ないものねだりをしない。「当たり前」の中にある地域の価値

先日、あるコミュニティで、飲食業や観光業を営む経営者の講演を聞いた。

地域の食材を生かし、生産者や加工業者、流通業者と連携しながら事業に取り組んでいる方だ。これまでにも何度かお話を聞いたことがあり、実際にお店を訪れたこともある。

久しぶりに聞いた今回の講演は、地産地消の話が中心だった。

地産地消というと、地元で採れたものを地元で消費することを思い浮かべる。しかし、今回語られたのは、その取り組みを通じて地域の事業者をつなぎ、地域全体で付加価値を上げていく話だった。

その根底にあるのが、「地域にあるものを、いかに生かすか」「ないものねだりはしない」という考え方だ。

そして、その考えに至ったきっかけとして語られた、一杯のジュースのエピソードが印象に残った。

一杯のジュースが教えてくれたこと

その会社では、自社で採れた果実のジュースをお客さんに提供していたという。

当時、それに対してどのような評価があったのかは分からない。喜ぶ声があったのかもしれないし、その価値に会社側が気づいていなかったのかもしれない。

ところが、あるとき、その果実が品切れになった。

社長は、どうせ同じようなものだろうと考え、市販の果実ジュースを出したそうだ。

すると、お客さんからお叱りを受けた。

せっかくここまでわざわざ旅をして来ているのに、どこでも口にできるものを出すとはどういうことか、という趣旨の言葉だったという。

社長は、その一言にはっとしたそうだ。

自分たちにとっては、身近にある果実のジュース。しかし、お客さんにとっては、その土地を訪れて味わいたいものだった。

市販のジュースでも同じだろうと思っていたのは、提供する側だったのだ。

その経験から、ほかの場所にはない地域のものを出そう、ないものねだりはすまいと思ったという。

自分たちが日常的に提供していたものの価値を、お客さんから教えられたのだろう。

当たり前だから、価値が見えない

私は、多くの地域が、自分たちの地域を過小評価しているのではないかと思う。

何もない。
これといった名物がない。
人を呼べるようなものがない。

そう感じるのは、そこにあるものが、あまりにも当たり前だからではないだろうか。

昔から食べているもの。いつも目にしている風景。近所の人が持っている技術。

身近にありすぎると、わざわざ遠くから来てもらったり、お金を払って味わってもらったりするほどのものとは思いにくい。

しかし、外から来た人には、それが新鮮に映ることがある。地域の人が普段食べているものを、旅先で味わいたい人もいる。

これは、人が自分自身の強みに気づきにくいことと似ている。

自分には自然にできる。特別な苦労もなく、いつもやっている。だから、誰でもできることだと思ってしまう。

ところが、ほかの人から見ると、それが大きな助けになったり、ぜひお願いしたいと思う能力だったりする。

地域の価値も、自分自身の強みも、当たり前だからこそ見えにくい。

ジュースのエピソードを聞きながら、その共通点を感じた。

廃棄していた野菜から、仕事と収入が生まれる

講演では、規格外の農産物をどう生かすかという、具体的な話もあった。

形や大きさが出荷規格に合わず、これまで廃棄していた野菜。しかし、料理や加工に使うなら、その形が問題にならない場合もある。

例えば、そうした野菜を1kg当たり200円で農家から買い取る。

農家にとっては、これまで廃棄していた野菜から、新たに200円の収入が生まれる。

次に、地元の加工業者に、1kg当たり200円の加工賃で加工してもらう。加工業者にも、新しい仕事が生まれる。

そして、買い取った会社も1kg当たり200円を上乗せして販売する。

単純計算では、合計600円。それでも、正規の価格で同じ商品を仕入れるより十分に安く提供できるという話だった。

実際の採算には運搬費なども関わるが、この例から分かるのは、関わる事業者それぞれに収入が生まれる仕組みだ。

農家には、廃棄していた野菜の販売収入が入る。加工業者には加工の仕事が生まれる。販売する会社も、自社の取り分を確保しながら、価格に競争力のある商品を提供できる。

その価格なら使ってみたいという買い手が現れれば、新たな需要が生まれる可能性もある。

廃棄していたものが、地域の仕事と収入につながっていく。

地域資源を生かすという言葉が、具体的な商売の仕組みとして理解できる話だった。

とらふぐ一つから、地域のつながりが広がる

もう一つ、印象に残ったのが、とらふぐの話だ。

地域でとらふぐが取れるなら、それを料理として提供するところまで考えてみる。

おいしく食べてもらうには、何が必要だろうか。

柑橘類がいる。添え物の野菜もいる。醤油も使う。一緒に楽しむお酒もある。

では、それらも地元でそろえられないだろうか。

そう考えると、とらふぐを入り口に、農家や加工業者、醤油蔵、酒蔵へと、関わる相手が広がっていく。

お客さんは、とらふぐを食べに来て、地元の柑橘や野菜、醤油、お酒も味わう。

組み合わせによって料理の魅力が高まり、一緒に提供される地元産品の良さを知ってもらう機会にもなる。

一つの特産品をどう提供するか。その問いを掘り下げることで、地域のさまざまな事業者の商売につながっていく。

地産地消には、ここまで広がりを持たせられるのだと感じた。

地域全体で、付加価値を上げる

規格外の野菜も、とらふぐも、生かし方は違う。しかし、どちらにも共通するのは、地域にあるものをつなぎ、地域全体で付加価値を上げるという視点だ。

地域には、それぞれに技術や経験を持つ人たちがいる。

生産者が作り、加工業者が手を加える。飲食店が料理に仕立て、流通業者が必要な場所に届ける。

その仕事がつながることで、一社だけでは提供できなかった価値が生まれる。

そして、関わる人たちの商売として成り立つことも大切なのだと思う。

地域のためという思いに加えて、それぞれに売上や利益が生まれる。続ける意味があるからこそ、取り組みも続いていくのだろう。

その出発点は、地域の誰が何を持ち、どんなことに困っているのかを知ることにある。

自分たちが必要としているものを、地域の誰かが作っているかもしれない。誰かが持て余しているものを、自分たちなら生かせるかもしれない。

地域にあるものへの関心と、そこにいる人への関心。その両方があってこそ、連携の可能性が見えてくるのだと思った。

売れると思ったのに、全く売れなかった商品もある

ただし、今回の話は、成功した取り組みばかりではなかった。

売れると思って作ったのに、全く売れなかった商品もあったという。

地域にあるものを使えば、それだけでお客さんに買ってもらえるわけではない。作る側が感じている価値と、お客さんが求める価値が一致するとは限らないのだ。

一方で、冒頭のジュースのように、自分たちが当たり前だと思っていたものを、お客さんが求めていたこともある。

売れると思ったものが売れず、いつも出していたものには、わざわざ訪れるだけの価値を感じてもらっていた。

この二つの話があるからこそ、取り組みの実態が伝わってきた。

価値があるかどうかは、自分たちの思いだけでは決められない。実際に提供し、お客さんの反応に触れることで、初めて分かることがある。

良かれと思って、やってみる。

思うように売れなかったり、お叱りを受けたりしたら、その結果を受け止めて改善する。そして、また取り組む。

今につながっているのは、そうした試行錯誤の積み重ねなのだろう。

自分の「当たり前」を、もう一度見てみる

今回の話は、地域の食に関するものだったが、自分自身の仕事にも通じると感じた。

これまで身につけてきた技術や経験。
日々、自然にやっていること。
お客さんや仕事仲間とのつながり。

自分では当たり前だと思っていても、誰かが必要としているものがあるかもしれない。

同時に、自分が価値を感じていても、そのままでは相手に届かないものもあるだろう。

だからこそ、まずは形にしてみる。そして、喜ばれたことも、売れなかったことも、相手の反応から学んでいく。

「ないものねだりはしない」

この言葉を、今あるものの可能性をもっと考えてみよう、という呼びかけとして受け取った。

身近すぎて見過ごしているものに目を向け、それを必要とする人や、生かせる人とつながってみる。

自分の地域には何もない、自分には特別な強みがない。そう決めてしまう前に、できることはまだあるのだと思う。