思いやりは、なぜ難しいのか? 深圳の地下鉄で考えた人間理解の大切さ
先日、中国の深圳を訪れた際、地下鉄で日本との違いを強く感じる光景を目にした。
電車がホームに到着し、ドアが開いた瞬間、降りる人のことなど気にせず、我先にと乗り込もうとする。
僕が利用した地下鉄では、そうした行動を取る人がほとんどだった。
日本では、まず降りる人を待ち、それから乗るのが一般的だ。
ところが、深圳では、こちらが遠慮していると降り損なってしまいそうな感覚さえあった。
最初は、ずいぶん遠慮がないものだと思った。
しかし、少し考えてみると、違う見方もできるのではないかと感じた。
そして、この体験をきっかけに、思いやりとは何だろうかと考えるようになった。
人が置かれた環境によって、行動は変わる
中国は人口が多い。
深圳のような大都市では、多くの人が行き交い、競争の激しい環境もある。
もし、遠慮していると自分の順番がなかなか回ってこないという経験を重ねていたら、どうなるだろう。
やれるときにやる。
先に行けるなら先に行く。
そうした行動が、生活の中で身についていくことも考えられる。
もちろん、中国でも降車する人を優先することはマナーとして求められているし、すべての人が同じ行動をするわけではない。
僕が見たのは、あくまで深圳の地下鉄での体験だ。
ただ、今回の光景を見ながら、人が育ってきた環境や、日頃経験していることによって、当たり前だと思う行動は変わってくるのではないかと感じた。
そして、もう一つ考えた。
日本人が降りる人を先に通すのは、なぜだろう。
自分が少し待つことで、相手はスムーズに降りることができる。
しかも、先に降りてもらった方が、自分も乗りやすくなる。
相手への配慮が、結果として自分にも良い影響をもたらす。
このような行動が日常生活に根づいていることは、日本の良さの一つだと思う。
ただし、ここで考えたいことがある。
それは、遠慮することと、思いやることは同じなのだろうか、ということだ。
遠慮することと、思いやることは違う
遠慮とは、自分の言動を控えることだと思う。
一方、思いやりとは、相手の立場や気持ちを考えて行動することではないだろうか。
例えば、何かを決める会議があったとする。
自分には意見がある。しかし、周囲に遠慮して何も言わない。
これは遠慮ではあるけれど、必ずしも思いやりとは言えない。
その意見が、周囲の人にとって役立つものだったかもしれないからだ。
反対に、相手のためを思って、あえて厳しいことを伝える場合もあるだろう。
それは決して遠慮しているわけではない。
しかし、相手の成長を願い、伝え方にも配慮しているのであれば、そこには思いやりがあると思う。
つまり、思いやりとは、単に自分を抑えることではない。
相手にとって何が必要なのかを考え、その状況にふさわしい行動を取ることなのではないだろうか。
しかし、口で言うのは簡単でも、実際に行動するのは難しい。
なぜなら、相手が何を望んでいるのか、必ずしもわかるわけではないからだ。
思いやりは、口で言うほど簡単ではない
「相手のことを思いやりましょう」
誰もが一度は聞いたことのある言葉だろう。
とても優しい言葉だし、反対する人も少ないと思う。
しかし、僕は、この言葉ほど実践が難しいものはないのではないかと感じている。
例えば、困っている人がいたとする。
親切心から手を差し伸べたとしても、相手は自分の力で解決したいと思っているかもしれない。
こちらは良いことをしたつもりでも、相手にとっては余計なお世話になる場合もある。
逆に、助けてほしいのに誰も声をかけてくれず、寂しい思いをする人もいるだろう。
同じ行動でも、相手によって受け取り方が違う。
だから難しい。
さらに、人間の気持ちは常に同じとは限らない。
昨日は嬉しかったことが、今日は迷惑になることもある。
その人の置かれた状況や、精神的な余裕によっても変わる。
例えば、仕事で忙しい人に声をかける場合を考えてみよう。
ある人は、忙しいときだからこそ声をかけてもらえることを喜ぶ。
しかし、別の人は、今は仕事に集中したいと思っているかもしれない。
どちらが正しいという話ではない。
人によって、求めていることが違うのだ。
だから、単に自分がしてあげたいことをするだけでは、思いやりにならないこともある。
相手の立場に立って考える。
相手がどのような人で、今どのような状況に置かれているのかを理解しようとする。
そのためには、日頃から相手をよく観察し、話を聞き、想像する力が必要になる。
僕は、思いやりの根底には人間理解があるのではないかと思っている。
思いやりが伝わるかどうかは、日頃の関係にも左右される
もう一つ重要なのが、それまでに築いてきた信頼関係だ。
例えば、普段は厳しく接している上司が、突然優しい言葉をかけたらどうだろう。
部下は素直に喜ぶかもしれない。
しかし、「何か裏があるのではないか」と警戒するかもしれない。
上司としては、部下のことを思いやって態度を変えたつもりかもしれない。
それでも、普段の言動と大きく違えば、相手は戸惑うことがある。
これは、何も上司と部下の関係だけではない。
家族でも、友人でも、取引先でも同じようなことがあると思う。
普段から相手の話をよく聞き、相手を理解しようとしている人の言葉なら、自然に受け入れてもらいやすい。
しかし、普段は相手のことを考えず、自分の都合ばかり優先している人が、突然「あなたのためを思って」と言い出したらどうだろう。
相手が警戒するのも無理はない。
つまり、思いやりとは、その瞬間の行動だけで成立するものではないのだと思う。
日頃の態度や言葉遣い、これまでの経験、相手との信頼関係。
そうしたものが積み重なった上で、初めて思いやりが伝わることもある。
自分が相手を思いやっていることと、相手に思いやりが伝わることは、必ずしも同じではない。
しかも、相手のことを理解しているつもりでも、実際には自分の思い込みだったということもある。
相手はこう考えているはずだ。
きっと、こうしてほしいに違いない。
そう決めつけてしまうと、かえって相手を傷つけることにもなりかねない。
だからこそ、相手を理解しようとする姿勢が必要なのだと思う。
人間理解は、一朝一夕には身につかない
人間を理解するというのは、本当に難しいことだと思う。
人はそれぞれ、育ってきた環境も、経験してきたことも、価値観も違う。
同じ出来事を経験しても、感じ方は人によって異なる。
自分には何でもないことが、相手にとっては大きな問題かもしれない。
逆に、自分が大切だと思っていることを、相手はそれほど重要だと感じていないかもしれない。
だから、相手を理解するには、自分の価値観だけで判断しないことが必要になる。
しかし、それも簡単ではない。
人はどうしても、自分の経験や知識を基準にして物事を考えてしまう。
自分ならこうする。
自分だったら嬉しい。
自分だったら嫌だ。
それが、そのまま相手にも当てはまるとは限らない。
本当に相手を理解するためには、相手が何を大切にし、何を望み、何を不安に感じているのかを知ろうとする必要がある。
そして、それを知るには時間がかかる。
短い会話だけでわかることもあれば、長く付き合って初めて気づくこともある。
それでも、相手のすべてを理解することはできないだろう。
人間は、それほど複雑な存在だと思う。
だからこそ、相手を理解していると思い込まないことも大切なのではないだろうか。
それでも、やらないよりやった方がいい
ここまで考えると、思いやりを実践することが難しく感じられるかもしれない。
相手を理解しなければならない。
信頼関係も必要になる。
しかも、誤解される可能性まである。
だったら、何もしない方がいいのだろうか。
僕は、そうは思わない。
やらないより、やった方がいい。
もちろん、相手の意思を無視して、何でもしてあげればいいという話ではない。
大切なのは、相手のことを考え、自分なりに行動してみることだ。
例えば、困っている人がいたら、まず声をかけてみる。
「何かお手伝いできることはありませんか?」
その一言だけでも、相手の反応がわかる。
助けてほしいと言われれば、できることをすればいい。
自分でやりたいと言われれば、その意思を尊重すればいい。
大切なのは、最初から相手の気持ちを決めつけないことだ。
もし、思いやりが伝わらなかったら、なぜ伝わらなかったのかを考えればいい。
タイミングが悪かったのか。
言葉の選び方が良くなかったのか。
そもそも、相手が望んでいることを勘違いしていたのか。
相手の反応を見て、必要であれば話を聞く。
そして、次の行動を改善する。
もし相手が望んでいないことがわかったなら、引くことも必要だろう。
こうした経験を積み重ねることで、少しずつ人間理解が深まっていくのではないだろうか。
僕は、ここがとても大切だと思っている。
人間理解ができてから行動するのではない。行動するからこそ、人間理解が深まる。
相手を完全に理解してから行動しようとしたら、いつまでたっても行動できない。
人間を完全に理解することなど、おそらく不可能だからだ。
だから、まず行動する。
そして、その結果から学ぶ。
そうした積み重ねが、人間理解を深めていくのだと思う。
思いやりには勇気が必要
ただ、実際に行動するには勇気がいる。
良かれと思ってやったことを誤解されたり、拒絶されたりすれば、誰だって傷つく。
もう余計なことはしないでおこう、と思うこともあるだろう。
人は、失敗することを恐れる。
相手に嫌われたくない。
誤解されたくない。
自分が傷つきたくない。
そうした気持ちから、行動をためらうこともある。
しかし、失敗を避け続けていたら、経験を積むこともできない。
経験に勝るものはない。
僕はそう思っている。
もちろん、経験しただけで成長するわけではない。
同じ失敗を何度も繰り返していては、意味がない。
大切なのは、そこから何を学び、次にどう生かすかということだ。
相手が喜んでくれたら、なぜ喜んでくれたのかを考える。
相手が困った表情をしたら、何が良くなかったのかを考える。
自分の考えが間違っていたと気づいたら、素直に修正する。
そうやって、一つひとつ経験を積み重ねていく。
思いやりとは、単に優しい性格であれば身につくものではないのだと思う。
観察力、想像力、行動力、そして失敗から学ぶ姿勢。
それらが積み重なって、少しずつ磨かれていくものなのだろう。
思いやりは、経験によって磨かれていく
深圳の地下鉄で見た光景を思い返してみる。
最初は、なぜ降りる人を待たずに乗ろうとするのだろうと思った。
しかし、その背景にある生活環境や価値観について考えてみると、少し違う見方ができるようになった。
もちろん、それによって乗車マナーの問題がなくなるわけではない。
ただ、自分とは異なる行動を見たときに、すぐに良い悪いと判断するのではなく、なぜそのような行動を取るのかと考えてみる。
そこに、人間理解の出発点があるのかもしれない。
僕たちは、それぞれ違う環境で育ち、違う経験を積み、違う価値観を持って生きている。
だから、同じことを見ても、同じように感じるとは限らない。
相手を理解することは難しい。
そして、自分の思いやりが、必ず相手に伝わるとも限らない。
それでも、何もしなければ、相手を理解する機会も失ってしまう。
だからこそ、勇気を出して行動してみる。
伝わらなければ、伝わるように改善すればいい。
誤解されたら、なぜ誤解されたのかを考えればいい。
そして、相手の気持ちを理解できていなかったと気づいたら、そこから学べばいい。
思いやりは、頭で理解するだけでは身につかない。
相手を理解しようとし、行動し、経験を積み重ねることで、少しずつ磨かれていくものなのではないだろうか。
僕は、そう思っている。
