はじめに:3度目の「無限城」
2025年7月15日より、あの大ヒット作の続編、劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来が、新たな上映形態である「4DX版」としてスクリーンに登場し、話題を呼んでいます。
「4DX、すごいらしいよ!一緒に行かない?」
妻からの誘いが、今回の体験のきっかけでした。私自身、この映画を観るのは今回で3回目。ストーリーの展開、キャラクターたちの心情、そして息をのむ戦闘シーンも十分に理解しています。しかし、不思議なことに、過去2回の鑑賞では、決まって同じ場面で涙腺が崩壊してしまうのです。
今回は、通常の鑑賞とは全く異なる「4DX」。一体どんな体験が待ち受けているのか?もしかしたら、もっと深く物語に没入できるのではないか?そんな期待に胸を膨らませ、少しばかりワクワクしながら、私たちは映画館へと向かいました。
そもそも「4DX」とは? – “観る”から“体感する”映画体験へ
ここで、4DXをまだ体験したことがない方のために、少しだけ説明をさせてください。
4DX®とは、現在、映画業界で最も注目を集める、最新の<体感型(4D)>映画上映システムです。
座席がただの椅子ではないのです。モーションシートと呼ばれるこの座席は、映画のシーンに完全にシンクロし、前後・上下左右へとダイナミックに動くことで、アクションの衝撃や乗り物の動きをリアルに再現します。
それだけではありません。
・嵐のシーンでは、ミスト状の**<水>**が顔に降りかかり、
・キャラクターが駆け抜ける場面では、**<風>**が頬をなで、
・稲妻が光る瞬間には、劇場全体が**<フラッシュ>**で閃光に包まれる。
さらに、特定のシーンを感情的に盛り上げる**<香り>や、戦いの場の臨場感を演出する<煙>**など、五感を刺激する様々な特殊効果が、私たちを物語の世界へと深く引き込んでくれます。
まさに、≪目で観るだけの映画≫から≪体全体で感じる映画≫への転換。通常のシアターでは決して得られないこれらの特殊効果によって、映画の持つ臨場感を最大限に引き出す、アトラクション・スタイルの映画上映システムなのです。
正直な感想:『鬼滅の刃』に4DXは必要なかったかもしれない
さて、ここからが本題です。 最新の映像技術と「鬼滅の刃」という最高のコンテンツの融合。期待値は最高潮に達していました。しかし、エンドロールが流れる頃、私の心にあったのは、予想とは少し違う、ある種の「冷静な」感情でした。
結論から言ってしまうと、「個人的には、鬼滅の刃を4DXで観る必要はなかったな」というのが、私の正直な感想です。
もちろん、4DXの体験そのものが悪かったわけではありません。猗窩座の破壊殺・羅針が展開されるシーンでは、そのすさまじい気迫に合わせてシートが激しく振動し、風が吹き荒れました。キャラクターが疾走する場面では、本当に一緒に走っているかのようなスピード感を味わえました。熱風や水の効果も、戦闘シーンの臨場感を高めていたのは事実です。
技術的には素晴らしく、迫力も満点でした。しかし、何かが違う。私の中で、何かが噛み合わない感覚がずっと続いていたのです。
なぜ、最高の体験のはずが「邪魔」に感じてしまったのか
その違和感の正体は、鑑賞後に少し考えてみて、はっきりとわかりました。
私にとって『鬼滅の刃』という作品は、ただアクションがすごいだけの映画ではありません。もちろん、ufotableが描く戦闘シーンの作画は圧巻の一言です。しかし、それ以上にこの物語の核となっているのは、キャラクターたちの抱える過去、信念、そして彼らが織りなす重厚な人間ドラマであり、心に深く突き刺さる「考えさせられる」要素だと思っています。
炭治郎の優しさと覚悟、他のキャラクターたちが背負う哀しみ、そして鬼となってしまった者たちの悲哀。そうした繊細な感情の機微に触れ、物語の世界に深く没入し、静かに心を揺さぶられる時間こそが、『鬼滅の刃』を鑑賞する上での醍醐味だと私は感じています。
しかし、4DXのダイナミックな「動き」は、その大切な時間を遮ってしまうのです。
例えば、あるキャラクターが過去を回想し、その悲しい運命に胸が締め付けられるようなシーン。ここでじっくりと感情移入したいのに、場面転換のわずかな動きに合わせて座席が「ガタン」と動く。 あるいは、戦いの中で交わされる、キャラクターの信念をかけた哲学的な問答。その言葉一つ一つを噛み締めたいのに、エフェクトの風が「ビューッ」と吹き付けてくる。
この物理的な刺激が、没入しかけた思考を度々中断させてしまうのです。まるで、感動的な小説を読んでいる最中に、誰かに肩を揺さぶられているような感覚、とでも言えば伝わるでしょうか。
結果として、どうなったか。 あれほど過去2回の鑑賞で涙した、あの場面。今回、私の目から涙がこぼれることはありませんでした。感動が薄れたわけではありません。感動に浸る「余裕」を、4DXの揺れや衝撃に奪われてしまったのです。
4DXが輝く映画、そうでない映画
誤解しないでいただきたいのですが、私は4DXというシステム自体を否定したいわけでは全くありません。むしろ、作品によっては最高の体験を提供してくれると確信しています。
例えば、先日観た『ジュラシック・ワールド』。これは間違いなく4DXに向いていると感じました。 ティラノサウルスに追われるシーンでは、その地響きと恐怖がシートの振動を通してダイレクトに伝わってきます。ヴェロキラプトルに襲われる場面では、すぐそこまで迫っているかのような風圧と衝撃に、思わず声が出そうになる。スリルとアクションがメインの映画では、4DXの特殊効果は臨場感を何倍にも増幅させ、最高のエンターテイメント体験を演出してくれるのです。
つまり、4DXとの相性は、作品の性質によって大きく変わるのではないか、というのが私の考えです。絶叫マシンに乗るようなスリルや、テーマパークのアトラクションのような体験を求める映画であれば、4DXは最高のスパイスになります。しかし、『鬼滅の刃』のように、アクションの迫力と、静かな感動や深い思索が両立している作品の場合、そのスパイスが、繊細な味わいをかき消してしまう可能性があるのかもしれません。
そして、忘れてはならないのが料金です。通常の鑑賞料金にプラスで1,000円近く高い設定。今回の私のように、作品とのミスマッチを感じてしまうと、その価格差は「割高」という印象に繋がってしまいます。
最高のサービスが、常に最良のサービスとは限らない
今回の映画鑑賞は、私に一つ、大切な気づきを与えてくれました。それは、「お客様や場面によって、本当に必要なサービスは違う」ということです。
ビジネスの世界では、より高価で、より多機能なものが「一番良いサービス」だと思われがちです。もちろん、最高の技術や素材を使ったサービスは、品質が高いことは間違いありません。今回の4DXも、技術的には素晴らしいものでした。
しかし、お客様が本当に求めているものや、そのサービスを利用する場面(今回の場合は、鑑賞する映画のジャンル)によっては、その高機能さが逆に満足度を下げてしまうことだってあり得るのです。
静かに物語に浸りたいお客様にとっては、激しく動くシートよりも、座り心地の良い静かなシートの方が価値が高いかもしれない。価格を抑えて何度も映画を楽しみたいお客様にとっては、特殊効果のないシンプルな上映スタイルこそが、より良いサービスになることだってあるはずです。
「一番高いサービス」が、必ずしも「お客様にとって最良のサービス」になるとは限らない。サービスの本当の価値は、価格や機能の多寡だけで決まるのではなく、お客様のニーズやその時の状況に、いかに寄り添えるかによって決まるのだと、改めて考えさせられた体験でした。
おわりに
3度目の「無限城編」は、涙の代わりに、サービスの本質とは何かという、思わぬ問いを私に残してくれました。
もちろん、これはあくまで私個人の感想です。もしかしたら、「あの戦闘シーンの迫力は4DXでしか味わえない!」と絶賛する方も大勢いらっしゃるでしょう。感じ方は人それぞれであり、それこそが多様なサービスの面白さなのだと思います。
あなたなら、『鬼滅の刃』をどんな環境で観たいですか?もし4DX版を観た方がいらっしゃれば、ぜひその感想も聞いてみたいものです。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役