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世界ワースト2位の衝撃。「貢献」とは何か?――1000円のクリスマスプレゼントが教えてくれたこと
序章:突きつけられた「ワースト2位」という現実
先日、ある衝撃的なデータを目にしました。イギリスの慈善団体「Charities Aid Foundation」が発表した「世界人助け指数(World Giving Index)」。このランキングにおいて、日本はなんと調査対象142カ国中141位。つまり、ワースト2位という結果だったのです。
「嘘だろう?」 最初はそう思いました。礼儀正しく、治安も良いこの日本が、世界で二番目に冷たい国だというのでしょうか。
もちろん、この調査方法には異論の余地があります。調査項目は「見知らぬ人を助けたか」「寄付をしたか」「ボランティアをしたか」の3点。欧米的なチャリティー文化を基準にした物差しで測られたものではあります。しかし、冷静になって胸に手を当ててみたとき、私はある種の「認めざるを得ない感覚」を覚えました。 戦前の日本人、あるいはもっと昔の日本人が持っていた「何か」と比べたとき、現代の日本において、その「質」のようなものが変質してしまっているのではないか。そう感じずにはいられなかったのです。
第1章:失われた「貢献」の教育
なぜ、私たちはこのような評価を受けるようになってしまったのでしょうか。 その大きな理由の一つは、「教育」にあると私は考えています。
かつての日本には、家庭や地域、そして学校の中に、自然と「他者のために尽くす」という道徳観が流れていました。しかし、現代の学校教育において、道徳や修身といった、人の在り方を問う時間は削ぎ落とされ、機能的・知識的な教育が優先されるようになりました。
家庭環境の変化も深刻です。核家族化が進み、かつては当たり前だった「向こう三軒両隣」の付き合いは希薄になりました。隣に誰が住んでいるかも知らないマンション暮らしの中で、他人との摩擦を避けることが賢い生き方とされるようになり、結果として「信頼関係」を築く土壌そのものが失われてしまったように思います。
皮肉なことに、かつて日本人が大切にしていたような「貢献」や「徳」に関する教育は、今や欧米の先進国において熱心に行われています。まるで戦前の日本の精神性が、海を渡って彼の地で受け継がれているかのようです。 一方で、本家であるはずの日本には、体系的な「貢献に関する教育」が存在しません。私たちは、大人になる過程で「誰かのために生きる喜び」を学ぶ機会を失ってしまったのです。
第2章:「貢献」の定義を書き換える
では、そもそも「貢献」とは何でしょうか?
多くの人はこう答えるでしょう。 「ボランティア活動に参加すること」 「被災地や貧困地域に寄付をすること」
確かにそれらは素晴らしい貢献です。「ペイフォワード(恩送り)」という言葉も定着しつつあります。しかし、これらは「時間」や「お金」というリソースを割く行為であり、余裕がなければできないことだと思い込んではいないでしょうか。
「私には寄付するお金なんてない」 「仕事が忙しくてボランティアなんて無理だ」
そうやって、自分は貢献とは無縁の人間だと線を引いてしまう。それが、日本のランキングを下げている心理的な要因の一つかもしれません。 しかし、私は思うのです。貢献とは、もっと身近で、もっと温度のあるものではないかと。
何も時間をかけなくても、お金をかけなくても、貢献はできます。 私の考える貢献の定義、それは「相手を少し『いい気持』にさせること」です。
例えば、笑顔でいること。 不機嫌な顔で歩いている人の周りには冷たい空気が流れますが、笑顔の人の周りには温かい空気が生まれます。笑顔は伝染します。ただ機嫌よく笑っているだけで、すれ違う誰かの心をふっと軽くする。これも立派な貢献です。
落ち込んでいる友人を励ますこと。 狭い道で対向車に道を譲ること。 エレベーターで「お先にどうぞ」とボタンを押すこと。 誰も見ていない場所でゴミを拾うこと。 オフィスの共用部を掃除すること。
これらは統計データには表れません。しかし、確実に世界を良くしています。
先日、宿泊したホテルでの出来事です。 廊下ですれ違った清掃スタッフの方に、私は何気なく「ご苦労様です、いつもありがとうございます」と声をかけました。するとその方は、ハッと顔を上げ、マスク越しでも分かるほどの最高の笑顔を返してくれました。 「こちらこそ、ありがとうございます!」
その瞬間、廊下の空気がパッと明るくなったのを感じました。彼女はその後、いつもより少し軽い足取りで仕事に戻ったかもしれません。そして私自身も、温かい気持ちをもらいました。 これこそが、貢献の本質だと思うのです。
第3章:1000円のクリスマスプレゼント
そして今日、私はある体験を通じて、貢献についてさらに深い気づきを得ました。 クリスマスパーティーで交換するためのプレゼントを買いに出かけた時のことです。
実を言うと、私はあまり物欲がありません。自分のために買い物をすることは滅多になく、必要なものがあればインターネットで済ませるか、目的の売り場に直行して即座に購入して終わり、というタイプです。 しかし今日は違いました。「予算1000円」というルールのあるプレゼント交換。しかも、誰に当たるかわからないという条件付きです。
「たった1000円、なんとかなるだろう」 最初はそんな甘い気持ちでショッピングモールへ向かいました。ある程度の目星はつけていたのです。しかし、いざ売り場の前に立つと、足が止まりました。
(これは男性なら喜ぶけれど、女性に当たったら困るかな?) (お菓子なら無難だけど、アレルギーの人はいないだろうか?) (ネタに走って笑いを取るべきか、実用性を重視すべきか?)
商品を手に取っては戻し、また別の棚へ移動する。そんなことを繰り返しているうちに、気づけばかなりの時間が経過していました。 正直なところ、1000円のプレゼントです。安易に選んで適当に包んでも、誰も私を咎めないでしょう。「予算内なら何でもいいよ」というのが暗黙の了解です。
でも、なんだかそれが嫌だったのです。妥協して選んだものが誰かの手に渡り、その人が愛想笑いをするシーンを想像すると、心がざらつきました。 「誰が受け取っても、少しでも喜ばれるものはないか」 私は必死に考え、広いモール内を歩き回りました。普段なら絶対に入らないような雑貨コーナーに入り、女性向けの入浴剤の成分を見たり、文房具の最新トレンドをチェックしたり。
その時です。ふと、ある感情が湧き上がってきました。 「……へぇ、こんな商品が今は売れているんだ」 「これ、すごく便利な機能がついているのに、こんな値段なのか!」 「このパッケージのデザイン、すごく素敵だな」
普段の自分なら見向きもしない世界に触れ、新鮮な驚きと発見を楽しんでいる自分がいたのです。 相手のことを必死に考え、悩み、歩き回る。 「まてよ。この行為自体が、すでに貢献なのではないか?」
誰かの笑顔を想像して、自分の貴重な時間を使い、思考を巡らせる。そのプロセスそのものが、愛のある行動であり、貢献呼べるものではないでしょうか。
さらに驚くべきは、その結果として私自身が得たものです。 未知の商品知識、新しいトレンドへの接触、そして「誰かのために一生懸命になれた」という清々しい充足感。 すなわち、貢献しようとして放ったエネルギーは、必ず自分に「良い波動」となって返ってくるのです。プレゼントが実際に喜ばれるかどうか、それは結果論です。 しかし、見ず知らずの誰か(プレゼントを受け取る誰か)を思い、その人が笑顔になることを願って行動した時間。その時、私は確実に、冒頭で述べた「世界人助け指数」の低さを覆すような、豊かな精神状態にあったはずです。
第4章:日本人と「見えない貢献」
ここで改めて、冒頭の「世界人助け指数」のデータについて考えてみたいと思います。 日本人が本当に「人助けをしない民族」なのかというと、決してそうではないと私は確信しています。
この調査結果の背後には、文化的な「表現方法」の違いがあります。 欧米におけるチャリティー(Charity)は、キリスト教的な価値観に基づき、見知らぬ他者への直接的な施しを良しとします。だからこそ、「見知らぬ人を助けたか」という質問が指標になるのです。
一方、日本には古来より「結(ゆい)」「講(こう)」「無尽(むじん)」といった、独自の相互扶助システムが根付いていました。 農作業が忙しい時期には集落全体で労働力を交換し合う「結」。 経済的に困った時に互いにお金を融通し合う「無尽」。 これらは「見知らぬ人への突発的な親切」ではなく、「顔の見えるコミュニティ内での長期的・継続的な支え合い」です。
また、日本人の貢献の精神が最も顕著に現れるのは「災害時」です。 東日本大震災や阪神・淡路大震災の際、日本人が見せた秩序ある行動、譲り合い、そして自発的な助け合いの姿は、世界中から驚嘆と称賛を持って受け入れられました。「共助」の精神は、私たちのDNAの中に深く刻まれているのです。
ただ、平時においては、その現れ方が「控えめ」であるだけなのです。 「お互い様」という言葉があるように、恩着せがましくなく、相手に負担を感じさせないように配慮しながら助ける。あるいは、制度や仕組みを通じて間接的に支える。そういった「察する文化」「陰徳の文化」が、単純なアンケート調査では「No」という回答に繋がってしまった可能性があります。
「見知らぬ人を助けましたか?」と聞かれて、「はい、やりました!」と胸を張って答えることを「善し」としない謙譲の美徳が、日本にはあります。 「いえ、そんな大それたことはしていません(ただ、困っているようだったので少し声をかけただけです)」 そう答えてしまう日本人の姿が目に浮かぶようです。
終章:貢献の連鎖をここから
しかし、文化的な背景があるとはいえ、「ワースト2位」という数字をただ受け流すのも良くありません。この結果は、「もっと他者に関心を持ち、小さなアクションを起こしてみよう」という、私たちへのメッセージなのかもしれません。
人におごるのも良いでしょう。 ボランティアに時間を使うのも素晴らしいでしょう。
でも、もし今のあなたにその余裕がなくても、焦る必要はありません。 今日、誰かとすれ違うとき、少しだけ口角を上げてみてください。 コンビニの店員さんに「ありがとう」と伝えてみてください。 そして、誰かへのプレゼントを選ぶとき、その人の笑顔を思い浮かべて、本気で悩んでみてください。
「誰かを思い、その人が笑顔になることを願い行動する」 「ただ、笑顔でいる」
それだけで、あなたはもう十分に世界に貢献しています。 そしてその貢献は、巡り巡って、必ずあなた自身を温かい波動で包み込んでくれるはずです。
日本が、数字の上でも、心の実感としても、「世界で一番温かい国」と呼ばれる日が来ることを願って。 まずは私から、明日の朝、最高の笑顔で誰かに挨拶をしようと思います。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役