人生は気づきの学問。映画『クジラに落ちた男』を観て思ったこと
先日、映画『クジラに落ちた男』を観た。
今回は4DX 2Dでの鑑賞だった。
とにかく迫力がすごかった。
座席が激しく動き、風が吹き、水しぶきまで飛んでくる。まるで自分自身が海の中にいるような感覚だった。
私はスキューバダイビングをするので、水中の世界にはそれなりになじみがある。沖縄や小笠原などでクジラを見た経験もある。
もちろん、映画のような恐ろしい体験をしたことはない。
それでも、海の中の独特な感覚を知っているだけに、4DXの演出は実にリアルに感じられた。
しかし、この映画の迫力は、4DXの演出だけによるものではなかった。
映画を通して感じたのは、絶え間なく続く緊迫感と、圧倒的な孤独感だった。
巨大なクジラの体内に閉じ込められ、誰にも助けを求められない。酸素は刻一刻と減っていく。
いつ命を失ってもおかしくない状況が続く。
そして、何よりも孤独なのだ。
そんな中で主人公が何度も思い出すのが、亡くなった父親との会話だった。
現実には誰も助けてくれない。しかし、父親との記憶が、主人公を生き延びさせるためのヒントになっていく。
私はこの映画を観ながら、ある言葉を思い出していた。
「人生は気づきの学問である」
なぜ、この言葉が浮かんだのか。
それには、映画のもう一つの物語が関係している。
※以下、映画の内容や結末に触れています。
巨大なクジラに飲み込まれた男
物語そのものは、いたってシンプルだ。
主人公の青年は、海で自ら命を絶った父親の遺骨を探すために潜水する。
ところが、海中で巨大なイカに襲われ、足を絡め取られてしまう。
必死に逃れようとするものの、イカに引っ張られ、そのまま巨大なクジラに飲み込まれてしまうのだ。
そこから、クジラの体内での壮絶なサバイバルが始まる。
限られた酸素。
思うように動けない身体。
いつ命を失ってもおかしくない状況。
しかも、相手は巨大なクジラだ。
人間の力ではどうにもならないような環境の中で、主人公は必死に生き延びる方法を探し続ける。
そして最後には、爆破という大胆な方法で脱出を試み、なんとか生還する。
4DXで観ていると、こうした場面の迫力は相当なものだった。
しかし、私が本当に興味を引かれたのは、主人公が脱出するまでの過程だった。
生前はわかり合えなかった父親
この映画には、もう一つの物語がある。
それは、主人公と亡くなった父親との関係だ。
二人の関係は、決して良好ではなかった。
主人公は何度も関係を修復しようとしたものの、結局、十分にわかり合えないまま父親は亡くなってしまった。
ところが、クジラに飲み込まれ、絶体絶命の状況に陥ったとき、主人公の前に父親が現れる。
もちろん、父親はすでに亡くなっている。
それでも、まるでそこに父親がいるかのように、何度も会話を繰り返す。
過去の記憶。
父親から教わったこと。
当時は理解できなかった言葉。
そうしたものが、次々とよみがえってくる。
そして、その記憶や会話が、クジラの体内から脱出するためのヒントにつながっていく。
ここが、この映画の面白いところだと思った。
生きている間は、なかなか受け入れられなかった父親の言葉。
しかし、自分が命の危機に直面したとき、その言葉が生き延びるための知恵になる。
父親が残してくれたものの価値に、息子は極限状態の中で気づいたのではないだろうか。
人間というのは不思議なものだ。
そのときには理解できなかったことが、何年も経ってから突然わかることがある。
当時は反発していた言葉が、後になって大切な教えだったと気づくこともある。
経験そのものは変わらない。
しかし、経験に対する自分の理解は変わる。
今回の映画を観ながら、そんなことを考えた。
人生は気づきの学問
私は以前から、人生とは気づきの連続ではないかと思っている。
人は毎日、さまざまな経験をする。
人と出会い、会話をする。
仕事で成功することもあれば、失敗することもある。
嬉しいこともあれば、腹の立つこともある。
しかし、同じ経験をしても、そこから何を受け取るかは人によって違う。
ある人は、何も感じずに通り過ぎてしまう。
一方で、ある人は、ほんの些細な出来事から大切なことを学ぶ。
この違いは、どこから生まれるのだろうか。
私は、その一つが「気づく力」だと思っている。
例えば、仕事で失敗したとする。
そこで「運が悪かった」「相手が悪かった」と考えて終わる人もいる。
一方で、「なぜ失敗したのだろう」「次はどうすればいいのだろう」と考える人もいる。
同じ失敗でも、その後の人生は大きく違ってくるだろう。
経験しただけで、人が成長するとは限らない。
そこから何に気づき、何を学び、どう行動するか。
それによって、その後の人生は変わっていくのではないだろうか。
気づきは蝶のようにやってくる
ここで、私が師匠から教えていただいた話を紹介したい。
それは、気づきを「蝶・蜂・鷲」に例えた話だ。
最初、気づきは蝶のようにやってくる。
蝶は静かに、優しく目の前を飛んでくる。
しかし、こちらが気に留めなければ、そのまま通り過ぎてしまう。
次にやってくるのが蜂だ。
蜂は羽音を立てて近づいてくる。
場合によっては刺されるかもしれない。
蝶のときよりも、ずっと強く存在を感じることになる。
それでも気づかなければ、最後は鷲がやってくる。
大きな翼を広げ、鋭い爪を持つ鷲。
もはや、気づかずにはいられない。
師匠が伝えたかったのは、日常の小さな変化を見逃さないことの大切さだった。
私はこの教えを、人生における気づきの一つの例えとして受け止めている。
私たちの目の前には、日々、蝶のような小さな気づきが訪れているのではないだろうか。
例えば、いつも元気な社員の表情が、今日は少し暗い。
お客様の何気ない一言が、妙に気になる。
これまで順調だった仕事に、ちょっとした違和感を覚える。
そんな小さな変化を感じ取れるかどうか。
そこに気づき、必要な行動を取れば、大きな問題になる前に改善できることもあるだろう。
しかし、小さな変化を見逃し続ければ、やがて無視できない問題になるかもしれない。
蝶の段階で気づけるか。それとも、鷲が来るまで気づかないのか。
この違いは、人生において決して小さくないと思う。
そして、今回の映画も、どこかこの話と重なっているように感じた。
主人公は、父親が生きている間、父親の言葉や教えを十分に受け取れなかったのかもしれない。
しかし、父親を失い、自分自身も命の危機に直面したことで、その価値に気づいた。
もし、もっと早く気づいていたら、父親との関係も違ったものになっていたのだろうか。
そんなことも考えさせられた。
そして、もう一つ大切なのは、気づいたことを行動につなげることだ。
映画の主人公も、父親の言葉を思い出しただけでは助からなかった。
そこから脱出のヒントを見つけ、実際に行動したからこそ生還できた。
気づくことは大切だ。
しかし、気づきを生かしてこそ、人生は変わっていくのだと思う。
神様は乗り越えられる試練しか与えない
今回の映画を観て、もう一つ思い出した言葉がある。
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」
という言葉だ。
私は、この言葉を、どんな困難でも必ず乗り越えられるという保証として捉えているわけではない。
世の中には、自分一人の力ではどうにもならないこともある。
それでも、困難に直面したときに、簡単に諦めず、今できることを探す。
そんな姿勢を思い出させてくれる言葉だと思う。
映画の主人公も、普通に考えれば助かる見込みのない状況に置かれていた。
しかし、諦めなかった。
必死に考え、父親との会話を思い出し、過去に学んだ知識を生かそうとした。
そして、脱出への道を見つけていった。
ここで重要なのは、突然、何か特別な能力が身についたわけではないということだ。
生き延びるためのヒントは、すでに自分の中にあった。
ただ、その価値に気づく必要があった。
そう考えると、人生も似たところがあるのかもしれない。
問題を解決するためのヒントは、案外、身近なところにある。
過去の経験かもしれない。
誰かから教わった言葉かもしれない。
あるいは、普段は気にも留めていない日常の出来事かもしれない。
大切なのは、それに気づけるかどうかだ。
蝶が飛んできたときに気づける人生を
映画『クジラに落ちた男』は、巨大なクジラの体内から脱出するという、非常に迫力のある作品だった。
4DXで観たこともあり、映画の世界に入り込んだような体験ができた。
しかし、観終わって私の心に残ったのは、映像の迫力だけではなかった。
父親との関係。
過去の記憶。
命の危機の中で得られた気づき。
そして、師匠から教わった蝶・蜂・鷲の話。
それらが自分の中でつながった。
私たちは、人生の中でさまざまな試練に直面する。
しかし、できることなら、大きな試練を経験する前に、小さな変化に気づきたい。
蜂に刺される前に。
鷲に襲われる前に。
蝶が目の前を飛んできた段階で、その存在に気づける自分でありたい。
そのためには、日頃から目の前の出来事に関心を持ち、小さな変化を見逃さないことが大切なのだと思う。
今回、何気なく観た一本の映画から、そんなことを改めて考えさせられた。
映画を観ることも、旅をすることも、人と出会うことも、すべて人生の学びにつながっている。
そして、その学びを生かせるかどうかは、自分次第だ。
人生は気づきの学問である。
これからも、目の前を飛んでくる小さな蝶を見逃さないようにしたい。
