「人生は大胆かつ慎重に」――メイ・マスクの子育てから考えた、親の背中と「誠」

イーロン・マスクを知っている人は多いと思う。

テスラやスペースXなど、これまでになかった事業を次々と生み出し、世界に大きな影響を与えている人物だ。

では、その母親であるメイ・マスクを知っている人は、どれくらいいるだろうか。

僕がメイ・マスクに興味を持ったのは、単に「イーロン・マスクの母親だから」という理由ではない。

メイ・マスクには3人の子どもがいる。

イーロン・マスクは言うまでもない。

弟のキンバル・マスクも起業家として成功している。

妹のトスカ・マスクも、映画プロデューサー、起業家として成功している。

つまり、3人とも、それぞれ違う分野で成功している。

ここが、僕にはとても興味深かった。

一人だけが大成功したのであれば、

「ものすごい才能を持った子どもが、たまたま生まれた」

ということもあるかもしれない。

もちろん、人の成功は親の教育だけで決まるものではない。

本人の才能もあるし、努力もある。

環境や出会い、時代にも左右される。

それでも、3人の子どもが全員、それぞれ違う世界で成功しているとなると、

「この家庭には、何か再現性のあるものがあるのではないか」

と僕は思った。

育て方なのか。

家庭環境なのか。

親の考え方なのか。

あるいは、親自身の生き方なのか。

その何かを知りたくて読んだのが、メイ・マスクの

『72歳、今日が人生最高の日』

という本だった。

「人生は大胆かつ慎重に」

本を読んでいて、まず印象に残った言葉がある。

メイ・マスクが子どもの頃から家訓として聞いてきた、

「人生は大胆かつ慎重に」

という言葉だ。

僕は、この言葉がとてもいいと思った。

大胆に行動する。

でも、無謀にはならない。

挑戦する。

でも、必要な準備はする。

知らない世界へ飛び込む。

でも、何も考えずに飛び込むわけではない。

大胆さと慎重さを両方持つ。

メイ・マスクの人生を見ていると、この言葉が彼女の生き方の根底にあるように感じる。

彼女の父親は、とても冒険好きな人だったという。

飛行機を操縦し、家族を連れてさまざまな場所へ出かける。

カラハリ砂漠へ家族で冒険に行くような人だった。

今の感覚で考えると、

「そこまでやるの?」

と思うような話だ。

でも、メイにとってはそれが子どもの頃の日常だった。

知らない場所へ行く。

やったことのないことをやる。

未知の世界へ飛び込んでいく。

そんな親の姿を見ながら育った。

考えてみれば、子どもにとって、親がやっていることは「普通」になる。

親がいつも新しいことに挑戦していれば、

「挑戦することは特別なことではない」

と感じるのかもしれない。

メイ・マスク自身が、まず挑戦する親の背中を見て育っていた。

これは大きなことだと思う。

決して豊かな家庭ではなかった

そして、メイ・マスク自身の子育ても、決して楽なものではなかった。

彼女は23歳でイーロンを出産し、その後、3年と3週間ほどの間に3人の子どもを産んでいる。

しかし、結婚生活は幸せなものではなかった。

夫からのDVにも苦しみ、31歳で離婚。

その後は3人の子どもを育てながら、自分で働いて生活を支えていくことになる。

決して経済的に豊かな家庭ではなかった。

だからといって、

「苦しい家庭で育てれば、子どもが成功する」

と言いたいわけではない。

僕が興味を持ったのは、何でも最初から与えられていた環境ではなかったということだ。

子どもたちも、早くから自分のことは自分でする。

母親の仕事を手伝う。

必要なことがあれば、自分で考える。

自分で動く。

そういう力が、日常生活の中で自然に身についていったのかもしれない。

子どもの興味を、親が決めつけない

もう一つ、メイ・マスクの子育てで印象に残ったことがある。

それは、子どもの興味を伸ばすときの姿勢だ。

メイは、

子どもが興味を持ったことはやらせる。
必要としているときには励まし、手を貸す。

という考え方だったという。

僕は、ここがとても大切だと思った。

親が、

「あなたはこれをやりなさい」

「この学校へ行きなさい」

「この仕事のほうが安定しているから」

と、子どもの人生を先に決めてしまうのではない。

まず、その子が何に興味を持っているのかを見る。

興味を持ったなら、やらせてみる。

失敗するかもしれない。

途中でやめるかもしれない。

それでも、最初から親が可能性を閉じない。

そして、本当に助けが必要なときには手を貸す。

これは、放任でもなければ、過干渉でもない。

全部親がやってあげるのではない。

かといって、完全に放っておくわけでもない。

本人にやらせる。
でも、必要なときには支える。

イーロン、キンバル、トスカの3人が、それぞれまったく違う分野へ進んで成功していることを考えると、この育て方はとても興味深い。

3人を同じ型にはめなかったからこそ、それぞれが自分の興味を追いかけることができたのかもしれない。

「欲しいものは欲しいと言おう」

そんな本の中で、特に僕の心に残った章があった。

「欲しいものは欲しいと言おう」

という章だ。

娘のトスカがサインを欲しがっている。

ところが、自分から頼む勇気がない。

そこでメイ・マスクが伝えたのが、

頼まなければ、その時点で答えはNO

という考え方だった。

とてもシンプルだ。

頼めば断られるかもしれない。

でも、頼まなければ可能性は最初からない。

僕はこれを読んだとき、

「これは海外らしい考え方だな」

と思った。

日本人は、自分で自分にNOを出してしまう

僕たち日本人は、

「こんなことをお願いしたら迷惑かな」

「厚かましいと思われないかな」

「断られたら恥ずかしいな」

などと考えることがある。

相手を思いやる。

空気を読む。

遠慮する。

察する。

これは日本人の良さでもあると思う。

ただ、それが行き過ぎると、相手がNOと言う前に、自分で自分にNOを出してしまう。

「あの人に会いたい」

「この仕事をやってみたい」

「こんなことを実現したい」

「力を貸してほしい」

そう思っていても、誰にも言わなければ、誰にも伝わらない。

ところが口にすると、

「それなら知っている人がいるよ」

「一緒にやりましょうか」

「こんな方法があるよ」

と、思いもしなかったところから物事が動き始めることがある。

考えてみれば、

欲しいものを言葉にすること自体が、最初の行動なのだ。

海外の話だと思ったら、日本にもあった

ところが、しばらく考えていて、

「あれ?」

と思った。

日本にも昔から、これに通じる考え方がある。

それが、

「誠」

という言葉だ。

戦前の日本では、この「誠」という言葉が非常に大切にされていたと聞く。

今、「誠実」というと、

嘘をつかない。

真面目である。

人を裏切らない。

そんな意味を思い浮かべる人が多いと思う。

もちろん、それも「誠」だろう。

ただ、僕が学んだ「誠」には、とても好きな捉え方がある。

「言って、成す」

という考え方だ。

これは漢字の語源を説明しているわけではない。

あくまで生き方としての解釈だ。

自分が言ったことを、自分の行動によって成し遂げる。

言ったことを、成す。

それが「誠」だという。

神社で願うということ

これは、神社にお参りするときにも通じると僕は思っている。

神社へ行くと、

「商売がうまくいきますように」

「試験に合格しますように」

「いい人と出会えますように」

「夢が叶いますように」

とお願いする。

もちろん、それでいい。

でも、お願いしただけで終わってはいけないと思う。

例えば神様の前で、

「私はこれから、こういうことをします」

「こんな未来をつくります」

「これを実現します」

と、自分の意思を言葉にする。

そして、

「どうかお力を貸してください」

とお願いする。

神社を出たら、今度は自分が動く。

神様にお願いしたのだから、あとは待っていれば何とかしてくれる。

そういうことではないと思う。

自分がやることを言葉にする。

その言葉に責任を持って行動する。

その結果として「成る」。

僕にとっての「誠」とは、

言う → 動く → 成る

ということなのだ。

そう考えると、メイ・マスクの

「欲しいものは欲しいと言おう」

という言葉は、決して海外だけの考え方ではない。

日本人が昔から大切にしてきた生き方にも、どこか通じているように思う。

「子は親の背中を見て育つ」

そして、ここで最初の疑問に戻る。

なぜ、メイ・マスクの3人の子どもは、それぞれの世界で成功したのだろうか。

もちろん、

「こうすれば成功する子どもが育つ」

という単純な答えはない。

でも、この本を読んでいて強く感じたことがある。

「子は親の背中を見て育つ」というのは、本当なのではないか。

メイ自身も、冒険好きな父親の背中を見て育った。

「人生は大胆かつ慎重に」という考え方を、言葉だけではなく、親の生き方から学んだ。

そしてメイの子どもたちも、決して楽ではない環境の中で、それでも働き、考え、決断し、何度でも挑戦する母親の背中を見て育った。

メイは子どもたちに、

「挑戦しなさい」

と言っただけではない。

自分自身が挑戦していた。

「自分で考えなさい」

と言っただけでもない。

自分自身が人生を自分で決めていた。

そして子どもたちが何かに興味を持てば、まずやらせてみた。

必要なときには励まし、手を貸した。

もしかすると、僕が探していた「再現性」の一端は、ここにあるのかもしれない。

特別な英才教育ではない。

挑戦する親の姿を見せる。
子どもの興味を尊重する。
自分でやらせる。
そして、本当に必要なときには支える。

そんな積み重ねなのかもしれない。

子どもにとって、親は未来への希望

そしてこれは、今の日本にも大切な話なのではないかと思う。

幼い子どもにとって、一番身近な大人は親だ。

子どもは親を見ながら、

「大人になるって、こういうことなんだ」

と学んでいく。

だから本来、親や大人という存在は、子どもにとって未来への希望であってほしいと思う。

「大人になるって楽しそうだな」

「自分もこんなことをやってみたいな」

「失敗しても、またやり直せるんだな」

「未来には面白いことがありそうだな」

そんなふうに思わせてくれる存在だ。

ところが今の日本を見ていると、僕には、その希望の光が少し薄くなっているように感じることがある。

日本は今でも世界有数の経済規模を持つ国だ。

物もある。

食べ物もある。

教育も受けられる。

医療もある。

それでも、子どもたちが自ら命を絶つという深刻な状況が続いている。

もちろん、その原因を一つに決めることはできない。

家庭。

学校。

人間関係。

心身の問題。

将来への不安。

一人ひとりに違った事情がある。

だから、

「大人が希望を見せていないからだ」

と単純に結びつけるつもりはない。

それでも僕は考えてしまう。

僕たち大人は、子どもたちにどんな未来を見せているだろうか。

「世の中は大変だ」

「日本はもうダメだ」

「これからもっと苦しくなる」

そんな話ばかりを大人がしていたら、子どもたちは未来をどう感じるだろう。

現実を隠す必要はない。

大変なことは大変だと言えばいい。

でも同時に、

「それでも人生は面白い」

「未来は自分たちで変えていける」

「何歳からでも挑戦できる」

という姿を、大人自身が見せることも必要なのではないだろうか。

『72歳、今日が人生最高の日』

改めて、この本のタイトルを見る。

『72歳、今日が人生最高の日』

とてもいいタイトルだと思う。

メイ・マスクの人生は、決して順風満帆ではなかった。

それでも彼女は、何歳になっても新しいことに挑戦している。

だから、このタイトルは単なるポジティブ思考ではないのだと思う。

過去に何があったかではない。

何歳になったかでもない。

今日、自分はどう生きるのか。

子どもは、大人の言葉だけを聞いているわけではない。

大人がどう生きているのかを見ている。

メイ・マスクの本を読み始めたとき、僕が知りたかったのは、

「なぜ3人の子どもが全員成功したのか」

だった。

でも読み終えて、僕が考えさせられたのは、成功する子どもの育て方というより、

僕たち大人は、次の世代にどんな背中を見せているのか。

ということだった。

子どもたちに未来への希望を持ってほしいなら、まず大人自身が人生に希望を持ち、挑戦している姿を見せる。

「人生は大胆かつ慎重に」

メイ・マスクの本を読んで、そんなことを考えた。