福岡の経営コンサルタント|笑顔商店

なぜナポリタンは国民食になったのか

――ホテルニューグランドで見えたイノベーションの本質

先日、横浜を訪れる機会があった。

せっかくなら一度行ってみたい場所があった。

ホテルニューグランドである。

目的は宿泊ではない。

日本で初めてメニュー化されたと言われる「スパゲッティ ナポリタン」を食べるためだ。

ナポリタンといえば、日本人なら誰もが知る料理だろう。

喫茶店の定番メニュー。

家庭料理の定番メニュー。

子どもから大人まで親しまれている洋食である。

しかし考えてみると不思議な料理でもある。

名前はイタリア風だが、イタリアには存在しない。

日本人なら誰でも知っているのに、海外ではほとんど知られていない。

つまりナポリタンは、日本独自の進化を遂げた料理なのである。

その原点とも言われる場所が、横浜のホテルニューグランドだ。

私は以前から一度は食べてみたいと思っていた。

歴史好きとして。

そして、食文化の成り立ちに興味を持つ人間として。

ようやくその機会が訪れたのである。

注文したナポリタンの価格は2,500円を超えていた。

正直に言えば、ナポリタンとして考えればかなり高額だ。

街の喫茶店なら1,000円前後。

場合によっては700〜800円でも食べられる。

しかし、ここはホテルニューグランドである。

窓の外には山下公園が広がる。

横浜港を望む景色。

長い歴史を感じる館内。

そして「日本初のナポリタン」という物語。

そう考えると、この価格は単なる料理代ではない。

私はふと思った。

これはナポリタンを食べているのではない。

日本洋食史の一ページを体験するための入場料なのだと。

歴史好きが博物館へ行くように。

野球好きが甲子園へ行くように。

私はナポリタンの原点を見に来たのである。

さて、肝心の味はどうだったのか。

正直に言おう。

普通だった。

もちろん美味しい。

しかし、人生が変わるほどの衝撃ではない。

私がこれまで食べたナポリタンの中で一番美味しいかと言われれば、そうではない。

むしろ、街の洋食屋や喫茶店で食べたナポリタンの方が好みに近いものもある。

ところが、一つだけ驚いたことがあった。

アサリが入っていたのである。

私は思わず、

「ナポリタンにアサリ?」

と思った。

私たちが思い浮かべるナポリタンといえば、

玉ねぎ。

ピーマン。

ソーセージ。

そしてケチャップ。

そんなイメージではないだろうか。

ところが元祖にはアサリが入っていた。

この瞬間、私の興味は味から歴史へ移った。

なぜアサリなのだろう。

おそらく横浜という土地柄も関係しているのだろう。

港町であり、魚介類が身近だった。

またホテル料理として考えれば、アサリを使うことも自然である。

しかし、ここで私は別のことを考えた。

もし全国へ広めることを考えたらどうだろう。

アサリはどこでも手に入るわけではない。

価格も変動する。

下処理も必要だ。

保存もしにくい。

一方でハムやソーセージならどうだろう。

全国どこでも手に入る。

保存が利く。

価格も比較的安定している。

調理も簡単だ。

つまり、ナポリタンが国民食になるためには、

「美味しいこと」

だけでは足りなかったのである。

私は今回の体験を通じて、ものには二つの段階があるのではないかと思った。

それは、

「生む過程」

「育てる過程」

である。

生むとは、新しい価値を作ることだ。

誰もやっていないことを試す。

異なるものを組み合わせる。

新しい可能性を示す。

ホテルニューグランドのナポリタンは、まさにこれだったのだろう。

しかし、生まれただけでは文化にはならない。

育てる過程が必要なのである。

育てるためには何が必要なのか。

継続しやすいこと。

真似しやすいこと。

手に入りやすいこと。

価格が手頃であること。

誰でも理解できること。

そして、作る人が無理なく続けられること。

つまり、

発明と普及は別の才能なのである。

世の中では発明者ばかりが注目される。

もちろんそれは素晴らしいことだ。

ゼロから何かを生み出すことは簡単ではない。

しかし、本当に世の中を変えるのは、育てる人たちの存在かもしれない。

考えてみれば、世の中には優れた発明が山ほどある。

しかし、その多くは消えていく。

なぜか。

広がらないからだ。

高すぎる。

難しすぎる。

真似できない。

手に入らない。

これでは普及しない。

どれだけ優れたものでも、一部の人しか使えなければ文化にはなれない。

一方、ナポリタンは違った。

広がる条件を満たしていた。

材料は比較的安価。

調理も難しくない。

子どもから大人まで食べやすい。

家庭でも再現できる。

喫茶店でも提供できる。

つまり、

「真似しやすかった」

のである。

ここで思う。

実は「真似しやすい」ということは、とても重要な価値なのではないだろうか。

多くの人は、自分が生み出したものを独占したがる。

真似されたくない。

奪われたくない。

自分だけのものにしておきたい。

その気持ちはよく分かる。

苦労して生み出したものだからだ。

しかし、それでは広がらない。

文化とは、多くの人に受け継がれて初めて文化になるからである。

ナポリタンが国民食になったのは、ホテルニューグランドだけの力ではない。

全国の料理人が真似をした。

喫茶店が工夫を重ねた。

家庭がそれぞれの味を作った。

子どもたちがその味を覚えた。

そして次の世代へ受け継がれた。

もし誰も真似できなかったら、今のナポリタンは存在しなかっただろう。

つまり、

発明した人が種を蒔き、

育てた人が森を作ったのである。

私は今回の体験から、広げる人には特有の資質があるのではないかと思った。

それは、

成長意欲。

懐の広さ。

愛。

そして義侠心である。

真似されることを恐れる人は守りに入る。

しかし、

「真似されても自分はさらに進化する」

と思う人は前へ進み続ける。

自分だけが良ければいいのではない。

世の中全体が良くなればいい。

そういう発想を持つ人が文化を育てるのかもしれない。

私はドラマ『フェルマーの料理』で紹介されたナポリタンが好きだ。

あの発想には驚かされた。

単に具材を増やしたり減らしたりしているのではない。

なぜ人は美味しいと感じるのか。

どの組み合わせが最も効果的なのか。

まるで数学や化学のように料理を分析している。

私は実際に自分でも作ってみた。

確かに美味しかった。

それも単に豪華だからではない。

材料同士が互いを引き立てている。

まさに化学反応だった。

そして気づいた。

ナポリタンの歴史そのものが化学反応なのではないか。

イタリアのパスタ。

アメリカのケチャップ。

横浜という港町。

戦後日本の洋食文化。

喫茶店文化。

家庭料理。

それぞれが混ざり合い、新しい価値になった。

そして多くの人が改良を重ねた。

発明。

普及。

改良。

再発明。

その繰り返しである。

つまり、イノベーションは発明された瞬間に完成するのではない。

多くの人によって磨かれ、受け継がれ、育てられて初めて文化になるのである。

これは経営でも同じだと思う。

私はこれまで19年以上、多くの経営者の相談を受けてきた。

そこで感じるのは、

「どうやって良い商品を作るか」

を考える人は多いが、

「どうやって広げるか」

を考える人は意外と少ないということだ。

しかし、どれだけ優れた商品でも、

続けられない。

理解されない。

真似できない。

高すぎる。

これでは広がらない。

ナポリタンが教えてくれるのは、

良いものを作るだけでは足りないということだ。

文化になるためには、

継続できること。

広がること。

受け継がれること。

そこまで考えなければならないのである。

山下公園を眺めながら食べた一皿のナポリタン。

味だけで評価するなら、もっと好みの店はある。

しかし、あの2,500円には十分な価値があった。

私はナポリタンを食べたのではない。

ナポリタンが生まれ、育ち、国民食になるまでの物語を味わっていたのである。

そして、その物語は料理だけの話ではない。

商品もそうだ。

サービスもそうだ。

会社もそうだ。

文化もそうだ。

生む人がいる。

育てる人がいる。

そして、多くの人に受け継がれたものだけが時代を超えて残っていく。

AIが発達し、次々と新しい技術が生まれる時代だからこそ、私たちは「何を生み出すか」だけでなく、「どう育てるか」を考えなければならないのかもしれない。

一皿のナポリタンは、そんな当たり前でいて忘れがちなことを、静かに教えてくれたのである。

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髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役