調査も行われる方針だという。
政治の世界で信頼が揺らいでいる。
それでも、博多の男たちは今年も山を舁く。
先輩から後輩へ役割を引き継ぎ、仲間と力を合わせ、疫病や災厄から町を守ることを願いながら、博多の町を駆け抜ける。
政治や社会がどれほど揺れても、人々は地域の伝統を守り、次の世代へつないでいく。
日本の昔ながらのつながりが失われつつある今、山笠が守り続けてきたものの意味は、以前にも増して大きくなっているのかもしれない。
山笠が守ってきたのは、疫病から町を守る祈りだけではない。
長い年月の中で、人と人とのつながり、助け合い、信用、地域への誇りも守ってきた。
さらに博多は、その強い結束を閉鎖性に変えるのではなく、外から来た人や新しいものを巻き込む力に変えてきた。
そこに、商人の町・博多が今も活力を失わない理由があるのではないだろうか。
九州北部の梅雨は明けた。 福岡県議会を巡る問題にも、梅雨明けのような晴れ間が早く訪れてほしいものだ。
