魚の頭に行列ができる国で考えた食材の価値
海外へ行く楽しみの一つは、その土地の料理を食べることだ。
ただ、私は経営コンサルタントという仕事柄、
「おいしかった」
だけでは、なかなか終わらない。
この料理を日本で出すならどうするか。
誰が取り組めば採算が合うのか。
どんな食材を使えば、新しい価値をつくれるのか。
食べながら、つい商売のことまで考えてしまう。
今回のマレーシア旅行でも、いろいろな料理を食べた。
そこで改めて感じたのが、
食材の価値は、最初から決まっているわけではない。
ということだった。
その象徴が、ジョホールバルで食べたフィッシュヘッドカレーだった。
魚の頭を食べるために客が並ぶ
ジョホールバルでは、13年ぶりに再会した旧友が、地元で有名な老舗へ連れて行ってくれた。
店は大勢の客でにぎわっていた。
行列ができるほどの人気店で、シンガポールからわざわざ食べに来る人もいるという。
そこで食べたのが、
フィッシュヘッドカレー。
名前の通り、魚の頭が主役のカレーである。
大きな鍋のままテーブルへ運ばれてきた。
中には魚の頭が入り、白菜やオクラなどの野菜と一緒に煮込まれている。
魚から出ただしに、ココナッツミルクとスパイスが合わさる。
濃厚なのに、意外と重くない。
そして何より驚いたのが、
魚の頭を食べるために、これだけ多くの人が店へ来ている
ということだった。
日本でも魚の頭は、あら汁や兜焼きなどに使う。
決して捨てるだけの部位ではない。
しかし、刺身や切り身と比べれば、高い値段を付けにくいことが多い。
ところがマレーシアでは違う。
現地では、魚の頭の方が身より高く売られているという。
頭の周りには身もある。
ゼラチン質もある。
そして何より、骨からいいだしが出る。
つまり、
「価値の低い魚の頭を、無理やり高く売っている」
のではない。
最初から、
「魚のおいしい部位の一つ」
として見られているのである。
文化が違えば、
どの部位に価値を感じるかまで変わる。
これはとても面白いと思った。
日本なら「二人前の土鍋料理」にできる
では、この料理を日本で出すならどうするか。
私は、一人前に細かく分けるより、
魚の頭を丸ごと土鍋で出した方が面白い
と思う。
「二人前から注文できます」
でもいい。
大きな魚の頭が入った土鍋が、グツグツ煮えながらテーブルに運ばれてくる。
それだけで驚きがある。
写真も撮りたくなる。
一人で食べる料理ではなく、誰かと一緒に食べる理由にもなる。
例えば、
鯛のフィッシュヘッド・ココナッツカレー。
あるいは、
ブリかまのスパイスカレー。
白菜、オクラ、きのこなど、日本で手に入りやすい野菜を合わせてもいい。
現地料理をそのままコピーする必要はない。
日本の魚と、日本人の食べ方に合わせて組み直せばいい。
ただし、普通のカレー店が魚の頭だけを仕入れて始めるのは、少し難しいと思う。
魚の頭は、大きさも入荷量も安定しにくい。
下処理にも手間がかかる。
だったら、
魚を丸ごと仕入れている事業者がやった方がいい。
鮮魚店。
寿司店。
海鮮料理店。
旅館。
身は刺身や寿司、焼き物で売る。
頭やカマはカレーにする。
そうすれば、一尾からつくれる商品の数が増える。
これは単なるフードロス対策ではない。
一尾全体の価値を上げる商品開発
である。
大事なのは、
「捨てるものを使っています」
と社会性を前面に出すことではない。
まず、
おいしいから食べたい。
この店に来たら、これを食べたい。
という料理にすることだと思う。
結果として、今まで値段を付けにくかった部位まで活用できれば、その方が長く続く。
チキンライスも「誰がやるか」で変わる
クアラルンプールでは、チキンライスも食べた。
蒸し鶏とローストチキンを選ぶことができ、鶏のうま味が染み込んだご飯もおいしい。
ただ、現地のチキンライスは骨付きの鶏をぶつ切りにして出すことが多い。
日本で広く売るなら、私は骨を外した方がいいと思う。
現地の料理を忠実に再現することと、日本で商品として定着させることは別だからだ。
そして、もう一つ考えた。
チキンライスは、
誰がつくれば一番合理的なのか。
普通の飲食店が丸鶏を仕入れ、店で解体する。
それでは人件費がかかる。
一方で料理の見た目は比較的シンプルなので、高価格にも設定しにくい。
だったら、
養鶏場や食鳥加工場が、自社の鶏を売る出口商品としてつくったらどうだろう。
もともと鶏を育て、解体し、部位ごとに扱っている。
その事業者が飲食や商品開発まで手掛ければ、単独の飲食店とは違う原価構造をつくれる。
自社の鶏を知ってもらう看板商品にもなる。
同じ料理でも、
誰がやるかによって、事業の成立条件は変わる。
硬い親鶏にも役割がある
さらに考えたのが、採卵を終えた親鶏である。
親鶏は肉が硬く、若鶏と同じ食べ方をしようとすると使いにくい。
しかし、
「柔らかい肉として食べる」
という前提を外せば、話は変わる。
長く飼育された鶏なら、だしにうま味やコクを出す使い方ができる。
チキンライスのご飯を炊くスープ。
麺のスープ。
あるいはカレー。
若鶏の代用品として考えるから、
「硬い鶏」
になる。
最初からスープ原料として考えれば、
「いいだしが出る鶏」
になるかもしれない。
同じ食材でも、
役割を変えれば、価値も変わる。
普通のもやしが街の名物になる
イポーでは、もやし炒めを食べた。
太く、みずみずしく、短時間で炒めてあるので歯ごたえが残っている。
イポーは、もやしが名物として知られている。
考えてみれば、不思議である。
もやしは珍しい食材ではない。
日本にもある。
世界中にある。
それでも、
「イポーへ行ったら、もやしを食べる」
という文化ができている。
ホワイトコーヒーも同じだ。
コーヒー自体は世界中にある。
しかし、その土地の焙煎方法や飲み方が積み重なり、
「イポーのホワイトコーヒー」
という名物になった。
名物というのは、珍しい原料を発見しなければつくれないわけではない。
ありふれた食材でも、
その土地の環境。
作り方。
食べ方。
そして地元の人たちの愛着。
それらが積み重なることで、
「わざわざそこへ行って食べたいもの」
になる。
価値は食材そのものではなく、仕組みから生まれる
フィッシュヘッドカレー。
チキンライス。
親鶏。
もやし。
ホワイトコーヒー。
一見すると、まったく違う食べ物である。
しかし、今回食べ歩きながら考えていて、一つの共通点に気づいた。
それは、
食材そのものの価値は、最初から決まっていない。
ということだ。
魚の頭は、日本では安い部位になりやすい。
しかしマレーシアでは、それを食べるために行列ができる。
硬い親鶏も、柔らかい肉の代用品として見れば使いにくい。
しかし、スープやカレーの原料として見れば役割が変わる。
普通のもやしも、地域を代表する名物になる。
そして、これは単に料理人が新しいレシピを考えればいいという話ではない。
誰が原料を持っているのか。
どこで加工すれば手間を減らせるのか。
一尾、一羽から、どんな商品をつくれば全体の価値が上がるのか。
商品開発は、厨房だけではなく、仕入れや加工の仕組みから考える必要がある。
海外へ行って面白い料理を見つけたとき、
「日本でも同じ料理を出そう」
と考えるだけではもったいない。
なぜ、この料理はこの国で成立しているのか。
そこまで考える。
すると、日本では価値が低いと思われている食材や部位にも、
新しい出口をつくるヒント
が見えてくる。
今回のマレーシアでの食の体験は、
料理を楽しむ旅であると同時に、
価値のつくり方を考える旅
でもあった。
