『信長の野望 真戦』が教えてくれる経営の本質
ゲームにはいろいろな楽しみ方がある。
勝敗そのものを楽しむ人もいれば、好きなキャラクターや武将を育てるのが好きな人もいる。仲間との連携を楽しむ人もいれば、戦略を考えること自体に面白さを感じる人もいるだろう。
ただ、ゲームによっては、単なる娯楽を超えて、現実の仕事や経営に通じる学びを与えてくれるものがある。
僕にとって『信長の野望 真戦』は、まさにそういうゲームだ。
やればやるほど感じるのは、強い武将を集めるだけでは勝てない、ということだ。
どの武将にどんな戦法をつけるのか。どういう方向で育てるのか。誰と誰を組ませるのか。
その違いで結果は大きく変わる。
そしてこの感覚は、現実の経営における「人の活かし方」と驚くほどよく似ている。
現実でも、優秀な人を集めればうまくいくわけではない。
営業が得意な人もいれば、裏方で全体を支えるのが得意な人もいる。
発想力に優れた人もいれば、仕組みを整えるのが得意な人もいる。
人を励ますことで力を発揮する人もいれば、静かに高い成果を出す人もいる。
大事なのは、「誰が一番すごいか」ではない。
その人の力を、どこで、どのように活かすかである。
この構造は、ゲームでもまったく同じだ。
攻撃型に育てるのか、耐久型にするのか。
単独で強い武将にするのか、チーム全体を活かす補助役にするのか。
弱みを補うのか、強みをさらに尖らせるのか。
その選択によって、武将の価値はまったく変わってくる。
ここが本当に面白い。
つまり、ゲームの中でやっていることは、単なる育成ではない。
「適材適所とは何か」
「強みをどう伸ばすべきか」
「組み合わせで価値がどう変わるのか」
を学ぶ訓練でもある。
しかも、ここで重要なのは、全員を同じ育て方では強くできないということだ。
この武将にはこの戦法が合う。
この武将は補助役として輝く。
この武将は一見地味だが、組み合わせることで本領を発揮する。
逆に、人気があって派手な武将でも、戦法や編成が噛み合わなければ思ったほど強くならない。
これは現実の人材育成とそっくりである。
現実の組織でも、全員に同じ教育をして、同じ評価軸で見て、同じ役割を期待してもうまくいかない。
前に出ることで伸びる人もいれば、支える立場で力を発揮する人もいる。
細かく詰めるのが得意な人もいれば、大枠を描くのが得意な人もいる。
弱点補強型の育成が合う人もいれば、強みを尖らせた方が圧倒的に伸びる人もいる。
つまり、「同じ育て方ではない」という感覚は、人を見る上でとても大事なのだ。
そして、ゲームがさらに面白いのは、目的が比較的明確なことである。
『信長の野望』であれば、基本的には戦力を高め、勝てる状態をつくることが大きな軸になる。
だからこそ仮説を立てやすい。
この武将にこの戦法をつけたら強くなるのではないか。
この方向で育てたら伸びるのではないか。
このチーム編成なら噛み合うのではないか。
そう思って試してみる。
ところが、実際にやってみると、思ったほど強くない。
「あれ?」となる。
頭の中では完璧に見えたのに、現実には機能しない。
この「あれ?」という感覚は、実は非常に大事だと思う。
人はつい、自分の頭の中で組み立てた設計図が正しいと思いたくなる。
能力が高そうだからうまくいくはず。
この組み合わせなら相性がいいはず。
この育て方が正しいはず。
しかし、実際にはそう簡単ではない。
なぜなら、結果は単体性能だけでは決まらないからである。
ゲームでも、武将単体の強さだけでなく、戦法との相性、発動順、他武将との噛み合わせ、役割分担、チーム全体のバランスで結果が変わる。
現実でも同じだ。
優秀な人を配置したからうまくいくとは限らない。
実績のある人を集めても、チームとして機能しないことがある。
正しそうな人事が、現場ではうまく回らないこともある。
このときに必要なのは、「思い込み」ではなく「観察」である。
ゲームの良いところは、その観察がしやすいことだ。
どの戦法が機能しているのか。
どの組み合わせが弱いのか。
なぜ思ったより伸びなかったのか。
なぜ逆に、予想外の編成が強かったのか。
つまりゲームは、仮説を立て、試し、結果を見て修正する訓練になる。
これは経営そのものだと思う。
新商品も、売れると思って出してみたら売れないことがある。
良かれと思った人事配置が機能しないこともある。
理論上は正しい施策が、現場では回らないこともある。
逆に、地味で期待していなかった施策の方が成果を出すこともある。
だから大事なのは、「最初から完璧に当てること」ではない。
試してみて、違ったら見直すこと。
うまくいかなかった理由を考え、次に活かすこと。
その柔軟さと修正力が、ゲームでも現実でも強さにつながる。
さらに面白いのは、ゲームには現実のような表情や空気感が見えないことである。
リアルの世界なら、会話や表情、態度、反応の速さ、ちょっとした違和感から、何となく雰囲気を感じ取ることができる。
この人は無理をしているな。
この二人は表面上は普通でも、実は噛み合っていないな。
この人は前に出るより、支え役の方が向いていそうだな。
そうしたことを、言葉以外からも感じ取ることができる。
しかしゲームには、それがない。
だからこそ難しい。
見た目の雰囲気や印象ではなく、結果と構造で判断しなければならない。
これは一見不便なようでいて、実は大きな学びでもある。
なぜなら現実では、人はどうしても印象に引っ張られるからだ。
話が上手い人を優秀だと思いやすいし、迫力がある人を頼れると感じやすい。
けれど本当は、目立たなくても安定して成果を出す人もいる。
派手さはないけれど、組織全体を支えている人もいる。
ゲームはそうした印象バイアスを外し、「機能」と「組み合わせ」で見る癖をつけてくれる。
もちろん、ゲームと現実は同じではない。
現実の事業には、お金、人間関係、責任、信用、法律など、もっと重たい要素がある。
だからゲームが強い人が、そのまま現実でも成功するとは限らない。
しかし、ゲームを通じて鍛えられる感覚が、現実に役立つことは十分にあると思う。
特に大きいのは、ゲームはバーチャルなので、大きな痛みを伴わずにやり直しがきくという点だ。
もちろん負ければ悔しい。
時間をかけた育成が思うように機能しなければ、精神的には痛い。
けれど現実の事業に比べれば、その痛みははるかに小さい。
事業はリアルである。
採用を間違えればコストがかかる。
教育の方向を誤れば時間も失う。
投資判断を間違えれば、利益だけでなく信用にも傷がつく。
無理な拡大は資金繰りを悪化させる。
人の配置を誤れば、組織が壊れることさえある。
だからこそ、ゲームの価値がある。
小さな失敗で済む世界で、何度も判断し、何度もやり直し、何度も学べる。
それは、痛みの少ない形で判断力を鍛える訓練だと言える。
どこに資源を投下するか。
誰をどう育てるか。
短期の成果を取るのか、長期の伸びを取るのか。
強そうに見えるものを採るのか、全体最適を優先するのか。
自分より速く伸びる人を見て落ち込むのか、そこから学ぶのか。
これらは、ゲームの中だけの話ではない。
経営にも、組織づくりにも、人生にもそのままつながっている。
実際、ゲームをしていると、自分が“池の中の蛙”だと感じることがある。
ものすごいスピードで育成している人。
こちらが気づいていない視点で動いている人。
効率よく資源を回し、無駄なく強くなっていく人。
それを見たときに、「すごい」で終わるのか、「何が違うのだろう」と考えるのかで、得られるものは大きく変わる。
現実も同じだと思う。
上には上がいる。
しかもその差は、単なる努力量ではなく、情報の質、優先順位、設計力、観察力、修正力の差であることが多い。
ゲームは、その差を見えやすくしてくれる。
だからこそ、自分の未熟さにも気づきやすいし、同時に成長のヒントも得やすい。
結局のところ、ゲームは遊びか、学びか。
答えはきっと、どちらでもある。
ただ勝った負けたで終わるなら、ただの娯楽かもしれない。
しかしそこから、人の活かし方、育て方、組み合わせの妙、仮説検証の大切さ、自分の思考の癖まで見つめることができるなら、ゲームは立派な教材になる。
『信長の野望 真戦』をしながら僕が感じるのは、まさにそこだ。
ただ武将を育てているようで、実は人材育成を学んでいる。
ただ編成を考えているようで、実は組織設計を学んでいる。
ただ負けて悔しがっているようで、実は自分の世界の狭さに気づかされている。
そして、その気づきがあるからこそ、ゲームの時間は単なる消費ではなくなる。
バーチャルで鍛え、リアルに活かす。
大きな痛みを伴う前に、小さな失敗を何度も経験しておく。
それもまた、ゲームの賢い使い方なのかもしれない。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役