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初めての能楽体験「わたつみ」〜時を超え、故郷の海と繋がった一日〜

先日、友人から「面白い能があるから一緒に行かない?」と誘いを受けた。正直なところ、私の能楽に関する知識は皆無に等しい。「なんだか難しそう…」というのが本音だったが、友人の熱意に押され、そして何より会場が馴染み深い「大濠公園能楽堂」 であることに惹かれ、足を運んでみることにした。この選択が、私を古代の歴史と故郷の海、そして未来へと続く深い思索の旅へといざなうことになるとは、その時は知る由もなかった。

荘厳なる異世界への扉、大濠公園能楽堂

令和7年9月14日、日曜日の昼下がり 。緑豊かな大濠公園の一角に佇む能楽堂は、一歩足を踏み入れると、ひんやりとした木の香りが漂い、日常とは隔絶された静謐な空気に満ちていた。開演は13時30分 。観客がそれぞれの席に着き、静寂が満ちていく。舞台は簡素でありながら、これから始まる儀式的な空間を予感させ、私の心は期待と少しの緊張で高鳴っていた。

この日の演目は、舞囃子「花月」、仕舞「砧」、「碇潜」と続き、そしてメインである復曲能「わたつみ」 へと至る構成だった。一つ一つの演舞が、研ぎ澄まされた動きと謡によって、幽玄の世界を描き出す。特に人間国宝である宝生欣哉氏や大倉源次郎氏 といった錚々たる演者たちの存在感は、能楽初心者の私にもひしひしと伝わってきた。

復曲能「わたつみ」— 蘇る海神の物語

そして、いよいよ「わたつみ」の開演。この作品は、安土桃山時代から志賀海神社に謡曲としてのみ伝承されてきたものを、現代に「能」として蘇らせた「復曲能」である。実に8年ぶりに福岡で再演される待望の舞台だという。

物語は、夢のお告げを受けて志賀島を訪れた松浦某(ワキ)の視点で進む 。彼が出会った神職・阿曇知家(前シテ)たちは、その日の祭礼について語り、やがて自らが海神(わたつみ)であることを明かして消えていく 。夜になり、神楽が奏でられる中、ついに底津綿津見神(後シテ)、表津綿津見神、仲津綿津見神の三神が姿を現す。神々が舞い、この世の平和と繁栄を寿ぐ(ことほぐ)様は、圧巻の一言だった。

実は、能のことは全くわからない私だが、以前、神楽を習って舞った経験がある。神々が舞うその姿、特にすり足のような足の運び方や、袖を操る指先の繊細なしぐさに、はっとさせられた。それはかつて自分が習った神楽の動きと、驚くほどよく似ていたのだ。「基本は一緒なんだな」。芸能の形は違えど、神に捧げる舞の根源は、どこかで深く繋がっているのだと感じ、一人静かに感動していた。

この能の背景にある志賀海神社は、古来より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、玄界灘の海上交通を守護してきた古社だ。上演記録のなかったこの謡曲を、能楽師の片山伸吾氏が長い年月をかけて復曲し、2017年に初上演に至ったという。ただの古典芸能ではない。神社の悲願であり、日本の文化遺産を未来へ繋ぐという、壮大なプロジェクトの結晶が今、目の前で繰り広げられているのだ 。

志賀島 — 個人的な記憶と壮大な歴史の交差点

「志賀島」。その地名を聞いた瞬間、私の脳裏には全く別の光景が広がっていた。幼い頃、夏になると祖父が何度も海水浴に連れて行ってくれた思い出の場所。博多ふ頭から市営船に乗って30分。潮風に吹かれながら食べたおにぎりの味、砂浜の熱さ、海の家のかき氷。私にとって志賀島は、そんな懐かしくも個人的な記憶の断片だった。

しかし、「わたつみ」を通じて知る志賀海神社の歴史は、私の小さな思い出を遥かに超える、壮大なものだった。海の底、中、表を守る綿津見三神を祀り、神功皇后が三韓征伐の際に祈りを捧げ、海神の助けを得たという伝説が残る地。その物語が、今まさに能として演じられている。

さらに深く調べてみると、息を呑むような仮説に行き当たった。「呉越同舟」で知られる古代中国の呉が越に滅ぼされた際、優れた航海術を持つ呉の民(海人族)が故郷を追われ、対馬海流に乗って日本にたどり着いた。その漂着地こそが、志賀島だったのではないか、というのだ。そして、彼らが後の古代海人族「安曇(あずみ)族」となり、志賀海神社を奉斎したという。魏志倭人伝に「倭人は呉の太伯の後裔」と記されていることや、考古学的な発見も、このロマンあふれる説を補強している。

私がただの海水浴場だと思っていたあの砂浜は、日本という国の成り立ちにも関わる、重要な歴史の舞台だったのかもしれない。祖父が何かを語ってくれた記憶はないが、もし知っていたら、どんな話をしてくれただろうか。

美しい海と向き合う現実

能楽堂の荘厳な舞台から、古代の海人族の航海へ。そして、幼い頃の祖父との思い出へ。私の思考は時空を旅していた。そして、最後にたどり着いたのは、現在の志賀島の姿だった。

美しく、神聖な場所であるはずの志賀島の海岸が、今、深刻なゴミ問題に直面しているという現実。ある調査では、わずか50メートルの区画から、重さ約400kg、個数にして1,550個以上ものゴミが回収されたという。その多くはプラスチックで、福岡市内の河川から流れ着くものもあれば、海流に乗って海外からやってくるものもある。多くの企業やボランティアが懸命に清掃活動を続けているにもかかわらず、ゴミは毎日後を絶たない。

あの日の能「わたつみ」は、海への畏敬と感謝、そして共生の祈りを描いていた。神々が舞い、寿いだあの美しい海を、私たちは未来に残すことができるのだろうか。能楽という一つの文化体験が、私の中で個人的な記憶と、壮大な歴史、そして現代社会が抱える環境問題とを、一本の線で結びつけた。

博多から船でわずか30分 。

あの日、神々が舞い降り、古代の民がたどり着いたであろう海岸。祖父と笑い合ったあの砂浜。

まずは、その海岸のゴミを一つ拾うことから始めてみようか。そんな思いが、私の胸に静かに、しかし確かに湧き上がっていた。友人に誘われた偶然の出会いが、これほどまでに深く、自分と故郷とを繋ぎ直してくれるとは。人生とは、実に不思議で、面白い。

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髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役