僕は普段、テレビをほとんど観ません。特に、情報が一方的に流れてくるニュースやワイドショーは、自ら進んで観ることはまずありません。NHKも例外ではなく、これまでの人生で朝ドラ(連続テレビ小説)を熱心に視聴した記憶もありませんでした。
しかし、2025年に放送された連続テレビ小説『あんぱん』だけは違いました。
どうしても気になってしまい、放送終了後にAmazonプライムビデオで全話を一気見してしまったのです。
私がやなせたかし先生に惹かれた「本当の理由」
なぜ、そこまでして『あんぱん』を観たかったのか。それは、モデルとなったやなせたかし先生の半生に、強烈な興味を抱いていたからです。
そして、その興味の根源は、単なる「偉人伝」への関心ではありません。 一言でいえば、「同じ気質を持つ人間」としての興味でした。
私は長年、九星気学(きゅうせいきがく)を学んでいます。これは、生年月日を基に人を9つの「気(エネルギー)」に分類し、その人の本質的な気質や運勢の流れを読み解く統計学です。
この九星気学で診ると、人は生まれ年によって「一白水性」から「九紫火性」まで、9つの本命星(気質)のいずれかに必ず分類されます。
そして、私自身の本命星は「九紫火性(きゅうしかせい)」。 情熱的で、直感力に優れ、美的なセンスを持つ反面、熱しやすく冷めやすいとも言われる星です。
そう、何を隠そう、やなせたかし先生も、私と同じ「九紫火性」の気質を持たれた方なのです。だからこそ、どうしようもなく気になったのです。
あなたの「気質」を知っていますか?
少し九星気学について触れます。 これは、四柱推命や算命学が主に「生まれた日」を重視して個人の詳細な運命を見るのに対し、九星気学は「生まれた年」を重視し、その人が持つ社会的な役割や本質的な気質、そして「気の流れ(運気)」を見ることに長けた占術です。私が属する「九紫火性」の気質を持つ有名人を調べてみると、錚々たる顔ぶれが並びます。
・黒澤明
・北野武
・イチロー
・スティーブ・ジョブズ
・スティーブン・スピルバーグ
・ウォルト・ディズニー
クリエイティブな世界で頂点を極めた人、時代の先駆者となった人、強烈なカリスマ性で人々を導いた人…。もちろん、これが全てではありませんが、九紫火性には「先見性」や「世の中の先導役」といった側面があることが伺えます。
ここで、一つ興味深い言葉があります。 今では放送禁止用語とされている「きちがい」という言葉です。不快に思われるかもしれませんが、この言葉の本来の表記は「気違い」だと私は考えています。
読んで字のごとく、「気が違う」こと。 これは、現代で使われるような「気が狂っている」という差別的な意味ではなく、「自分と気質が違うことをやっている(やろうとしている)」状態を指すのではないでしょうか。
つまり、水性の気質を持つ人が、火性の気質の人のやり方を真似しても、うまくいかない。それは「気違い」だからです。自分本来の気質から外れたことをしているのですから、苦しくなるのは当然です。
もし、今あなたが人生に迷っていたり、何をやってもうまくいかないと感じていたりするならば、まずは「自分と同じ気質の成功者」**を探し、その人を真似てみる(モデリングする)ことをお勧めします。
その人が本を出版されているなら、片っ端から読んでその思考に触れる。大河ドラマや朝ドラの主人公になっているなら、私のようにドラマを観て、その人生の追体験をしてみる。
まずは、自分が9つの気質のうち、どれに属するのかを知ることから始めてみてはいかがでしょうか。
ドラマ『あんぱん』から感じ取ったこと
さて、私が「九紫火性の偉大な先輩」として観たドラマ『あんぱん』。 もちろん、このドラマは史実を忠実に描いたドキュメンタリーではなく、やなせたかし先生(ドラマでは北村匠海さん演じる柳井嵩)と、妻の小松暢さん(今田美桜さん演じる朝田のぶ)をモデルにしたフィクション作品です。
しかし、その根底に流れる哲学や苦悩のエッセンスは、強く伝わってきました。
今や、日本で知らない人はいない国民的キャラクター「アンパンマン」。 それが、最初から大ヒットしたわけでは決してないこと。それどころか、当初は「顔を食べさせるなんて残酷だ」「気持ち悪い」と酷評され、全く売れなかったという「生みの苦しみ」。そして、何よりも、最愛の妻である暢さん(のぶ)の支えなしには、アンパンマンは絶対に生まれていなかっただろうということ。戦争という激動の時代を二人三脚で乗り越え、夫の才能を信じ続けた妻の存在の大きさを、ドラマは克明に描いていました。
「本当の悲しみ」を知らないと、「本当の笑顔」は生まれない
やなせ先生の哲学を語る上で欠かせないのが、ご自身の戦争体験です。
以前、こんな話を聞いたことがあります。 やなせ先生が作詞した名曲『手のひらを太陽に』。その歌詞について、ある人が質問したそうです。
「先生、なぜ1番の歌詞は『かなしいんだ』で、2番は『笑うんだ』や『嬉しいんだ』なんですか?」
すると、やなせ先生はこう答えたといいます。
「本当の悲しみを知らないと、本当の笑顔が生まれないんだよ。」
この言葉は、まさに戦争体験、そして弟さんを戦争で亡くしたという深い悲しみに出会い、それを乗り越えたご自身の体験から生まれたものでしょう。ドラマでも、戦争によって生きる意味さえ見失いかけた主人公夫婦の姿が描かれていました。 確かに、私が出会ってきた人たちを思い返しても、本当に素敵で、深みのある笑顔をお持ちの方は、その裏で、言葉にできないような深い悲しみを乗りこえてこられた方が多いように思います。
逆転しない正義、その答えがアンパンマン
そして、このドラマ、そしてやなせたかし先生の半生を通じて、私が最も印象に残った言葉。 それが「逆転しない正義」という哲学です。
戦争中、昨日まで「正義」とされていたものが、敗戦した途端に「悪」となる。国のために戦うことが「正義」だったはずが、一夜にして全てがひっくり返る(逆転する)。やなせ先生は、この「正義」の脆さ、胡散臭さを骨身に沁みて感じたのでしょう。
では、勝者や立場によって「逆転」してしまうものではなく、絶対的な、「逆転しない正義」とは何なのか?
その答え、その信念の象徴こそが、「アンパンマン」だったのだと、私は確信しました。
アンパンマンは、敵を暴力で打ち負かしません。 彼は、お腹を空かせている人がいれば、自分の顔(パン)をちぎって分け与えます。たとえ自分が弱ってしまっても、目の前の「ひもじい人」を助けることを最優先する。
この「自己犠牲」と「飢えている人を助ける」という行為こそ、どんな時代でも、どんな立場の人から見ても、決して「悪」に逆転することのない、絶対的な正義であると、やなせ先生は考えたのです。アンパンマンは、やなせたかし先生の信念そのものなのです。
九紫火性の先駆者と「時代が来るまで待つ」大切さ
この「逆転しない正義」という概念も、アンパンマンという存在も、発表当時はあまりに新しすぎました。
ここで、再び九紫火性の話に戻ります。 私は、九紫火性の気質を持つ人は「世の中の先導役」ではないかと思っています。時代の一歩先、時には二歩も三歩も先を見てしまう。
アンパンマンも、まさにそうでした。 「ヒーローが顔を分け与えて弱くなる」という設定は、当時の「強くて無敵なヒーロー」という時代背景には全く合わなかったのです。だから売れなかった。
しかし、やなせ先生は自分の信念を曲げなかった。
九紫火性は「熱しやすく冷めやすい」とよく言われます。アイデアが閃くと一気に燃え上がりますが、壁にぶつかったり、周囲に理解されなかったりすると、すぐに冷めて諦めてしまいがちです。
しかし、やなせ先生の人生は、私たち九紫火性の人間に、最も大切なことを教えてくれている気がします。
それは、「時代が自分に追いつくまで、待つことの大切さ」です。
アンパンマンが絵本として世に出たのは1973年、やなせ先生54歳の時。そして、テレビアニメ化されて国民的人気を得たのは1988年、実に69歳の時です。
自分の信念が「早すぎた」としても、それを手放さず、熱を保ち続け、時代が追いついてくるのを待ち続ける。それこそが、先導役(パイオニア)としての真の強さなのかもしれません。
『あんぱん』というドラマは、私にとって、同じ気質を持つ偉大な先輩からの、時空を超えた熱いエールとなりました。
火を燃やし続けた「薪」の存在
今回、やなせ先生の半生を九紫火性という気質から見つめ直したことで、もう一つ、深く考えさせられたことがあります。
それは、「九紫火性は、一人では燃え続けられない」ということです。
九紫火性は「火」の象徴。それ自体は情熱的で、周囲を照らす明るさや才能という「火種」を持っています。しかし、火がその勢いを保ち、燃え続けるためには、必ず「薪(まき)」や「油」、そして「酸素」といった、燃えるための材料や環境が必要です。
やなせたかし先生という強烈な「火種」にとって、その「薪」となったのは誰だったのか。 それは間違いなく、妻の小松暢さんだったのではないか、と私は思いました。
ドラマでも描かれていたように、才能はありながらも50歳を過ぎるまでなかなか代表作に恵まれなかった夫を信じ、支え続けた暢さん。彼女という存在がなければ、やなせ先生の情熱の火は、時代が追いついてくる前に燃え尽きていたかもしれません。
実際に、やなせ先生は奥様が亡くなられた後、茫然自失となり体重が12kgも減少したといいます。それは単なる精神的な支えを失ったというだけでなく、ご自身の「火」を燃やし続けてくれた最大のエネルギー源を失ったことの表れだったのではないでしょうか。
「暢がいなかったら、アンパンマンは生まれなかった」
この言葉は、九紫火性という気質的にも、まさに真実だったのだと、私は改めて感じています。この作品を生み出してくれたすべての方に、そして何より、アンパンマンという「逆転しない正義」をこの世に残してくれた、やなせたかし先生と、彼を支え続けた暢さんに、心からの感謝を贈りたいと思います。
参考資料
以下に、ご提供いただいた情報を基に、ドラマ『あんぱん』とやなせたかし先生の基本情報をまとめます。
📺 連続テレビ小説『あんぱん』基本情報
放送期間: 2025年3月31日〜9月26日(全130話、26週)
放送時間: 月曜〜土曜 午前8時〜8時15分(NHK総合)
制作: NHK東京放送局
脚本: 中園ミホ
主演: 今田美桜(朝田のぶ 役)
相手役: 北村匠海(柳井嵩 役 / やなせたかしがモデル)
音楽: 井筒昭雄
主題歌: RADWIMPS「賜物」
語り: 林田理沙アナウンサー
作品概要
「アンパンマン」を生み出したやなせたかしと妻・小松暢をモデルにしたフィクションドラマ。戦後80年という節目の年に、生きる意味も失っていた苦悩の日々と、それでも夢を忘れなかった夫婦の愛と勇気の物語。
物語の舞台と時代設定
時代: 1927年(昭和2年)〜1993年(平成5年)
舞台: 高知県を中心に、東京なども登場・テーマ: 「逆転しない正義」を体現した『アンパンマン』にたどり着くまでの道のり
主な出演者
今田美桜、北村匠海、江口のりこ、河合優実、原菜乃華、高橋文哉、眞栄田郷敦、大森元貴、戸田菜穂、戸田恵子、浅田美代子、吉田鋼太郎、妻夫木聡、阿部サダヲ、松嶋菜々子 ほか
あらすじ
高知県で「ハチキンおのぶ」と呼ばれる活発なヒロイン・朝田のぶが、幼馴染の柳井嵩(やなせたかしがモデル)と再会。教師、記者、秘書など様々な職業を経験しながら、戦争の時代を生き抜く。戦時中、愛国教育を教えたことを悔い教師を辞職し、夫も戦争で亡くすなど生きる意味を見失うが、復員した嵩に励まされ新聞記者として再起。二人は夫婦となり、嵩が漫画家として独立。様々な苦難を乗り越え、『アンパンマン』にたどり着くまでの道のりを描く。
👤 やなせたかし先生 略歴
本名: 柳瀬 嵩(やなせ たかし)
生年月日: 1919年(大正8年)2月6日
出身地: 東京府北豊島郡滝野川町(現:東京都北区)
父方実家: 高知県香美郡在所村(現:香美市香北町)
没年月日: 2013年(平成25年)10月13日(94歳没)
職業: 漫画家、絵本作家、詩人、作詞家、デザイナーなど・妻: 小松暢(編集者、1993年没)
代表作
・絵本『アンパンマン』シリーズ(1973年〜)
・『手のひらを太陽に』(作詞、1961年)
・『やさしいライオン』(絵本・アニメ)・4コマ漫画『ボオ氏』(週刊朝日漫画賞受賞)
・4コマ漫画『ボオ氏』(週刊朝日漫画賞受賞)
人生の歩み
1919年: 東京で生まれる。
1924年(5歳): 父が中国で客死。母と弟とともに高知へ移住。母の再婚後、弟と共に伯父に引き取られる。
1940年: 東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)卒業後、田辺製薬に就職。
1941年(22歳): 徴兵され、陸軍に入営。中国大陸に出征。暗号担当や宣撫工作(紙芝居制作)に従事。この戦争体験、特に海軍に志願した弟・千尋氏の戦死(22歳没)が、後の「正義」に対する哲学に決定的な影響を与える。
1946年: 復員。高知新聞社に入社し、後に妻となる小松暢と出会う。
1947年: 暢を追って上京し、三越百貨店宣伝部に入社。
1949年: 小松暢と結婚。
1953年: 漫画家として独立。
1961年: 『手のひらを太陽に』作詞。国民的名曲となる。
1969年: 雑誌『PHP』に短編「アンパンマン」を発表(50歳)。
1973年: 絵本『あんぱんまん』刊行。当初は酷評される。
1988年: テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」放送開始(69歳)。妻・暢が乳がんと診断される。
1990年: 「アンパンマン」で日本漫画家協会大賞受賞。
1993年: 最愛の妻・暢が75歳で死去。
1996年: 「やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム」開館。
2013年: 心不全のため死去(94歳)。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役