海外の博物館で日本史の続きが見えた

~マレーシア国立博物館で考えた歴史とビジネス

今回のマレーシア旅行で、最初に大きな気づきを得たのが、クアラルンプールにあるマレーシア国立博物館だった。

海外へ行くと、私はできるだけ博物館を見るようにしている。

その国の成り立ちを知らずに街だけを歩くより、歴史を知ってから見る方が、建物も人々の暮らしも違って見えるからだ。

私はマレーシアに対して、イスラム教徒が多い国という印象を持っていた。

もちろん現在のマレーシアを理解するうえで、イスラム教は欠かせない。

しかし展示をたどっていくと、イスラム教が広がるより前に、仏教やヒンドゥー教の文化がこの地域へ伝わっていたことが分かる。

現在の姿だけを見て、その国の歴史全体を分かったつもりになってはいけないと思った。

そして何より驚いたのが、

マレー半島の歴史が、日本史と何度もつながっていたことだ。

学校では「日本史」と「世界史」を分けて習う。

しかし、実際の歴史にそんな境界線はない。

遠く離れた地域で起きた変化が、貿易や宗教、人の移動を通して日本へ届き、日本の文化や産業まで変えている。

香辛料が世界を動かした

マレー半島は、古くから東西交易の重要な場所だった。

特にマラッカ海峡は、インド洋と南シナ海を結ぶ海上交通の要衝である。

香辛料を求める商人や船が行き交い、マラッカは交易都市として栄えた。

現在の地図を見れば、細長い海峡の一つに見える。

しかし、そこを通れるかどうかが世界の商売を左右した時代があった。

ヨーロッパでは胡椒などの香辛料に大きな需要があり、新しい交易ルートを求める動きが広がっていく。

そして大航海時代へとつながっていった。

大航海時代というと、冒険家が新しい世界を目指した物語として習うことが多い。

しかし、その背景にあったのは、

「高く売れる商品を手に入れたい」

という人間の欲であり、

「交易の主導権を握りたい」

という国家の思惑でもあった。

ポルトガルは1511年にマラッカを占領し、その後、オランダやイギリスもこの地域へ進出していく。

商売の通り道を押さえることが、やがて政治や軍事の支配につながった。

こうして一つの流れとして見ると、

市場が国を動かし、人間の欲が歴史を動かしてきた

ことが見えてくる。

ザビエル来日の前段はマラッカにあった

フランシスコ・ザビエルについても、私はこれまで日本史の中だけで理解していた。

1549年に鹿児島へ来て、キリスト教を伝えた人物。

それは知っている。

しかし、

なぜザビエルは日本へ来たのか。

その前段を詳しく考えたことはなかった。

博物館を案内してくれたガイドの説明では、ザビエルは当時、マレーでの布教活動が思うように進んでいなかったという。

そこで出会ったのが、薩摩出身の日本人アンジローだった。

アンジローから日本の話を聞いたことで、新たな布教先として日本へ目を向けるようになった。

つまり、

日本史の教科書に登場するザビエル来日の入口は、マレー半島にあった。

そしてザビエルにとって、日本は最終目的地ではなかった。

その先に中国を見ていた。

日本側から見ると、ある日突然、外国から宣教師がやって来たように見える。

しかし世界側から見れば、

ヨーロッパからインドへ。

マラッカへ。

そして日本へ。

さらに中国へ。

その長い移動の途中に、日本があった。

日本史の出来事には、その前に世界で起きていたことがあり、その後にも続きがある。

その前後を知らなければ、私たちは結果だけを暗記することになる。

有田焼を育てた世界の供給不足

陶磁器の展示にも、日本と世界のつながりが見えた。

中国で明から清へ王朝が変わる時期に混乱が起こり、ヨーロッパ向けの磁器供給が不安定になった。

一方、ヨーロッパには中国磁器を求める需要が残っている。

そこで、代わりの供給地として日本が注目された。

有田で生産された磁器が伊万里港から積み出され、海外へ渡っていく。

もちろん、日本の職人に高い技術があったからこそ成立した話だ。

しかし、それだけではない。

中国から商品が十分に入ってこない。
でも、ヨーロッパには需要がある。
そこで、日本の商品に注文が集まる。

これは、現代のビジネスでも同じではないだろうか。

ある国から原材料が入らなくなる。

関税が変わる。

戦争や感染症で物流が止まる。

すると、それまで注目されていなかった国や企業に突然注文が集まる。

有田焼の海外展開は、

今でいう「サプライチェーンの断絶によって生まれた代替需要」

と見ることもできる。

自社の商品だけを見ていても、市場がなぜ動くのかは分からない。

競合国の政治、物流、為替、宗教、技術。

一見、自分の商売とは関係がなさそうなところで起きた変化が、次の市場をつくることがある。

歴史を学ぶことは、過去を知るだけではない。

市場変化を読む訓練でもある。

内部対立が外部の介入を招く

マレーシアの歴史には、錫などの資源をめぐる争いも登場する。

地域内部の対立が収まらず、外部勢力に調停や支援を求める。

ところが外部勢力が経済や行政へ入り込み、やがて主導権そのものを握っていく。

これも、昔だけの話ではないと思った。

企業でも内部対立が長引けば、取引先や金融機関、外部資本などの影響力が強くなることがある。

助けを求めることが悪いわけではない。

しかし、自分たちで意思決定できない状態が続けば、最後には経営の主導権まで失いかねない。

国と会社では規模がまったく違う。

それでも、人間が集まり、利害を調整し、限られた資源を配分するという点では共通している。

だから歴史の中には、経営を考えるヒントがいくつもある。

歴史は、人の心理によって繰り返す

「歴史は繰り返す」と言われる。

ただし、同じ事件がそのまま繰り返されるわけではない。

国の名前も違う。

制度も違う。

技術も違う。

それでも、

欲しい。
失いたくない。
相手より有利になりたい。
安心したい。
自分の立場を守りたい。

そうした人間の心理は、何百年たっても大きくは変わらない。

だから、似た構造が形を変えて何度も現れるのだと思う。

香辛料を求めて航路を探した時代と、半導体やエネルギーを確保しようとする現在では、扱う商品はまったく違う。

しかし、

重要な資源を押さえたい

という心理には共通するものがある。

磁器の供給不足から日本に注文が集まったことも、現在のサプライチェーン再編と重なって見える。

日本史を知るために、日本を出る

そして今回、一番強く感じたのが、

歴史がどう繰り返すのかを知るには、日本史だけを見ていては分からない

ということだった。

日本史と世界史。

経済史。

宗教史。

技術史。

これらを一本につないで初めて、

「なぜ日本でこの出来事が起きたのか」

が見えてくる。

日本で起きたことを日本の中だけで説明しようとすると、本当の原因を見落としてしまうことがある。

海外の博物館には、

「日本史の外側」

が展示されている。

ザビエルが日本へ来る前に何をしていたのか。

なぜ日本の磁器が海外で必要とされたのか。

日本の教科書では数行で終わってしまう出来事の、その前と後が海外には残っている。

今回、マレーシア国立博物館を歩きながら、改めて思った。

歴史は、年号と人物を覚える学問ではない。
因果関係を読む学問なのだ。

そして、その読み方は経営にも役立つ。

なぜ市場が動いたのか。

次にどこへ需要が移るのか。

人はなぜその選択をするのか。

その答えは、最新の経済ニュースだけにあるとは限らない。

何百年も前の歴史の中に、これから起きることのヒントが隠れているかもしれない。

日本史を深く知るために、日本を出てみる。

少し逆説的だが、今回のマレーシア旅行で得た大きな気づきの一つだった。

次に海外へ行ったときも、私はその国の博物館を訪ねたい。

そして展示の中に、

日本へ続く見えない航路

を探してみたいと思う。