理念の浸透は、究極のカスハラ対策かもしれない

最近、カスタマーハラスメント、いわゆるカスハラという言葉をよく聞くようになった。

今年10月からは、事業主にカスハラ防止のために必要な措置を講じることが義務付けられる。今後、多くの企業が相談窓口や対応方針、マニュアルなどの整備を進めていくのだろう。

もちろん、顧客からの暴言や威圧的な言動、長時間の拘束、過度な謝罪や補償の要求などから、社員を守ることは大切である。

これまで多くの企業が、

「お客様だから仕方がない」
「少しくらい我慢してほしい」
「大切な取引先だから、穏便に済ませてほしい」

と、現場の社員に我慢をさせすぎてきた面もあると思う。

その意味では、企業が社員を守る姿勢を明確にすることは必要である。

ただ、私は少し気になることがある。

カスハラ対策は、本当に相談窓口や対応マニュアルを整えるだけで十分なのだろうか。

また、顧客が怒ったという結果だけを見て、すべてをカスハラとして片づけてよいのだろうか。

企業側の接客レベルが落ちていることもある

企業側が理不尽な顧客に我慢をしすぎてきたことは事実だと思う。

しかし一方で、企業側の接客レベルが落ちたことで、顧客の怒りを大きくしているケースもある。

人手不足で十分な教育ができていない。
担当者に判断する権限がない。
部署間で情報が共有されていない。
問い合わせのたびに、同じ説明を求められる。
マニュアルどおりの回答しか返ってこない。
「システム上できません」で終わってしまう。

こうした対応が重なれば、最初は冷静だった顧客が、次第に感情的になってしまうこともある。

もちろん、企業側に落ち度があったとしても、暴言や人格攻撃が許されるわけではない。

しかし、顧客が怒った原因を検証せず、怒ったという事実だけでカスハラと判断するのも違うと思う。

クレームには、大きく三つの種類がある

私は、クレームを大きく三つに分けて考えた方がよいと思っている。

一つ目は、昔から存在する、いわゆるクレーマーである。

問題を解決したいというよりも、相手を困らせたい、特別扱いされたい、自分の存在を認めてもらいたいという欲求が強い人である。

その背景に、寂しさや日頃の不満がある場合もあるのだろう。

このような相手に対して、現場の社員が丁寧に説明を続けても、問題が解決するとは限らない。むしろ、相手をしてくれる会社だと認識され、要求がさらに大きくなることもある。

対応時間や回数の上限を決め、一人の社員に抱え込ませない。暴言、脅迫、居座り、業務妨害などに発展した場合は、警察や弁護士などの外部機関につなぐ。

接客で何とか解決しようとしすぎず、組織として線を引くことが必要である。

二つ目は、企業側の接客や対応が原因となり、顧客の怒りが大きくなったケースである。

この場合は、顧客だけを責めるのではなく、社員教育や社内の仕組みを見直さなければならない。

相手の話をきちんと聞く。
事実を確認する。
自社に落ち度があれば、最初に謝罪する。
担当者で判断できなければ、速やかに上司へ引き継ぐ。

こうした基本的な対応ができるだけでも、クレームの多くは大きくならずに済むのではないだろうか。

ただし、これは接客員個人の資質だけの問題ではない。

十分な教育を行わず、判断権限も与えず、情報共有の仕組みも整えないまま、現場に顧客対応を任せているのであれば、会社側にも責任がある。

三つ目は、顧客からの正当な意見まで、企業がカスハラとして扱ってしまうケースである。

これは、企業にとって非常に危険である。

顧客が何も言わなくなったからといって、問題がなくなったわけではない。

わざわざ不満を伝えることを諦め、黙って他社へ移っているだけかもしれない。

その状態が続けば、企業は自社の問題に気づかないまま、ある時、一気に業績を落とす可能性がある。

誰のクレームなのかを考える

では、どのクレームを受け止め、どの要求を断ればよいのだろうか。

ここで必要になるのが、顧客の選択基準である。

どのような人でも、お金を払ってくれれば大切な顧客というわけではない。

自社は誰のために存在するのか。
どのような人に商品やサービスを届けたいのか。
顧客にどのような価値を提供するのか。
どのような顧客とは、長く付き合っていきたいのか。

こうした基準が必要になる。

そして、その基準は、単に年齢、性別、所得、業種といった表面的な属性だけで決めるものではない。

自社が掲げるミッション、ビジョン、バリューに基づいて決める必要がある。

自社の理念や提供価値に共感している、本来大切にすべき顧客層からのクレームであれば、真剣に耳を傾けた方がよい。

それは、自社が約束した価値を十分に提供できていないという警告かもしれないからだ。

一方で、自社の方針や提供範囲を理解せず、

もっと安くしろ。
自分だけ特別扱いしろ。
社員に何を言ってもよい。
会社の方針を自分の都合に合わせろ。

と要求する顧客にまで、無理に合わせる必要はない。

顧客と企業の価値観が合わないのであれば、丁寧に説明したうえで、取引を断るという判断も必要になる。

ただし、自社のターゲットに該当しない顧客だから、その意見をすべて無視してよいわけでもない。

法令違反、安全上の問題、明らかな説明不足や接客上の失礼を指摘されたのであれば、誰からの意見であっても見直す必要がある。

大切なのは、誰が言っているかだけではなく、何を指摘しているのかも併せて考えることである。

理念が、守るものと断るものを明確にする

カスハラ対策というと、顧客に対する禁止事項を決めることだと思われがちである。

しかし、本当に必要なのは、顧客に守ってもらうルールだけではない。

会社自身も、

どのような顧客を大切にするのか。
顧客に何を約束するのか。
社員に何を約束するのか。
利益のためであっても、何は受け入れないのか。

を決めなければならない。

たとえば、「人を大切にする」と掲げている会社が、売上の大きい顧客からの暴言を社員に我慢させていれば、理念と行動が矛盾している。

「誠実な対応」を掲げている会社が、自社のミスを認めず、顧客をたらい回しにしていれば、それも理念に反している。

理念が明確であれば、クレームが発生したときに、

「これは、当社が守るべき価値を提供できなかったために起きたものなのか」

「それとも、相手の要求が、当社が受け入れられる範囲を超えているのか」

を判断できる。

前者であれば、会社側が改善する。

後者であれば、顧客であっても毅然と断る。

理念は、顧客を選ぶ基準であると同時に、自社の落ち度を認める基準にもなるのである。

理念は、作っただけでは意味がない

ただし、理念は作っただけでは機能しない。

立派な言葉を額に入れて壁に掲げても、社員が共感していなければ、日々の仕事には生かされない。

経営者だけが実現したい夢を一方的に掲げても、社員は自分とのつながりを感じられない。

社員が、

この会社で働く意味がある。
この仕事を誇りに思える。
この価値観なら自分も守りたい。
この会社が目指す未来に参加したい。

と思える理念でなければならない。

社員が共感し、魅力を感じるからこそ、理念を自分のものとして受け入れられる。

そして、理念づくり以上に大切なのが、理念を浸透させることである。

朝礼で毎日、理念を意識させる

理念は、一度説明しただけでは浸透しない。

社員が毎日理念に触れ、繰り返し意識し、潜在意識にまで擦り込まれるようにすることが必要である。

そのために有効なのが、朝礼である。

毎朝、理念を確認する。

ただし、全員で文章を読み上げるだけでは、次第に形だけの唱和になってしまう。

大切なのは、理念を実際の仕事と結びつけることだと思う。

昨日の仕事の中で、理念に沿った行動は何だったか。
今回の顧客対応は、自社のバリューに合っていたか。
このクレームは、自社が改善すべきものだったのか。
相手の要求は、自社が守る範囲を超えていなかったか。
今日の仕事で、理念をどのように実践するのか。

こうしたことを、朝礼で毎日少しずつ考える。

理念の言葉を繰り返し、実際の出来事と結びつけることで、理念は少しずつ社員の中に入っていく。

そして、顧客対応で難しい判断を迫られたとき、上司から細かな指示を受けなくても、社員自身が理念に基づいて行動できるようになる。

これが、本当の意味で理念が浸透した状態なのだと思う。

社員は経営者の行動を見ている

朝礼で理念を毎日伝えることは大切である。

しかし、それ以上に社員が見ているのは、経営者の行動である。

会社が「社員を大切にする」と言いながら、問題顧客から社員を守らなければ、どれだけ理念を唱和しても意味はない。

短期的な売上と理念がぶつかったときに、経営者がどちらを選ぶのか。

売上の大きい顧客であっても、社員の人格を傷つける行為を続けるのであれば、取引を断つことができるのか。

自社の接客に問題があったときには、顧客のせいにせず、会社側の非を認めて改善できるのか。

そうした一つひとつの判断によって、社員は理念が本物なのか、それとも単なるきれいごとなのかを見ている。

理念の浸透とは、社員に理念を覚えさせることだけではない。

経営者が日々の意思決定によって、理念を証明し続けることでもある。

理念の浸透は、究極のカスハラ対策

カスハラ対策として、相談窓口や対応マニュアルを整備することは必要である。

暴言や脅迫などがあった場合の対応方法や、現場から上司へ引き継ぐ基準も決めておかなければならない。

しかし、それだけで、自社がどの顧客を大切にし、どの要求を断るのかという判断軸ができるわけではない。

その判断軸になるのが理念である。

そして理念は、作るだけではなく、社員が共感できるものにし、朝礼などを通じて毎日意識させ、日々の仕事に落とし込んでいかなければならない。

理念が浸透すれば、自社が改善すべきクレームと、毅然と断るべき要求を見分けやすくなる。

社員も、自分たちが何を守る会社なのかを理解し、自信を持って顧客と向き合えるようになる。

カスハラ対策とは、単に問題のある顧客を排除するためのものではない。

良い顧客と良い社員を守り、自社らしい経営を続けるためのものである。

そう考えると、

理念の浸透は、究極のカスハラ対策なのかもしれない。