先日、私は稀有な体験をしました。日本最古の独楽(こま)の技を現代に伝える、伝統工芸「博多独楽」の三代目・筑紫珠楽(ちくし・しゅらく)氏のお話を聞く機会に恵まれたのです。
その場に流れていたのは、単なる「古き良き文化」の紹介ではありませんでした。そこにあったのは、便利さに慣れきり、本質を見失いかけている現代社会に対する、静かな、しかし鋭い警鐘でした。
珠楽氏が発した「技」を巡る言葉、そして私が別の学びの場で得た「伝統・伝承・承継」という三つの概念。これらが一つに繋がったとき、私たちがこの不透明な時代において、何を「核」とし、何を「進化」させるべきかが鮮やかに見えてきました。
技は「業」となりて、初めて価値を宿す
珠楽氏は、私たちが日常的に使う「技(わざ)」という言葉を、別の響きを持って定義されました。
「技は業(ごう)である。技が初めてお金になる」
この言葉には、プロフェッショナルとしての凄まじい覚悟が宿っています。今の時代、スマホやパソコンを開けば、あらゆる「やり方(ハウツー)」が無料で手に入ります。独楽の回し方さえ、動画を見れば形だけは真似できるでしょう。しかし、そこにあるのは薄っぺらな「情報」であって、命の通った「技」ではありません。
その技を磨き抜き、人々に感動を与え、対価をいただくレベルにまで昇華させたとき、それは「業(生業)」となります。それは、その人の生き方そのものが乗り移った、代替不可能な価値です。
珠楽氏はそのプロセスを、「序破急(じょはきゅう)」という言葉で説明されました。
「序」を失った現代社会
現代は便利になり、製造業で技術を学ぶ若者が減っています。
ただし問題は「便利さ」ではなく、「何を効率化し、何に時間をかけるべきか」の選択を誤ることです。
定型業務は効率化すべきですが、身体で覚える「序」まで省略してしまうと、本質的な価値が失われます。
・序: 基礎を愚直に、静かに固める時期。
・破: 基礎を土台に、既存の殻を打ち破る変化の時期。
・急: 最高の盛り上がりを見せ、結実させる時期。
「序」の苦しさ、地味さを耐え抜いた者にしか、「破」の独創性は訪れません。AIやロボットが「急」の結果を瞬時に出してくれる時代だからこそ、私たちは、自らの身体を通した「序」の重みを再認識する必要があるのです。
三つの「つなぐ」:伝統、伝承、承継
珠楽氏が体現されている「業」の世界を深く理解するために、私はこれまで混同されがちだった三つの言葉を、改めて整理して考えるようになりました。それは、「伝統」「伝承」、そして「承継」です。
これらは似ているようで、その対象も、目的も、更新の仕方も全く異なります。
① 「伝統(Tradition)」:文化の代謝
伝統とは、主に「文化」において使われる言葉です。その本質は、「核(コア)を守るための、大胆な新陳代謝」にあります。
伝統を、ただ古いものをそのまま守ることだと勘違いしてはいけません。むしろ、核となる精神や美学だけを残し、それ以外の「時代に合わなくなった部分」を削り落とし、その時代に求められる「新たな要素」を付け加えていく行為こそが伝統です。
例えば、大ヒット映画『国宝』でも注目された歌舞伎の世界。現代版の「スーパー歌舞伎」などは、歌舞伎のコアな様式美はそのままに、演出や物語を現代的に刷新した画期的なものです。これができない文化は、今の時代に取り残され、やがて廃れていく運命にあります。
伝統とは、生き残るために「変わり続ける意志」なのです。
② 「伝承(Succession)」:技術の同一性
伝承は、主に「技術・技法」において使われる言葉です。その目的は、「手順、条件、技法を、そのままの形で引き継ぐこと」にあります。
100年前と同じ品質、同じ精度のものを、一ミリの狂いもなく再現する。ここでは、個人のアレンジや時代の流行は二の次です。全く同じ成果物が出せるように、プロセスを忠実になぞることが求められます。
興味深いのは、伝承においては「手段を問わない」という側面があることです。人が行おうが、データを取って機械が行おうが、その「技法」が正確に再現され、伝わっていくことが重要です。現代において、職人の技をデジタルアーカイブ化し、ロボットで再現しようとする試みは、まさに「伝承」の最新の形と言えるでしょう。
③ 「承継(Inheritance)」:魂の存続
そして、最も人間臭く、精神的な重みを持つのが「承継」です。これは主に「人」に対して使われる言葉です。
承継とは、単に地位や財産を後継者に託すことではありません。それは、「先代の意思(魂)を生き遺させること」です。
先代がなぜその事業を始めたのか、社会に対してどのような貢献をしたかったのか。その「意思」を後継者が受け継ぎます。しかし、面白いのはここからです。伝統と同様、承継においても、その時代に合った「貢献の形」に変えていくことが求められます。
「社会への貢献を永遠に残す。そのために、その時代に合った貢献を再定義する」
これこそが、真の承継です。形を変えても、そこに流れる「魂」が同じであれば、それは永遠に生き続けます。
なぜ今、この三つの違いが重要なのか
現代の私たちは、この三つの守り方を混同し、しばしば過ちを犯します。
・伝承すべき「技術」を、安易な効率化のために崩してしまい、品質を落とす。
・伝統である「文化」を、変えてはいけない「伝承」だと思い込み、時代に置いていかれる。
・承継すべき「魂」を忘れ、単なる「形」の引き継ぎ(代替わり)に終始し、社会的な存在意義を失う。
珠楽氏が回す博多独楽の姿を思い出してください。 独楽を削る手順は「伝承」です。 独楽を現代のエンターテインメントとして見せる舞台は「伝統」です。 そして、独楽を通じて日本の未来を担う子供たちを元気にしたいと願う志は「承継」です。
この三つが三位一体となって初めて、独楽は力強く、美しく回り続けるのです。
経営と人生における「再定義」の力
経営コンサルタントとして、また一人の人間として、私は「承継」という言葉の重みを噛み締めています。
私たちの命には限りがあります。しかし、私たちの「意思」や「社会への貢献」は、形を変えながら永遠に残すことができます。そのためには、常に「今の時代において、私の貢献はどうあるべきか?」と自問自答し、再定義し続ける勇気が必要です。
珠楽氏が「今の時代は便利すぎる」と仰ったのは、自分の頭で考え、身体を動かし、この「再定義」という苦しくも尊い作業を放棄してしまっている私たちへの叱咤激励だったのではないでしょうか。
スマホで検索した「誰かの答え」ではなく、自らの「序」の積み重ねから導き出した「自分の業」を持つこと。それこそが、伝統を繋ぎ、伝承を支え、魂を承継していくための唯一の道なのです。
結びに:独楽の軸は、あなたの心の中に
博多独楽が回る中心点は、一見すると静止しているように見えます。しかし、その静寂は、猛烈な回転というエネルギーによって支えられています。
私たちの人生も同じです。 変わらない「核(伝承の技、承継の魂)」を持ちながら、周囲は時代に合わせて激しく変化し、刷新し続ける(伝統の進化)。その回転こそが、周囲に風を起こし、人々を惹きつけ、未来へと進む力になります。
珠楽氏の話を聞きながら、私は自分の中の「核」をもう一度見つめ直しました。 私が社会に残したい「貢献」は何なのか。 そのために、今この時代に合わせ、何を削り、何を付け加えるべきなのか。
独楽がピタリと止まって見えるあの「眠り」の状態のように、静かでありながら情熱に満ちた「業」を、これからも積み重ねていきたいと思います。
皆さんの心の中にある独楽は、今、どのような回転を刻んでいるでしょうか。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役