先日、ある演劇を観た。
その物語には、タイムマシンのような装置が登場した。
主人公は過去に戻り、「あの時こうしていれば」と思う出来事をやり直そうとする。
誰にでもあるような後悔。
あの一言を言わなければ。
あの選択をしなければ。
あの日、別の道を選んでいれば。
そんな思いを抱えたまま生きている人は少なくないだろう。
だからこそ、タイムマシンという発想は昔から人を惹きつけてきた。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のような有名作品から、最近の映画やドラマ、演劇に至るまで、時間を超える物語は何度も描かれてきた。
昔はそれ自体が夢のある装置として映っていたが、今ではむしろ「その装置を使って人は何をしようとするのか」のほうが大きなテーマになっているように思う。
多くの作品で描かれるのは、過去を変えれば今より良くなるはずだ、という期待である。
しかし、先日観た演劇ではそうはならなかった。
過去を変えた結果、期待した未来にはならず、むしろもっと悪い状態になってしまう。
ならばと別の形で修正しようとすると、さらにひどくなる。
結局、最後は元に戻すことになる。
そんな展開だった。
私はそれを観ながら、「これは単なるSFの話ではないな」と思った。
むしろ、人間の後悔や願望の本質を描いているのだと感じた。
私たちはうまくいかないことがあると、つい原因を一点に絞りたくなる。
あの失敗さえなければ。
あの出会いさえなければ。
あの会社に入らなければ。
あの時あの決断をしていなければ。
そうやって、今の現実を一つの過去の出来事に結びつけて考える。
しかし、本当は人生はそんなに単純ではない。
一つの出来事が、そのまま一つの結果を生むわけではない。
良いことも悪いことも、成功も失敗も、出会いも別れも、すべてが複雑につながり合って今を形づくっている。
だから、自分にとって都合の悪かった一点だけを切り取って消そうとしても、その後ろに連なっている別のものまで変わってしまう。
結果として、自分が望んでいた未来ではないものが生まれてしまうことがある。
これは物語の中だけの話ではない。
現実の人生でも同じだと思う。
振り返れば、誰にでも「あの時の判断は間違っていたのではないか」と思う場面がある。
けれど、そこで忘れてはいけないのは、あの時の自分は、その時点で持っていた情報、その時点での経験、その時の感情、その時の環境の中で選んでいた、ということだ。
今の自分から見れば未熟に思える判断でも、その時の自分にとっては最善だった可能性が高い。
少なくとも、何も考えずに選んだわけではない。
その時なりに悩み、その時なりに苦しみ、その時なりに一生懸命に決めた結果だったはずである。
そう思うと、今ある現実は、過去の最善の判断の積み重ねでできている、と捉えたほうがいいのかもしれない。
もちろん、結果だけ見れば「もっと良いやり方があった」と思うことはある。
しかしそれは、今だから言えることであって、当時の自分を責め続ける理由にはならない。
過去を責めることは、結局、その時の自分を否定し続けることになる。
では、もしタイムマシンが将来本当にできたとしたら、私たちはそれを何のために使うべきなのだろうか。
私は、出来事そのものを変えるために使ってはいけないのではないかと思う。
むしろ、映画を観るように客観的に眺めるために使うべきなのではないか。
あの時の自分を、今の視点で見つめ直すために。
相手がどんな気持ちだったのかを感じ取るために。
当時は見えなかった背景や意味を知るために。
そして、その出来事の意味づけを、より良いものへと変えていくために。
出来事は変えない。
しかし、その出来事から何を受け取るかは変えられる。
ここに、人間の救いがあるのだと思う。
例えば、あの失敗は最悪の失敗だった、と思っていた出来事があるとする。
けれど後になって振り返ると、あの失敗があったからこそ謙虚さを知った、ということがある。
あの時の挫折があったから、人の痛みが分かるようになった、ということもある。
あの遠回りがあったから、自分に本当に合う道に出会えた、ということもある。
つまり、出来事の価値は、その時点では決まっていない。
どんな意味を与えるかによって、過去は未来に対してまったく違う働きを持つ。
これは単なる前向き思考ではない。
嫌なことを無理やり「よかったこと」に変換しよう、という安易な話でもない。
現実には、本当に苦しい出来事もある。
どうしても納得できない経験もある。
消したいと思う記憶もある。
それを無理に美談にする必要はない。
ただ、それでもなお言えるのは、出来事の意味は固定されていない、ということだ。
傷ついた経験を、ずっと自分を苦しめるものとして持ち続けることもできる。
一方で、そこから何を学ぶか、自分がどう変わるかを通じて、その痛みに別の意味を持たせることもできる。
同じ出来事でも、意味づけが変われば、その後の人生に与える影響は大きく変わる。
だから、もしタイムマシンが必要だとするなら、それは過去を書き換えるためではなく、過去を見つめ直すためなのだろう。
あの時の自分を裁くためではなく、理解するために。
相手を責めるためではなく、人間の弱さや不完全さを受け止めるために。
「なぜあんなことが起きたのか」を知り、「そこから何を受け取るか」を考えるために。
考えてみれば、私たちはすでに日常の中で小さなタイムマシンを持っているのかもしれない。
それは記憶であり、振り返る力であり、言葉にする力である。
過去の出来事を思い返し、自分の人生を一歩引いて眺め直すことができる。
当事者だった時には見えなかったものが、時間を経ることで見えてくる。
その意味では、本当に必要なのは機械としてのタイムマシンではなく、人生を客観視する視点なのかもしれない。
経営でも同じことが言えると思う。
「あの投資をしなければよかった」
「あの人を採用しなければよかった」
「あの事業に手を出さなければよかった」
そう思うことはある。
しかし、経営においても大事なのは、過去を悔やんで書き換えることではなく、その経験から何を学び、次にどう活かすかである。
失敗そのものよりも、その失敗をどう意味づけるかが、その後の企業の強さを決める。
同じ出来事でも、「判断ミスだった」で終わるのか、「次の成長のための学びだった」に変えられるのかで、未来は変わる。
人生も、仕事も、きっと同じだ。
過去を変えたいと思うのは自然なことである。
誰しも後悔はある。
やり直せるならやり直したい場面もある。
しかし、本当に変えるべきなのは、過去の出来事そのものではないのだと思う。
変えるべきなのは、その出来事をどう受け止めるか、そこから何を学ぶか、そして今をどう生きるかである。
過去の意味が変われば、未来は変わる。
出来事はそのままでも、そこから生まれる次の一歩は変えられる。
それなら、タイムマシンがなくても、人は人生を書き換えることができる。
タイムマシンがいつか本当にできる日が来るのかは分からない。
理論上は可能だという話もあるし、SFが現実になることも時にはある。
しかし、たとえその技術が生まれたとしても、私は思う。
出来事を変えてはいけない。
変えるべきは意味づけである。
良い意味で。
前に進むための意味へと育てていくことが大事なのだと。
過去は消せない。
だが、過去との向き合い方は変えられる。
あの出来事は何だったのか。
なぜ自分に必要だったのか。
そこから何を受け取るのか。
そう問い直した時、過去はただの後悔ではなくなる。
未来を支える土台へと変わっていく。
タイムマシンが必要なのは、過去を変えるためではない。
過去を見つめ直し、その意味をより良いものに変えるためなのかもしれない。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役