小雨の戸隠で受け取った、静けさの中の命の声
戸隠へ行ってきた。
今回は研修での訪問だった。
いわゆる観光旅行ではなく、フィールドキャンパスという研修である。
そこで問われるのは、単に「どこへ行ったか」ではない。
「どんな景色を見て、そこからどんな啓示を受け取ったか」である。
戸隠神社は広い。
奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の五社があり、本来ならば時間をかけて巡る場所なのだと思う。
しかし今回は、時間が限られていた。
五社すべてを回ることはできない。
そこで私は、自然公園を歩き、奥社だけを目指すことにした。
戸隠といえば、天岩戸神話で有名な場所である。
また、修験道の修行場としても知られている。
そのため、行く前はもっと険しい場所を想像していた。
山道を登り、息を切らしながら進むような道なのだろうか。
そんな印象を持っていた。
もちろん、戸隠山の奥には、もっと厳しい場所があるのだと思う。
修験道の修行場としての戸隠は、私が今回歩いた場所だけで語れるものではない。
しかし、今回私が歩いた道は、思っていたよりも緩やかだった。
それは、肉体を追い込むような道ではなかった。
むしろ、静けさの中へ少しずつ入っていく道だった。
当日は小雨が降っていた。
けれど、森の中に入ると、不思議とほとんど傘を差さなくても濡れなかった。
木々が雨を受け止めてくれていたのだと思う。
雨は降っている。
でも、濡れない。
音はある。
でも、騒がしくない。
人の気配は少ない。
でも、命の気配は満ちている。
その感覚が、とても印象に残った。
小雨の森を、二、三時間ほど歩いただろうか。
急ぐわけでもなく、立ち止まりながら、目に入るものを見て、耳に届く音を聴いた。
深い緑に包まれた池があった。
その緑は、明るく軽い緑ではなかった。
雨を含み、静かに沈み込むような深緑だった。
水面の近くには、モリアオガエルの卵が見えた。
まだ形になりきっていない命。
これから生まれようとしている命。
派手なものではない。
けれど、そこには確かに未来があった。
森の木々も印象的だった。
まっすぐ立っているようで、どこか踊っているようにも見える。
雨を受け、風を受け、それぞれの形でそこに立っている。
人間から見れば、曲がっている木もある。
ねじれている木もある。
けれど、森の中では、それが不自然には見えない。
それぞれが、それぞれの場所で、与えられた形のまま生きている。
その姿が美しかった。
そして、奥社へ向かう随神門をくぐったとき、景色が変わった。
それまでの森の空気とはまた違い、背の高い木々が両側に並び、まるで道を作っているように感じた。
五十メートルを超えるような高い木々が、天に向かって伸びている。
先生によると、それらの木々は右旋しており、さらに根がつながっているのだという。
そうしなければ、これほど高く伸びた木は倒れてしまうらしい。
それを聞いたとき、私は会社も同じだと思った。
一本の木が高く伸びるには、見えないところで根がつながっている必要がある。
会社も、ある程度の規模までは自分たちの力で成長できる。
しかし、さらに大きくなろうとすれば、自社だけの力では限界が来る。
そこで大切になるのは、同業者とのつながりなのだと思う。
同じ業界で、同じような課題を抱え、同じような環境の中で立っている者同士。
一見すると競争相手のように見えるかもしれない。
しかし、本当に高く伸びようとするなら、互いに根を張り、支え合う関係が必要になる。
高く伸びている木ほど、実は一本だけで立っているわけではない。
見えない根のつながりに支えられている。
戸隠の木々は、そのことを静かに教えてくれているようだった。
足元には、オシダやメシダのようなシダが雨を含んで広がっていた。
カツラの木もあった。
ヤマボウシもあった。
花はそれほど多くはなかった。
しかし、そのぶん、一つひとつの花が印象に残った。
白いコヨメナが咲いていた。
小雨の森の中で、その白さはとても鮮やかだった。
深い緑。
雨に濡れて黒に近く見える木の幹。
湿った土の色。
青空のない、少し灰色がかった空気。
その中で、白いコヨメナは、静かに浮かび上がって見えた。
大きく主張する花ではない。
それでも、その白は確かに目に残った。
他にも名前はわからないが、黄色や赤い花などが咲いていた。
けれど、この日の私に強く残ったのは、白いコヨメナと、後で出会う紫のノアザミだった。
色というものは不思議である。
同じ花を見ても、その日によって、鮮やかに見えることもあれば、くすんで見えることもある。
同じ景色を見ても、その時の自分の心の状態によって、受け取る印象は変わる。
この日の白い花は、くすんでは見えなかった。
小雨の森の中で、むしろ清らかに、はっきりと見えた。
そして、鳥の声が聞こえていた。
ウグイス、シジュウカラ、ヒガラ、コマドリ、センダイムシクイ。
録音を確認すると、いくつもの鳥の声が入っていた。
その中でも、特に印象に残った声がある。
アカハラだったのかもしれない。
フルートのような鳴き声だった。
本当に、誰かが森の奥でフルートを吹いているのではないかと思うくらい美しかった。
あの声を聞いたとき、私はふと思った。
静けさとは、無音のことではないのだと。
本当に静かな場所に入ると、何も聞こえなくなるのではない。
むしろ、それまで聞こえていなかった音が聞こえるようになる。
鳥の声。
風が梢を渡る音。
足元の砂利を踏む音。
遠くに流れる沢の音。
戸隠の森は、それを教えてくれた。
静けさとは、余計なものが消え、本当にあるものが聞こえてくる状態なのかもしれない。
小雨。
深緑の池。
モリアオガエルの卵。
白いコヨメナ。
鳥の声。
雨を受け止める木々。
そして、見えない根でつながりながら高く伸びる木々。
それらは、私の心を少しずつ内側へ向けてくれた。
普段、私たちはどうしても、分かりやすい成果を求める。
目立つ結果。
華やかな成功。
人に伝わりやすい実績。
しかし、戸隠の森で印象に残ったものは、どれも目立つものではなかった。
まだ形になっていない卵。
静かに咲く白い花。
姿は見えないけれど、確かに響く鳥の声。
雨を受け止める木々。
地中でつながり、互いを支え合う根。
そこにあったのは、表に出る前の命であり、見えない支えだった。
未来は、目立つ場所で突然生まれるのではない。
静かな場所で、見えないうちに育っている。
成長もまた、一人で成し遂げるものではない。
高く伸びるほど、見えないところで誰かとつながり、支え合うことが必要になる。
そんなことを感じた。
そして、歩き終えるころ、最後に強く印象に残ったものがあった。
紫のノアザミである。
その紫は、小雨の森の中でとても鮮やかだった。
白い花とは違う。
静けさの中に、ひとつの光が立ち上がるような存在感があった。
紫という色は、強い。
けれど、この日の紫は、派手さではなかった。
深い緑の中で、雨に濡れながら、それでもくすまずに見えた。
むしろ、森の静けさを背景にして、より鮮やかに浮かび上がっていた。
私は、その紫に引きつけられた。
しかも、その花の中には、蜂が入り込んでいた。
蜜を求めているのだろう。
けれど私には、蜂が花の中で戯れているようにも見えた。
ただ花が咲いているだけではない。
そこには動きがあった。
命の循環があった。
その姿を見たとき、今回の戸隠で受け取った啓示が少し分かったような気がした。
最初に必要なのは、静けさに入ること。
小雨の森の中で、余計なものを洗い流し、心を静かにすること。
次に必要なのは、命の声に耳を澄ませること。
目立たない花、まだ形にならない卵、見えない鳥の声、地中でつながる根に気づくこと。
そして最後に必要なのは、受け取ったものを動きに変えること。
紫のノアザミと蜂は、私にそう伝えていたのかもしれない。
気づきは、気づきのままでは終わらない。
内側で受け取ったものは、いずれ外へ出ていく必要がある。
花が咲き、蜂が動き、命がつながっていくように、
人もまた、自分が受け取ったものを、誰かに渡していく必要があるのだと思う。
色もまた大切なメッセージである。
何色がそこにあったか。
その色が鮮やかに見えたのか。
それとも、くすんで見えたのか。
そして、どの色が最後まで心に残ったのか。
同じ森を歩いても、人によって受け取る色は違うのだと思う。
そして、同じ人間でも、その時の状態によって、心に残る色は変わる。
鮮やかに見える色もあれば、あまり印象に残らない色もある。
だから、景色を見るとは、単に形を見ることではない。
色を感じることでもある。
今回の私は、最初に白と緑と雨の静けさを受け取った。
門をくぐった先では、高く伸びる木々と、見えない根のつながりを感じた。
そして最後に、紫の花と蜂の動きが強く入ってきた。
静けさから始まり、つながりを知り、最後に命の動きへ向かう。
それが、今回の戸隠で受け取った流れだったのだと思う。
戸隠は、厳しい坂道で私を試したわけではなかった。
今回の道は、思ったよりも緩やかだった。
けれど、その緩やかな道の中に、別の意味での修行があった。
それは、目立つものだけを見ないこと。
急がないこと。
静けさの中に入ること。
小さな命の気配に気づくこと。
見えない根のつながりを感じること。
色の鮮やかさを感じること。
そして、受け取ったものを、次の行動へ変えること。
善光寺が、人の祈りが集まり、街をつくっている場所だとすれば、
戸隠は、人が自然の奥へ入り、自分の内側を整える場所だった。
祈りとは、特別な言葉を唱えることだけではないのかもしれない。
森の中で足を止める。
鳥の声を聴く。
白い花に気づく。
まだ生まれる前の命を見る。
高い木々を支える見えない根のつながりを知る。
紫の花と蜂の動きに、次の一歩を感じる。
それもまた、祈りなのだと思う。
普段、このような自然に触れる機会が少ない私にとって、今回の戸隠での時間はとても貴重な体験だった。
花鳥風月という言葉がある。
本来であれば、私たちは普段の暮らしの中でも、自然からの啓示を受け取り、その変化に気づくことが大切なのだと思う。
しかし、街の中で生活していると、それは簡単ではない。
季節の移ろいも、鳥の声も、花の色も、風の匂いも、日々の忙しさの中で見過ごしてしまう。
だからこそ、戸隠のような場所を訪れることには意味がある。
自然の中に身を置き、足を止め、目を凝らし、耳を澄ませる。
それは、自然からのメッセージを受け取るための訓練になるのだと思う。
小雨の戸隠は、派手な景色を見せてくれたわけではない。
しかし、私にとっては、深く心に残る時間になった。
静けさの中には、命の声がある。
色の中には、その時の自分へのメッセージがある。
そして、見えない根のつながりの中には、成長し続けるための知恵がある。 その声と色とつながりに気づいた人から、次の一歩が始まるのだと思う。
