序章:「リブート」という言葉が突きつけるもの
今、あるドラマの影響もあり「リブート(再起動)」という言葉が改めて注目されている。 本来、コンピュータ用語であるこの言葉は、システムがフリーズし、処理能力が限界に達した際、一度電源を落として内部の状態をクリーンにし、再び立ち上げる操作を指す。この「一度リセットして、正常な状態からやり直す」という概念が、現代人の人生観や社会の在り方に強く重なっている。
リブートという言葉には、大きく分けて三つの側面がある。
第一に、テクニカルな意味での再起動。蓄積されたエラーを解消し、設計図通りの「正しい動作」へ戻す保守作業だ。 第二に、エンターテインメントとしての再解釈。過去の優れた設定を活かしつつ、現代の価値観に照らして物語を一から作り直す手法。 そして第三に、比喩としての人生の再生。過去のしがらみや失敗をリセットし、新しい自分として再出発を図る決断である。
今回、私が着目したのは、この言葉をタイトルに冠したドラマの中で語られた、ある象徴的なセリフだ。それは、今の日本社会が抱える「沈黙の病理」を、見事に、そして残酷なまでに言い当てていた。
第一章:「真実なんてどうだっていい」という思考停止の罠
ドラマの第3話の中で放たれた、ある登場人物の言葉。 「真実だってどうだっていい。うちらの周りが平和ならば」
この言葉を耳にしたとき、私は背筋が凍るような感覚を覚えた。と同時に、これは今の日本に生きる多くの人々の「隠された本音」を代弁しているのではないか、という強い疑念が頭をよぎった。
私たちは、波風を立てることを極端に嫌う。 「真実」を追求すれば、誰かを傷つけるかもしれない。今の平穏な生活が壊れるかもしれない。あるいは、自分自身が何らかの責任を問われるかもしれない。そうした「リスク」を天秤にかけたとき、多くの人は「たとえ嘘で塗り固められていても、目の前の平和が続くこと」を無意識に選択してしまう。
しかし、これは本当に「平和」と呼べるものなのだろうか。 社会心理学の視点で見れば、これは「同調圧力」や「沈黙の螺旋」に近い状態だ。一人ひとりが違和感を抱きながらも、周囲との調和を優先して口を閉ざす。その結果、集団全体が誤った方向へ進んでいることに気づきながらも、誰もブレーキを踏めなくなる。この「思考停止による平和」こそが、実は最も危険な状態なのである。
第二章:放置された「エラー」がシステムを内部から破壊する
私は日頃、経営コンサルタントとして多くの組織の現場に立ち会っている。その立場から言わせてもらえば、この「目の前の平和」の代償がいかに高くつくかは明白だ。
不都合な真実を「平和のために」と蓋をして、先送りする。 その場は一時的に収まるかもしれない。対立は避けられ、平穏な時間が流れる。しかし、コンピュータのバックグラウンドでエラーコードが走り続けるように、組織の内部では確実にエラーが蓄積されていく。
●隠蔽された小さな不正。
●形骸化したルール。
●誰も指摘しなくなった非効率な業務。
これらはすべて、システムにとっての「バグ」だ。バグを放置したまま負荷をかけ続ければ、メモリは食いつぶされ、処理速度は低下し、やがてシステム全体を揺るがす致命的なクラッシュを引き起こす。
「真実なんてどうでもいい」と目を逸らし続けることは、社会や組織という巨大なシステムの「保守点検」を放棄しているのと同じだ。クラッシュが起きてからでは遅い。一度壊れてしまった信頼やシステムを元に戻すには、再起動(リブート)どころか、莫大なコストと時間をかけた「スクラップ・アンド・ビルド」が必要になってしまうのだ。
第三章:未来の子供たちへ「負の遺産」を引き継ぐ大罪
私が何よりも危惧し、憤りを感じるのは、この「見て見ぬふりをした平和」のツケを払わされるのが、今の意思決定者たちではなく、未来の子供たちであるという点だ。
「いまが良ければいい。自分たちの代さえ平和なら、真実は二の次だ」 こうした態度は、一見すると争いを避ける賢明な大人の選択に見えるかもしれない。しかし、その実態は、自分たちが解決すべき課題から逃げ、次の世代にすべてを丸投げする「無責任な延命」に他ならない。
真実が歪められ、正しさが失われた社会で、子供たちは何を信じて育つのだろうか。 おかしいと思ったことを「おかしい」と言えない空気が支配する未来。真実を語る者が損をし、嘘を突き通す者が得をする背中を見せて、どうして「希望を持って生きろ」と言えるだろうか。
私たちが今、目の前の「平和(現状維持)」を守るために真実を犠牲にすることは、子供たちが将来享受すべき資源や、彼らの可能性を今ここで食いつぶしていることと同義である。環境、経済、社会保障。あらゆる分野で積み上がった「ツケ」は、真実から目を逸らした代償として、いつか必ず彼らの肩に重くのしかかる。
第四章:私たちが今すぐ押すべき「再起動」のボタン
ドラマの主人公は、真実を求めるために顔を変え、過去を捨て、文字通り人生をリブートさせた。 もちろん、現実の私たちにそこまでの劇的な変化は必要ない。しかし、私たちに求められているのは、自分自身の認識を「再起動」させることだ。
「真実だってどうだっていい」という退廃的な諦めから、「真実を知らなければ、守りたい平和さえ守れなくなる」という切実な危機感へ。
その認識の転換を、最も具体的かつ平和的に示せる手段が「選挙」である。 「自分の一票では何も変わらない」という無力感。 「誰がやっても同じだ」という無関心。 これらはすべて、「真実より平和(現状維持)」を優先する思考の産物だ。
しかし、システムのバグを修正し、OSをアップデートできるのは、そのシステムのユーザーである私たち自身しかいない。選挙に行かないということは、システムが壊れていくのを黙認し、子供たちに「修復不可能な社会」をそのまま引き継がせることを容認するのと同じことだ。
選挙という一票は、私たちがこの社会に対して行使できる、唯一の公式な「リセットボタン」であり、未来を書き換えるための「プログラム修正」なのだ。
終章:真実と向き合う勇気が、明日を創る
「真実だってどうだっていい。うちらの周りが平和ならば」 この言葉に甘んじるのは、もう終わりにしなければならない。
いま、私たちは立ち止まるべきだ。 たとえ一時的に波風が立ったとしても、真実を紐解き、おかしいと感じるものには「おかしい」と声を上げる。そして、一つひとつ必要な修正を行っていく。その地道で、時に苦痛を伴うプロセスこそが、本当の意味での「社会のリブート」である。
日本の未来をつなぐ子供たちを元気にし、この国の行く末を明るいものにしていく。 そのためには、私たち大人が「真実」から目を逸らさず、誠実に社会と向き合う背中を見せるしかない。親も子供も、心から笑顔になれる未来を作るには、嘘で塗り固めた平和ではなく、真実という強固な土台の上に築かれた信頼が必要なのだ。
手遅れになる前に。 システムが完全にクラッシュしてしまう前に。 私たちは、未来のために、正しい再起動のボタンを押す勇気を持たなければならない。
ドラマの結末がどうなるかは、脚本家次第かもしれない。しかし、私たちの社会という物語の結末を書くのは、他の誰でもない、今この瞬間に生きる私たち一人ひとりなのだ。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役