才能は、何のために使うのか――映画『マイケル』を観て
映画『マイケル』を観た。
正直、想像していた以上によかった。
公開されてからそれなりに時間が経っているはずなのに、映画館には結構お客さんが入っていた。
感覚的には、公開されたばかりの『キングダム』より多いのではないかと思ったほどである。
もしかすると、何度も観に来ている人もいるのかもしれない。
それくらい、もう一度観たくなる映画なのだと思う。
映画では、マイケルがまだ子どもの頃、父親が男兄弟5人でバンドを組ませ、音楽活動を始めさせるところから描かれている。
父親は、いわばプロデューサーであり、マネージャーでもあった。
兄弟たちを厳しく指導し、売れるための道をつくっていく。
その中でメインボーカルを務めていたのが、一番年下のマイケルだった。
やがてマイケルは成長し、自分が本当にやりたい音楽、自分が届けたいものを見つけていく。
僕がこの映画を観て一番心に残ったのは、マイケル・ジャクソンが単にスーパースターになりたかったわけではない、ということだった。
彼は、自分が有名になりたいからスターを目指したわけではない。
自分の歌とダンスを通じて、
「世界中の人に愛と喜びと癒しを与えたい」
そう考えていた。
そして、言葉が通じなくても、歌とダンスなら世界中の人とわかり合える。
そんな思いを持っていたように感じた。
僕はそこに、とても強く惹かれた。
成功することが目的ではなかった
父親は確かに、マイケルの才能を早い段階で見抜いていたのだと思う。
そして、その才能を世に出す力も持っていた。
ただ、映画を観ていると、そこにはどうしても、
「成功させたい」
「稼がせたい」
という思いが滲み出ているように感じた。
もちろん、それがすべて悪いという話ではない。
実際、父親の存在がなければ、マイケルがあれほど早く音楽の世界に出ることもなかったのかもしれない。
しかし、マイケルとは根本的なところで価値観が違っていたのではないかと思う。
父親にとっては、成功やお金そのものが目的に近かった。
一方でマイケルにとって、スーパースターになることは目的ではなかった。
世界中の人に愛と喜びと癒しを届けるための手段だったのではないか。
同じ「成功」を目指しているように見えて、目指しているものがまったく違う。
だからこそ、二人は合わなかったのだろうと思う。
そしてマイケルは、自分の夢を諦めなかった。
映画では、マイケル以外の兄弟についてはそれほど深く描かれていないが、僕には、他の兄弟たちは基本的に父親の方針に従っていたように見えた。
しかし、マイケルは違った。
自分が本当にやりたい音楽、自分が届けたいものがはっきりするにつれて、その夢を実現するために、自ら環境を変えようとした。
同じ家庭に生まれ、同じ父親のもとで音楽活動をしていても、与えられた環境の中にとどまるのか、それとも自分の夢のために環境そのものを変えるのか。
その違いは大きい。
マイケルは、
「自分はどう生きたいのか」
を自分で選ぼうとした。
この姿も、とても印象に残った。
そして救いだったのは、母親が理解者だったことである。
父親がマイケルの「才能」を見ていたとすれば、母親はもっとマイケル本人を見ていたように感じた。
家族の中に、自分を理解してくれる人が一人いる。
それだけでも大きな支えだったのではないだろうか。
本当に優しい人だったのだと思う
映画を観ていて、もう一つ強く感じたことがある。
マイケルは、本当に優しい人だったのではないかということだ。
動物にも優しい。
子どもにも優しい。
特に印象に残ったのが、病気で寝たきりになっている子どもたちを見舞いに行く場面である。
世界的なスーパースターが、苦しんでいる子どもたちのところへ自分から足を運ぶ。
そこで自分を誇示するのではなく、子どもたちを喜ばせようとする。
この場面には本当に感動した。
彼が語っていた「愛」や「癒し」という言葉は、単なるステージ上のメッセージではなかったのだと思う。
実際の生き方にも表れていた。
世界を救うというと、とても大きな話に聞こえる。
しかし、本当は目の前の一人を喜ばせることから始まるのかもしれない。
一人の人を笑顔にする。
一人の人の心を少し明るくする。
その積み重ねが、世界を変えていく。
マイケルは、そんなことを考えていたのではないだろうか。
芸能の神・アメノウズメを思い出した
そんなマイケルの姿を観ながら、僕は日本神話に登場するアメノウズメを思い出していた。
天照大神が天岩戸に隠れ、世界が闇に包まれたとき、アメノウズメは岩戸の前で舞った。
その舞によって神々が笑い、その笑い声を聞いた天照大神が岩戸から顔を出す。
そして、世界に再び光が戻った。
アメノウズメは、剣で戦ったわけではない。
誰かを言葉で説得したわけでもない。
舞うことで人々を笑わせ、世界に光を取り戻した。
そして、アメノウズメは芸能の神としても知られている。
歌や踊りによって人の心を動かし、世界を明るくする。
そう考えると、僕にはマイケルとアメノウズメがどこか重なって見えた。
マイケルもまた、歌とダンスで世界中の人に愛と喜びと癒しを届けようとしていた。
時代も国もまったく違う。
もちろん、同じものではない。
それでも、
「芸能の力で人を喜ばせ、世界を明るくしようとする」
という思いには、共通するものがあるように感じる。
僕は以前、一時期だが「創生神楽」という神楽を習っていたことがある。
踊ったこともある。
と言っても、本格的に舞ったというほどではなく、踊りながら歩いただけなのだが(笑)。
それでも神楽というものに少し触れた経験があるからなのかもしれない。
マイケルが歌い、踊る姿を観ながら、自然とアメノウズメが頭に浮かんできた。
そして、ふと思った。
アメノウズメは芸能の神である。
もしかすると、
「この人は、自分と同じように芸能の力で世界を明るくしようとしている」
そう感じて、マイケルを応援していたのかもしれない。
もちろん、これは僕の勝手な想像である。
でも、そう考えると少し楽しい。
才能は何のために使うのか
映画を観ながら、結局ここに行き着いた。
才能は、何のために使うのだろう。
自分がお金を稼ぐため。
有名になるため。
評価されるため。
もちろん、それも一つの使い方だと思う。
しかし、マイケルを観ていると、それだけではないと思わされる。
自分に与えられた才能を、
誰かを喜ばせるために使う。
誰かを癒すために使う。
誰かに希望を与えるために使う。
そして、少しでも世界をよくするために使う。
そういう生き方もある。
むしろ、才能というものは、本来そういうものなのかもしれない。
アメノウズメが舞によって世界に光を戻したように。
マイケル・ジャクソンが歌とダンスによって世界中の人を笑顔にしたように。
芸能とは、本来、人を楽しませるだけのものではないのかもしれない。
人の心に光を灯し、
人と人をつなぎ、
世界を少し平和にしていく。
そんな力を持っているのではないだろうか。
素晴らしい夢と行動が、運を動かす
そして、もう一つ考えた。
マイケルほどの大スターになるには、才能や努力だけでは足りないと思う。
出会い。
時代。
タイミング。
巡り合わせ。
やはり「運」も必要である。
どれだけ才能があっても、どれだけ努力しても、それだけで世界的なスーパースターになれるわけではない。
では、なぜマイケルには、それほど大きな運が巡ってきたのだろうか。
もちろん、本当のところは誰にも分からない。
ただ、僕はこう考えてみたくなった。
マイケルは、
「自分が成功したい」
だけではなく、
「世界中の人に愛と喜びと癒しを届けたい」
という大きな夢を持っていた。
しかも、ただ夢を語っていただけではない。
その夢を実現するために、自ら環境を変え、努力し、行動し続けた。
その姿を見て、神様も動いたのかもしれない。
そして、その神様の中には、芸能の神であるアメノウズメもいたのかもしれない。
「そこまで本気で、歌と踊りで世界を明るくしたいのなら、少し力を貸してやろう」
そんなふうに、運が味方し始めたのではないか。
もちろん、これも僕の勝手な想像である。
でも、運というものは、ただ待っていれば突然やってくるものではないと思う。
自分のことだけではない夢を持つ。
その夢に向かって本気で動く。
すると、不思議な出会いや偶然が重なり始めることがある。
そして、振り返ってみると、
「あれが運だったのかもしれない」
と思う。
マイケルの人生にも、そんな流れがあったのではないだろうか。
素晴らしい夢を持つ。
その夢を本気で信じる。
そして、実現するために行動する。
その行動が、やがて運を動かす。
映画『マイケル』を観て、そんなことまで考えた。
そして僕自身も改めて思う。
自分に与えられているものを、何のために使うのか。
自分が叶えたい夢は、自分だけのためのものなのか。
それとも、誰かを喜ばせ、誰かを癒し、少しでも世界を明るくするものなのか。
もし後者であるならば、
その夢に向かって本気で動き出したとき、
運も、そして神様も、
少しくらい味方してくれるのかもしれない。
