先日、大きな話題を呼んだドラマ『六本木クラス』を観終えた。韓国の大ヒットドラマ『梨泰院クラス』の日本版リメイクであり、竹内涼真氏が演じる主人公・宮部新(みやべ あらた)の壮絶な生き様に、多くの人が心を揺さぶられたことだろう。
物語は、巨大外食企業「長屋ホールディングス」によって父の命と自らの人生を奪われた青年が、仲間たちと共に小さな居酒屋から身を起こし、十数年の歳月をかけて巨悪に立ち向かうというものだ。その様は、まさに**現代に蘇った「忠臣蔵」**と言っていい。理不尽な権力によって主君(父)を失った主人公が、仲間(同志)と結束し、長きにわたる計画の末に仇討ち(企業買収)を果たす。この普遍的な物語構造が、私たちの心を捉えて離さない。
しかし、物語が復讐の完成をもって終わりを迎えたとき、私の心には一つの大きな問いが浮かんだ。
「目的を果たした後、宮部新はいったいどうなるのか?」
動機が何であれ、彼は類まれなる資質を持った起業家だ。しかし、その原動力が単なる「復讐」であったならば、彼は人生の目的を失ってしまったことになる。彼の物語は、本当にここで終わりなのだろうか。
本稿では、この問いを起点に、『六本木クラス』という物語を深く掘り下げてみたい。なぜこの物語が現代の「忠臣蔵」として私たちの胸を打つのか、主人公・宮部新から学ぶべき起業のリアル、そして、復讐の先で彼が見出すであろう「新しい志」とは何かを、多角的に考察していく。
第1章:なぜ『六本木クラス』は現代の「忠臣蔵」なのか?
日本人が300年以上にわたって愛し続けてきた物語、『忠臣蔵』。主君の無念を晴らすために集った四十七士の物語は、時代を超えて語り継がれてきた。そして『六本木クラス』は、その魂を驚くほど巧みに現代へと移植している。
驚くべき物語構造の類似点
まずは、両者の構造を比較してみよう。
| 物語の要素 | 忠臣蔵 | 六本木クラス |
| 悲劇の発端 | 主君(浅野内匠頭)の理不尽な死 | 父(宮部信二)の理不尽な死 |
| 計画期間 | 約2年(雌伏の時) | 16年間 |
| 同志の結束 | 赤穂浪士 四十七士の忠義と絆 | 「二代目みやべ」の仲間たちの信念と絆 |
| 復讐の手段 | 武力による討ち入り(吉良邸) | ビジネスによる企業買収(長屋HD) |
| 最終目的 | 主君の無念を晴らす(正義の実現) | 父の無念を晴らす(正義の実現) |
もちろん、これは大枠での比較だ。特に忠臣蔵の計画期間「約2年」は、単純な討ち入り準備期間ではない。当初、大石内蔵助たちの最優先目標は、あくまで幕府に働きかけての「浅野家の再興」だった。その望みが絶たれ、「機が熟した」と判断して初めて、計画は「仇討ち」へと完全に舵を切る。この政治的な駆け引きと雌伏の期間を含めた深みが、物語にリアリティを与えている。宮部新の16年間もまた、単なる忍耐ではなく、資金集め、情報収集、そして仲間集めという、機を見るための戦略的な時間だったと言えるだろう。
日本人の心に響く「復讐劇」のDNA
では、なぜ私たちはこれほどまでにこの構造に惹かれるのだろうか。専門家の分析を紐解くと、そこには日本人の伝統的な美意識や価値観が横たわっている。
・忠義と義理:主君や家族への揺るぎない忠誠心。
・集団の結束:個人よりも、仲間との絆を重んじる文化。
・長期的な計画性:耐え忍び、我慢強く目標を追求する姿勢。
・勧善懲悪:悪が栄え、善が虐げられることへの生理的な嫌悪と、正義が実現されることへの渇望。
兵庫県立美術館の分析によれば、「何故これほど日本人は四十七士による『集団のドラマ』が好きなのでしょう?そこには日本人の美意識や価値観がある」という。まさに『六本木クラス』は、孤高のヒーローの物語ではなく、新というリーダーを中心に、それぞれが役割を果たしながら共通の目標に向かう**「集団のドラマ」**として描かれている。この点が、私たちの琴線に強く触れるのだ。
復讐の「現代的アップデート」
『六本木クラス』が単なる忠臣蔵の焼き直しでないことは明らかだ。その最大の功績は、復讐という行為を現代の価値観に合わせて見事にアップデートしたことにある。
・武力による仇討ち → ビジネスによる正当な復讐
・武士の忠義 → 現代的な信念と正義感
・切腹という自己犠牲 → 長期的な努力という自己犠牲
・四十七士の結束 → スタートアップチームの絆
現代の法治国家において、私的な武力行使は許されない。そこで脚本は、「刀」を「資本」に、「討ち入り」を「株式公開買い付け(TOB)」に置き換えた。これは、現代人が唯一許容できる、合法的かつ知的な復讐の形だ。暴力ではなく正当なビジネス手法で、個人的な恨みを社会の不正を正すという大義に昇華させた点に、この物語の新規性がある。
第2章:宮部新は理想の起業家か?――「完璧な個人」より「完璧なチーム」を
『六本木クラス』は復讐劇であると同時に、一つの会社が巨大企業へと成長していく壮大なスタートアップ物語でもある。この物語から私たちが学ぶべき、最も重要な教訓は何だろうか。
宮部新という不完全なリーダー
劇中、最大の敵である長屋茂会長は、新をこう評した。
「うちも最初は小さな店だった。明確な目標を持っている人間の成長をみくびってはならん」
彼の強みは、まさにこの**「明確な目標(志)を持ち、それに向かって着実に実行する力」**だ。しかし、彼一人で長屋HDを打ち負かすことは決してできなかった。彼は信念が強い反面、頑固で融通が利かず、マーケティングやデジタル戦略といった専門知識は皆無だった。
もし宮部新が「すべてを自分でやらなければ」と考える完璧主義者だったら、物語は六本木の小さな居酒屋で終わっていたはずだ。
最高の戦略は「最高の相棒」を見つけること
彼の快進撃が始まったのは、IQ162の天才インフルエンサー、麻宮葵がマネージャーとしてチームに加わってからだ。この事実は、私たちに起業における一つの真理を突きつける。
どんな人間も完璧ではない。そして、完璧な個人を目指すのは愚かな行為だ。それよりも、自分に足りないものを率直に認め、それを補ってくれる誰かを探すことの方が、はるかに賢明で成功確率の高い方法である。
『六本木クラス』は、この**「補完的パートナーシップの偉大な力」**を見事に描き出した物語だ。
・宮部新(ビジョンと求心力):揺るぎない志と、人を惹きつける人間的魅力でチームの中心となる。
・麻宮葵(戦略と実行力):天才的な頭脳でデータに基づいた戦略を立て、圧倒的な実行力で事業を成長させる。
彼らはそれぞれ単体では決定的な弱点を抱えていた。しかし、二人が組み合わさることで、弱点は消え、互いの強みが何倍にも増幅された。意思決定の質は向上し、事業のスピードは加速し、そして何より、困難な道を共に歩む精神的な支柱となった。
『六本木クラス』が示す起業家の理想像とは、何でもできるスーパーマンではない。自らの不完全さを受け入れ、自分とは異なる才能を心からリスペクトし、「完璧な個人」ではなく「完璧なチーム」を創り上げることができるリーダーの姿なのである。
第3章:「志」こそが全てを動かす――吉田松陰の教えと新の生き様
物語の終盤、ついに新は長屋HDの買収を成功させ、16年越しの復讐を完成させる。ここで、冒頭の問いに立ち返りたい。「目的を果たした後、彼はいったいどうなるのか?」
復讐の先にあるもの
最終回が描いた結末は、非常に示唆に富んでいた。 新は、長年の目標であった長屋茂会長の土下座を、もはや価値がないものとして退ける。彼は企業のトップに立ったが、ドラマはその「CEO宮部新」の姿をほとんど映さない。代わりに描かれるのは、原点である**「二代目みやべ」**に集い、仲間たちと笑い合う日常の風景だ。
「居酒屋の店員が最高に合ってる」
このセリフが象徴するように、新は権力の座に安住することを選ばなかった。彼の幸福は、高層ビルのCEOオフィスにあるのではなく、大切な仲間たちとの絆の中にあったのだ。そして、長年追いかけた初恋の相手・優香ではなく、常に隣で支え続けた葵への愛を自覚し、「俺の人生に最高の幸せをくれたのは、葵だ」と告白する。
これは、新が**「復讐に囚われた人生」から「愛と日常の幸福を重視する人生」へと転換した**瞬間である。権力志向からの解放であり、本来の自分らしい生き方への回帰だ。
吉田松陰の言葉「志の立つと立たざるとに在るのみ」
幕末の思想家、吉田松陰の言葉は、宮部新の生き様そのものを表しているように思える。
「道の精なると精ならざると、業の成ると成らざるとは、志の立つと立たざるとに在るのみ」
(意訳:人が道を正しく立派に生きられるか、学問や仕事が成功するかしないかは、すべて最初に確固たる志を立てるかどうかにかかっている。高い志があれば、できないことはない。)
「何のためにそれを成し遂げるのか」という「志」の有無こそが、最も重要なのだ。 新の16年間の行動の源泉は、単なる「復讐心」だけではなかった。その根底には、「信念を持って生きろ」という父の教えを守り抜くという、より高次な**「志」**が存在した。長屋HDの買収という「業」は、あくまでその「志」を貫くための一つのプロセスに過ぎなかったのだ。
だからこそ彼は、復讐という目的を果たした後も、抜け殻になることはなかった。
宮部新の「新しい志」とは
復讐という巨大な呪縛から解放された今、彼の「志」は新たなフェーズへと向かうだろう。 それはおそらく、巨大企業のトップとして君臨し続けることではない。「二代目みやべ」が象徴するように、人種や性別、経歴に関係なく、誰もが自分らしく輝ける居場所を作り、守り、育てていくこと。そして、かつての自分のように、社会の理不尽さに苦しむ人々を支え、彼らが信念を貫ける社会を作っていくことではないだろうか。
個人的な復讐から始まった彼の物語は、最高のパートナーと仲間との出会いを経て、より普遍的で、より社会的な「志」へと昇華されていく。彼の戦いは終わったのではない。本当の意味で、彼の人生が、彼の「志」を体現する物語が、ここから始まるのだ。
結論
『六本木クラス』は、巧みなストーリーテリングで私たちを魅了した、一級のエンターテイメント作品だ。しかしその本質は、現代社会における生き方、働き方、そして「志」の重要性を私たちに鋭く問いかける、深いメッセージ性にあった。
宮部新の物語は、私たちに二つの重要な教訓を与えてくれる。
一つは、人生を貫く**「志」**を持つことの強さ。 そしてもう一つは、自分一人の力で完璧を目指すのではなく、最高の仲間と共に「完璧なチーム」を創り上げることの賢明さだ。
ドラマは終わったが、宮部新の人生は続く。彼がこれから紡いでいくであろう「新しい志」に、私たちは心からの期待を寄せたい。そして、彼の生き様は、画面のこちら側にいる私たち一人ひとりにも問いかけている。
あなたの人生における「志」は何か? そして、その志を共にする最高のパートナーは、誰か? と。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役