福岡の経営コンサルタント|笑顔商店

二宮尊徳の生誕地を訪ねて考えた、経営コンサルタントが学ぶべき教え

先日、二宮尊徳先生の生誕地、お墓、博物館、神社を訪ねてきた。

二宮尊徳先生というより、二宮金次郎と言った方が、私たちの世代にはなじみがあるかもしれない。

私が小学生の頃、学校には二宮金次郎の銅像があった。

薪を背負い、本を読みながら歩く少年の像である。

当時はそれが当たり前のように学校にあった。

しかし最近は、あまり見かけなくなったように思う。

校舎の建て替えや老朽化、教育観の変化など、理由はいろいろあるのだろう。

「歩きながら本を読むのは危ない」
「子どもが働く姿を美化しているように見える」
「昔の勤勉教育の象徴のように感じる」

そういう見方もあるのかもしれない。

ただ、今回、二宮尊徳先生ゆかりの地を訪ねて思ったのは、銅像があるかないかという問題よりも、もっと大切なことがあったのではないかということだった。

それは、私たちはあの銅像の意味を、どれだけ教わってきたのだろうか、ということである。

もしかすると、私が忘れているだけかもしれない。

しかし少なくとも、私の記憶では、小学校にあった二宮金次郎像がどんな人で、何を成し遂げ、なぜ学校に置かれていたのかを、きちんと教えてもらった覚えはない。

私にとって二宮金次郎は、長い間、ただ「薪を背負って本を読んでいた勤勉な少年」だった。

それ以上の意味を知ったのは、大人になってからである。

ここに、大きな勘違いが生まれたのかもしれない。

形は残っていた。

しかし、意味が語られていなかった。

銅像は毎日見ていた。

しかし、その人の思想や生き方までは伝わっていなかった。

今なら、疑問に思えばAIに聞くことができる。

「二宮金次郎とは誰か」
「二宮尊徳は何をした人か」
「報徳思想とは何か」
「なぜ学校に銅像があったのか」

そう聞けば、ある程度の答えは返ってくる。

しかし、少し前までは、そもそも誰に聞けばいいのかも分からなかった。

図書館で調べるほどの疑問でもない。
先生に聞く機会もない。
親に聞いても、詳しく知っているとは限らない。
そして気づけば、大人になっている。

これは二宮尊徳先生に限った話ではないのかもしれない。

神社も、仏壇も、祭りも、年中行事も、昔話も、地域に残る偉人の銅像も、私たちの周りには「形は残っているけれど、意味が伝わっていないもの」がたくさんある。

本来、二宮尊徳先生の教えは、口伝で残してもよいほどの素晴らしい教えだったのではないかと思う。

親から子へ。
先生から生徒へ。
地域の大人から次の世代へ。

難しい思想としてではなく、

「働くとはどういうことか」
「お金は何のために使うのか」
「自分の身の丈を知るとはどういうことか」
「余った力を未来や他者に回すとはどういうことか」
「地域をよくするとはどういうことか」

そういう生きた言葉として、語り継がれてもよかったはずである。

今回、博物館で私が特に印象に残ったのは、尊徳先生の思想を表す言葉だった。

至誠。
勤労。
分度。
推譲。

至誠とは、うそいつわりのない真心。

勤労とは、自分や地域のために、自分にできる仕事に励むこと。

分度とは、自分の置かれた状況や立場にふさわしい生活を送ること。

推譲とは、分度によって生まれた余剰を、自分の将来や社会に譲っていくこと。

これを見た時、私は二宮尊徳先生の教えは、単なる「勤勉に働きなさい」という話ではないと感じた。

むしろ、非常に実践的な経営思想である。

収入と支出を把握する。
身の丈に合った予算を組む。
無理な支出を抑える。
余剰をつくる。
その余剰を未来に投資する。
地域の中でお金を循環させる。
人々の自立を促す。

今の経営の言葉で言えば、当たり前のことかもしれない。

しかし、当時の農村や藩財政の現場で、これを実際に実行するのは、相当難しかったはずである。

だから私は、博物館を見ながら、尊徳先生は単なる思想家ではなく、相当なリーダーシップと交渉力を持った実践家だったのではないかと感じた。

尊徳先生は、正しいことを考えた人ではない。

正しいことを現場で通した人である。

ここがすごい。

どれだけ立派な考え方を持っていても、現場で実行できなければ、世の中は変わらない。

農民には農民の事情がある。
役人には役人の事情がある。
藩には藩の財政事情がある。
既得権益を持つ人もいる。
変化を嫌う人もいる。
面子を守りたい人もいる。

その中で、分度を定め、支出を見直し、余剰をつくり、復興に回していく。

これは、今で言えば、経営再建、財務改善、組織改革、地域再生を同時に行っているようなものだ。

当然、成果を上げれば、トップからは評価される。

「この人に任せれば、本当に立て直してくれる」

そう思われたのだろう。

一方で、中間にいる人たちからは、妬まれたり、疎まれたりすることもあったのではないかと思う。

なぜなら、本気の改革は、これまで曖昧にされてきたものを見える化してしまうからである。

これは現代の会社でも同じだ。

本気で会社をよくしようとする人ほど、トップから評価されることがある。

しかし同時に、中間層や、既存のやり方に慣れた人たちからは煙たがられることがある。

改革とは、単なる改善ではない。

時に、これまでの矛盾やごまかしを表に出してしまう。

だから、正しいことをしていても、必ずしも歓迎されるとは限らない。

実際、尊徳先生の報徳仕法は、故郷である小田原で一度止められている。

これはとても象徴的である。

尊徳先生は小田原の人である。

小田原で生まれ、自分の家を再興し、そこから各地の復興へと進んでいった。

にもかかわらず、その故郷である小田原で、報徳の取り組みは一度受け入れられなくなった。

本物の改革者の宿命なのかもしれない。

正しいことを言う人が、必ずしも最初から歓迎されるわけではない。

成果を出す人ほど、既存の秩序や面子を揺さぶってしまうことがある。

近い人ほど、受け入れられないこともある。

普通なら、そこで腐ってもおかしくない。

「自分は正しいのに、なぜ分からないのか」
「せっかくやってやったのに」
「故郷に裏切られた」

そう思っても不思議ではない。

しかし、尊徳先生は、おそらくそこに執着しなかったのではないか。

ここが、今回一番深く感じたところである。

もし尊徳先生が、小田原で報徳仕法を止められた時に腐っていたら、それは結局、自分のためだったのかもしれない。

自分が認められたい。
自分の正しさを証明したい。
自分の考えを受け入れさせたい。

そうなってしまえば、どれだけ立派な思想であっても、最後は承認欲求になってしまう。

あるいは、

「自分の考えは正しいのだから、お前たちは従うべきだ」

となれば、それはもう報徳ではなく、押し付けである。

しかし、尊徳先生の思想の根本には至誠がある。

うそいつわりのない真心である。

おそらく尊徳先生にとって大事だったのは、自分の考えを認めさせることではなかった。

人々の暮らしを立て直すこと。
村を再生すること。
地域に希望を取り戻すこと。
未来へつなぐこと。

そこを見ていたのではないかと思う。

だから、一つの場所で受け入れられなくても、腐らなかった。

押し付けなかった。

また必要とされる場所で、淡々と実践した。

その結果、新たなご縁が生まれ、各地で成果を上げ、弟子たちにも恵まれたのではないだろうか。

これは、現代の経営者や経営コンサルタントが学ぶべき、とても深い教えだと思う。

経営コンサルタントは、ともすると正論を言いたくなる。

「なぜ社長は分からないのか」
「なぜ社員は動かないのか」
「この会社は変わる気がない」
「自分の提案の方が正しい」

そう思ってしまうことがある。

もちろん、専門家として正しい分析や提案をすることは大切である。

しかし、そこで腐ったり、怒ったり、押し付けたりした瞬間に、目的がずれてしまう。

本来の目的は、自分の正しさを証明することではない。

その会社がよくなること。
経営者が前に進めること。
社員が幸せになること。
地域やお客様に価値が届くこと。

そこにあるはずである。

正しいことを言うだけなら、ある意味では簡単である。

しかし、相手が受け取れる形にすることは難しい。

相手が実行できるところまで伴走することは、もっと難しい。

そして、受け入れられなかった時に腐らないことは、さらに難しい。

尊徳先生のすごさは、まさにここにあるのではないかと思う。

正しい思想を持っていた。
実行力もあった。
成果も出した。
それでも、受け入れられないことがあった。

しかしそこで、自分を認めろとはならなかった。

自分の正しさに執着しなかった。

必要とされる場所で、至誠を持って実践し続けた。

だからこそ、人が集まり、弟子が育ち、思想が後世に残った。

そう考えると、二宮尊徳先生は、農村復興の人であると同時に、日本型経営コンサルタントの原型のような人だったのかもしれない。

ただ数字を見るだけではない。

ただ努力を説くだけでもない。

人の心を見て、地域の現実を見て、お金の流れを整え、未来へ余剰を回す。

そして、自分の評価ではなく、相手の再生を見る。

これは、今の時代にも必要な姿勢である。

私たちは、二宮金次郎像を見て育った。

しかし、その意味を十分に受け取ってきただろうか。

銅像が消えたことが問題なのではない。

むしろ、銅像に込められた思想を、私たちが語り継げなかったことの方が問題なのかもしれない。

形は残っていた。

しかし、物語が語られなかった。

だから、二宮金次郎は「薪を背負って勉強した少年」としてだけ記憶されてしまった。

でも本当は、そこにはもっと深い教えがあった。

至誠を持つこと。
勤労に励むこと。
分度をわきまえること。
推譲によって未来へつなぐこと。

自分の正しさを押し付けるのではなく、必要とされる場所で実践すること。

受け入れられなくても腐らず、また次のご縁の中で尽くすこと。

これは、子供たちにも、大人にも、経営者にも、そして経営コンサルタントにも伝えるべき教えではないかと思う。

二宮尊徳先生の生誕地を訪ねて、私はそんなことを考えた。

銅像は減っているのかもしれない。

しかし、二宮尊徳先生の教えまで古くなったわけではない。

むしろ、形だけが失われていく今だからこそ、その意味をもう一度たどり直す必要があるのかもしれない。

そして今の時代、ありがたいことに、疑問に思えば調べることもできる。

AIに聞くこともできる。

しかし最後に大切なのは、知識を得ることではない。

その教えを、自分の仕事や生き方にどう生かすかである。

二宮尊徳先生の教えは、過去の偉人の話ではない。

今を生きる私たちへの問いである。

自分は至誠を持って仕事をしているか。

分度をわきまえているか。

余剰を未来に回しているか。

自分の正しさを押し付けていないか。

受け入れられなかった時に、腐らずにいられるか。 そう考えると、二宮尊徳先生の教えは、今の経営にも、人の生き方にも、まだまだ必要な思想なのだと思う。

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髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役