――スター・ウォーズで気づいた「未来への希望と愛」
私はスター・ウォーズが好きだ。
最新作が公開されていることも知っていた。
しかし仕事が忙しく、なかなか時間が取れなかった。
だから今回も、
「絶対に観に行くぞ」
と決めていたわけではない。
ある日、ふと思い出したのである。
「あ、そういえばスター・ウォーズ公開されていたな」
時間も少し空いている。
せっかくだから観に行こう。
その程度の軽い気持ちだった。
ところが、その何気ない選択が思わぬ出会いにつながった。
グローグーである。
最近、私は思うことがある。
世の中には、事前に調べた方が良いものと、調べない方が良いものがあるのではないかと。
例えば商談や経営相談など、人と会う場面では事前情報を調べるべきだと思う。
相手の会社や事業内容を知らずに会うのは失礼だろう。
一方で、映画や博物館、展示会などはどうだろうか。
もちろん場所や開催日時くらいは調べる必要がある。
しかし、その内容まで詳しく調べる必要があるのだろうか。
私は最近、むしろ調べない方が良いのではないかと思うようになった。
なぜなら、人は一度情報を得ると、その情報に引っ張られてしまうからだ。
「これはこういう作品だ」
「ここを見るべきだ」
「こういう評価らしい」
そんな先入観を持った瞬間、本来感じられたはずのものが見えなくなることがある。
今回のスター・ウォーズもそうだった。
私はほとんど予備知識を持たずに観に行った。
だから最初は戸惑った。
しかし、その戸惑いがあったからこそ、自分なりの視点で作品を見ることができたのだと思う。
私たちは単に知識を得たいわけではない。
映画を観るのも、旅をするのも、博物館へ行くのも、
その体験を通じて何かを感じたいからではないだろうか。
もちろん何も感じないこともある。
それは自分の人生との関わりが薄いのかもしれない。
あるいは、まだ受け取る時期ではないのかもしれない。
しかし少なくとも私は今回、事前にグローグーのことを調べなくて良かったと思っている。
もし先に知識だけを得ていたら、この気付きには出会えなかったかもしれない。
浅い知識は、時として感性の邪魔になることがあるのだから。
正直に言うと、最初はかなり戸惑った。
私の知っているスター・ウォーズは、
ルーク・スカイウォーカー。
ダース・ベイダー。
ジェダイ。
帝国軍。
そんな壮大な銀河戦争の物語だった。
ところが今回の作品は雰囲気が全く違う。
帝国はすでに崩壊している。
反乱軍と帝国軍の大戦争もない。
むしろ描かれていたのは、帝国崩壊後の混乱期だった。
映画を見ながら何度も思った。
「これ、本当にスター・ウォーズなのか?」
しかし見終わった頃には、そんなことはどうでもよくなっていた。
なぜなら私はグローグーに夢中になっていたからである。
映画を観たその日のうちに私はディズニープラスに加入した。
そして『マンダロリアン』を一気に見始めた。
気が付けば全編視聴していた。
我ながら少しハマり過ぎだと思う。
しかし仕方がない。
とにかく可愛いのである。
歩いても可愛い。
寝ても可愛い。
いたずらしても可愛い。
怒られても可愛い。
何をやっても可愛い。
しかも、ただ可愛いだけではない。
見ていると、
「守ってあげたい」
という気持ちになる。
さらに、
「この子は将来どんな存在になるのだろう」
という期待まで湧いてくる。
私はなぜこんなにもグローグーに惹かれるのだろう。
そう考えているうちに、あることに気付いた。
グローグーは設定上50歳らしい。
見た目は完全に赤ちゃんだ。
しかしヨーダと同じ種族であることを考えれば、まだ幼児のような存在である。
つまり、
まだ何者でもない。
しかし可能性だけは無限にある。
今は小さい。
今は弱い。
今は守られる存在。
しかし100年後、200年後にはどんな存在になっているか分からない。
そこに私は希望を見たのだと思う。
グローグーは可愛いキャラクターなのではない。
未来への希望そのものだったのである。
実は映画を見ながら私が感じたのは、帝国崩壊後の世界だった。
多くの人は、
「新共和国は頼りない」
と思うかもしれない。
しかし私は違和感を覚えなかった。
むしろ、
「現実はこういうものだろうな」
と思った。
帝国は恐怖政治だったかもしれない。
しかし一方で秩序もあった。
ルールもあった。
人々は何を基準に生きればよいか分かっていた。
ところが帝国が崩壊した。
新しい時代が始まる。
だからといって、すぐに理想社会になるわけではない。
力を持つ者が現れる。
混乱に乗じる者も現れる。
新しいルールもまだ整っていない。
これは歴史を見ても同じである。
革命が起きればすぐに平和になるわけではない。
政権が変わればすぐに理想社会になるわけでもない。
古い秩序が崩れた後には、必ず混乱が訪れる。
そして長い時間をかけて新しい秩序が作られていく。
私は最近、AIやエネルギー革命について考えることが多い。
もし本当に社会が大きく変わるなら、同じことが起こるだろう。
未来は明るいかもしれない。
しかしその途中では、不安になる人もいる。
恐怖を感じる人もいる。
変化についていけない人もいる。
これまでの価値観が通用しなくなる人もいる。
だから私は思うのである。
そういう時代に必要なのは何だろうか。
私は、
未来への希望と愛
だと思う。
私は17年以上、中小企業診断士として数多くの経営者と向き合ってきた。
業績が伸びる会社も見てきた。
倒産寸前の会社も見てきた。
事業承継も見てきた。
社長の病気や突然死も見てきた。
その中で学んだことがある。
人は数字だけでは動かない。
ということだ。
例えば業績が悪化した会社がある。
借金もある。
さらに社長が突然亡くなった。
普通に考えれば非常に厳しい状況である。
しかし、その後を継いだ奥様や後継者が、
「子どもたちに残したい」
「社員を守りたい」
「この会社にはまだ価値がある」
そう思っている場合、驚くほどの力を発揮することがある。
一方で、
「本当は継ぎたくなかった」
「やらされているだけ」
「未来が見えない」
そういう状態では立て直せない。
能力の問題ではない。
未来への希望の問題なのである。
マーケティングも大事だ。
財務も大事だ。
経営戦略も大事だ。
しかし最後に人を動かすのは、
希望と愛である。
私はそう思っている。
観ているうちに、私はふと思った。
「これ、宇宙版の子連れ狼じゃないか」
強くて寡黙な男。
守るべき小さな存在。
旅をしながら、各地で困難に巻き込まれる。
この構図は、まさに子連れ狼である。
後で調べてみると、実際に『マンダロリアン』は『子連れ狼』の影響を受けているという話もあった。
なるほど。
私が直感的に感じたものは、あながち外れていなかったのだ。
ただ、『子連れ狼』が失われたものへの復讐の物語だとすれば、『マンダロリアン』は未来を守る物語である。
だから私はこんなにも惹かれたのかもしれない。
映画を観た後、私はグローグーに影響を受けて、自分なりのキャラクターまで作ってしまった。
我ながら少し笑ってしまう。
しかし考えてみると、それはグローグーの姿を借りて、自分が大切にしたい価値観を形にしていたのかもしれない。
未来への希望。
次世代への愛。
成長への信頼。
それらを一つのキャラクターとして表現したかったのだろう。
私は今、子どもたちが未来に希望を持てる社会をつくりたいと思っている。
食の問題も考える。
教育の問題も考える。
AIの可能性も考える。
一見するとバラバラの活動に見えるかもしれない。
しかし根っこは同じだ。
私は未来を信じている。
そして次の世代に希望を持ってほしいと思っている。
グローグーに心を奪われた理由も、おそらくそこにある。
グローグーは、小さくて、弱くて、まだ何者でもない。
しかし、その中には大きな可能性がある。
だから守りたくなる。
だから成長を見届けたくなる。
そして、そんな存在に出会った時、人は自分でも驚くほどの力を発揮する。
経営も人生も、きっと同じなのだと思う。
人は未来への希望と愛のためなら、どんな困難の中でも前に進める。
私はスター・ウォーズを観ながら、そのことを改めて教えられたのである。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役