鞍馬山には何がある? 行ってみたら謎が増えた
「明日は鞍馬山に行くんです」
京都のホテル近くのビアバーでそう話すと、従業員の方に聞かれた。
「行かれる方は結構いらっしゃいますが、何があるんですか?」
鞍馬寺は近年、パワースポットとしても知られている。でも、何があるかと聞かれると、すぐには答えられない人も多いのかもしれない。梵字展で会った法友にも、福岡の知人にも同じことを聞かれた。
僕なら、まず「牛若丸が修行したと伝わる場所」と答える。次に「レイキの創始者、臼井甕男先生が断食修行をした山」。そして相手によっては、「金星から護法魔王尊が降臨したという伝承もある」と話す。最後の話は、わかる人にだけすることにしている。
翌日、叡山電鉄の出町柳駅へ行くと、天狗の面が飾られていた。それを見た人が友人に尋ねる声が聞こえた。
「ここって、天狗が有名なの?」
鞍馬山へ向かう電車に乗る前から、また同じような問いに出会った。
一生もののうちわ
「鞍馬山」と聞いて相当な山登りを覚悟していたが、鞍馬駅からケーブルカーを使うと、本堂までは思ったほど大変ではなかった。
本堂では中に上がってお参りし、厄を払うといううちわを授かった。説明には、一生ものだと書いてあった。
それを見て、行きの電車で読んでいた、伯家神道の秘儀伝承者が書いた本を思い出した。願うことより、まず祓うことが大事だ、と書かれていたのだ。
別々の場所で出会った言葉が、鞍馬寺のうちわを手にしたときにつながった。
牛若丸は、なぜ鞍馬寺に来たのか
本堂の先にある鞍馬山博物館が、思いのほか面白かった。
まず目に留まったのは石の展示。鞍馬山の地層の前身は、約2億5、6千万年前にさかのぼるという。牛若丸の時代よりはるかに長い時間が、この山には積み重なっているのかと驚いた。
義経の展示では、平安から鎌倉へ移る時代の流れも見えた。そこで考えたのが、「そもそも牛若丸は、なぜ鞍馬寺に来たのか」ということだった。
父の源義朝が平治の乱で敗れたあと、牛若丸は鞍馬寺に預けられた。母の常盤御前は、子どもたちの命を守ろうとしたという。
僕はこれまで「牛若丸が天狗と剣術を修行した山」として鞍馬を知っていた。でも、その前に牛若丸は、敗れた側の子どもとして生き延びなければならなかったのだ。
博物館では、平清盛のことも気になった。
清盛は太政大臣になって間もなく辞め、翌年には出家している。それなのに、その後も大きな力を持っていたように見える。役職を離れても残る権力とは、どんな仕組みなのだろう。経営に携わる僕には、肩書と実際に人を動かす力の違いが妙に気になった。
清盛が力を持つ時代に、源氏の子どもが鞍馬山で育っていた。別々に覚えていた歴史上の人物が、年表の中でつながっていく。
天狗は、誰だったのか
博物館には、当時の宗教や山で修行する人たちの話もあった。
そこで浮かんだのが、「牛若丸に兵法を教えたという天狗は、誰だったのか」という疑問だ。山に修行僧がいたのなら、伝説の向こうに、実際に牛若丸へ何かを教えた人物がいたのかもしれない。
僕の想像は、そこからさらに飛ぶ。宇宙人だったのではないか。あるいはユダヤ人だったのではないか。
山伏や天狗が頭に付ける小さな装具が、ユダヤ人のキッパにも見えるからだ。もちろん、形が似ていることは、天狗の正体を示す証拠にはならない。これは僕の勝手な想像である。でも「天狗に教わった」という言葉の奥に何があったのか、考えずにはいられなかった。
牛若丸はその後、鞍馬寺を出て奥州平泉へ向かった。京都の山で育った少年が東北まで行ったのかと思うと、その距離にも驚く。
義経には、さらに北へ逃れて大陸に渡り、チンギス・ハンになったという伝説まである。博物館で元寇の年号を見たとき、僕は思わず計算した。
義経が生きていて、元寇のとき日本へ攻めてきたとすれば、115歳を超えてしまう。そもそも元寇を命じたのはチンギス・ハンではなくフビライだ。
伝説は面白い。でも年号を確かめれば、「それは現実的だろうか」と立ち止まることもできる。博物館では展示を眺めるだけでなく、自分の頭であれこれ考えていた。
日本で生まれ、海外へ広がったレイキ
僕には、もう一つ気になることがあった。レイキの創始者、臼井先生が修行したという鞍馬山を歩くことだ。
僕自身、レイキマスターの資格を持っている。それでも「レイキって何?」と聞かれることは多い。
相手が『NARUTO』を知っていれば、医療忍者が手を当てる場面を例にする。『北斗の拳』を知っていれば、トキが手を当てる術のようなイメージ、と伝える。もちろん漫画の術と同じものではないけれど、「手を当てる」ところから話すと伝わりやすい。
日本で生まれたレイキは、今の日本では馴染みの薄い言葉かもしれない。一方、海外では「Reiki」として英語辞典にも載り、医療の場で補完的なケアとして用いられることもある。
臼井先生が鞍馬山で21日間の断食修行をしたという話は知っていた。けれど、山のどこで過ごしたのかはわからない。
博物館を出て奥の院への道に入ると、本堂までとは山の様子が一変した。木の根が地表を這い、足元を選びながら進む。牛若丸が夜に天狗から兵法を教わったと伝わるのも、この奥の一帯だ。
「臼井先生も、この辺りを歩いたのだろうか」
場所を特定できなくても、実際の山道に立つと、知識として聞いてきた話の感じ方が変わった。
見つからなかった洞窟
本来、貴船まで山を越える予定はなかった。
以前あるイベントで、鞍馬山には宇宙人がいた場所、地下への入口のような洞窟があるという話を聞いた。その洞窟がどこにあるのか気になり、奥へ進んでみた。
そう簡単には見つからないだろうと思っていたが、やはり見つからなかった。
道は思った以上にハードだった。木の根道のあたりを過ぎると貴船へ向かって下りが続き、階段も急だ。途中、足を下ろした先に石があったのか、少し足をひねった。しばらく休むと痛みがだいぶ落ち着いたので、歩いて先へ進んだ。
貴船神社に着いて驚いたのは、人の多さだった。狭い道に人も車も集まっている。鞍馬の奥の静けさから出てきた僕には、その「人の気」が強烈だった。
何があるかを知ってから行きたい
「パワースポット」と聞けば何となく行き、「神社」と聞けば何となくお参りする。そんな人が増えている気がする。
僕が気になるのは、「パワーがある」と聞いただけで、その力が自分にとって良いものだと決めてしまうことだ。僕は、プラスに働く力もあれば、マイナスに働く力もあるかもしれないと思っている。
神社へ行くなら、どんな神様が祀られ、どんなご利益が期待できるのかは知っておきたい。お寺でも、何が祀られている場所なのかを知ってからお参りしたい。
「鞍馬山には何があるんですか?」
出発前に何度も聞かれたこの質問は、僕も含めて、訪れる前に考えておきたい問いだった。
今回は貴船から帰った。行くつもりだった鞍馬温泉にはタイムオーバーで寄れず、ビアバーでせっかくいただいた割引券も使えなかった。汗だくのまま京都駅へ戻り、駅近くのネットカフェでシャワーを浴びることになった。
初めての鞍馬の旅は、これで終了。次は貴船側から山に入り、鞍馬へ向かって登ってみたい。一度歩いたので、次回はもっと上手に回れるだろう。
木の根道の分岐も、洞窟の手がかりも、今度は時間をかけて探す。そして鞍馬温泉でひとっ風呂浴びて帰りたい。
そのときに「ああ、あそこに洞窟があったのか」と思えたら、うれしい。
