大ピンチ展で考えた。子どもの可能性を広げるのは「教えること」だけではない
先日、たまたま「大ピンチ展」というイベントを見つけた。
『大ピンチずかん』という絵本をご存じだろうか。
鈴木のりたけさんが描く、子どもの日常に起きる「大ピンチ」を集めた絵本だ。
牛乳をこぼした。
トイレに紙がない。
アイスを落とした。
大人から見れば、
「そんなの大したことないじゃん」
と思うような出来事を、子どもにとっての「大ピンチ」として面白おかしく描いている。
これが、ものすごく売れている。
シリーズ3作で累計300万部を突破しているという。
その世界を実際に体験できる「大ピンチ展」が福岡市科学館で開催されていたので、行ってみることにした。
夏休みの土日ということもあったのだろう。
当日は日時指定のチケットが必要で、夕方の時間帯をなんとか押さえることができた。
会場へ行ってみると、子ども連れの家族でいっぱいだった。
やはり大人向けというより、完全に子どもが楽しむための展示だ。
でも、見ているうちに僕は少し違うことを考え始めた。
僕たちも昔は、こんなことで大ピンチだった
展示されている「大ピンチ」を見ながら思った。
そういえば僕たちも子どものころは、大人から見れば大したことのない出来事を、本気で「大変だ!」と思っていた。
忘れ物をした。
何かを壊した。
親に怒られそうになった。
友達の前で失敗した。
その瞬間の自分にとっては、それこそ世界が終わるくらいの大問題だった。
ところが大人になると、同じようなことが起きても、
「まあ、なんとかなる」
と思えるようになる。
経験を積んだからだ。
これは間違いなく成長だと思う。
でも、その一方で、
大人になることで、感受性まで失っていないだろうか。
とも思った。
子どもは小さなことにも驚く。
不思議がる。
怖がる。
喜ぶ。
「なんで?」
「どうして?」
「これ何?」
と、いろいろなものに反応する。
ところが大人になると、
「知っている」
「そんなものだ」
「自分には関係ない」
と処理してしまうことが増えていく。
最近、RASという言葉をよく耳にする。
RASは脳の情報選択に関係する仕組みだが、日常的な言い方をすれば、僕たちは自分に必要だと思う情報を拾い、それ以外を見過ごしている。
経験が増えるほど、このフィルターは強くなる。
それによって効率よく生きられるようになる一方で、目の前に面白いものがあっても気づかなくなってしまう。
もしかすると発想力が乏しくなる原因の一つは、
「新しいものがない」のではなく、「新しいものに気づかなくなった」ことなのかもしれない。
ピンチは悪いことなのか
もう一つ、「大ピンチ展」で感心したことがある。
単にピンチを面白おかしく見せるだけではなく、専門家の立場から、
ピンチはチャンスにもなる
ということを、きちんと子どもたちに伝えていたことだ。
これは、とてもいい教育だと思った。
ピンチになると、人は考える。
「どうしよう」
「ほかに方法はないかな」
「次はどうすればいいだろう」
順調なときには考えなかったことを考え、工夫し、失敗から学ぶ。
これは子どもだけではない。
会社経営でも同じだ。
売上が落ちた。
社員が辞めた。
競合が現れた。
原材料が値上がりした。
その瞬間は大ピンチだ。
しかし、その出来事があったからこそ、それまでのやり方を見直し、新しい仕組みや商品が生まれることもある。
振り返れば、
「あのピンチがあったから今がある」
ということは、人生でも経営でも珍しくない。
そう考えると、子どものときから、
「ピンチは怖い。でも、ピンチが来てもなんとかできる」
という経験を積むことは、とても大切なのではないだろうか。
大人がすべての失敗を先回りして防いでしまうのではなく、小さなピンチなら自分で考え、乗り越えさせる。
そして、
「なんとかなった」
という経験を積ませる。
それは、これからの時代を生きていくための大切な力になると思う。
科学館に子どもを連れてくる親を見て思ったこと
今回もう一つ印象に残ったのが、福岡市科学館そのものだった。
館内では、地球のことや科学のことだけではなく、AIやロボットなど、これからの時代につながるものにも触れられる。
そこにも、たくさんの親子が来ていた。
それを見ながら、
こういうところに子どもを連れてくる親は素晴らしいな
と思った。
子どもは、自分ではまだ知らない世界がたくさんある。
AIを知らなければ、AIに興味を持つこともない。
宇宙を知らなければ、宇宙飛行士になりたいとも思わない。
ロボットに触れたことがなければ、それをつくる仕事があることすら知らないかもしれない。
だから教育というのは、何かを教えることだけではない。
「こんな世界もあるよ」と見せてあげることも教育なのだと思う。
僕自身は田舎育ちだ。
子どものころ、身近にこういう科学館のような施設はなかった。
もちろん、田舎には田舎で自然の中から学べることがたくさんあった。
それはそれで、とても恵まれていたと思う。
でも今回、たくさんの子どもたちが科学館でさまざまなものを見ている姿を見ながら、正直、
「いいなあ。羨ましいな」
とも思った。
子どもは「出会った世界」の中から未来を選ぶ
そして、ここは少し考えさせられた。
子どもがどんな世界に触れられるかは、
住んでいる場所。
親の関心。
家庭の環境。
休日にどこへ連れていってもらえるか。
そういうものにも大きく左右される。
子ども自身には選べない部分も多い。
教育格差というと、学力や塾、進学の話になりがちだ。
でも、そのもっと前に、
「どれだけ多様な世界と出会う機会があったか」
という差があるのではないだろうか。
知らないものは、将来の選択肢にはなりにくい。
子どもは、自分が出会った世界の中から、
「これ面白い」
「もっと知りたい」
「こんなことをやってみたい」
と、自分の未来を少しずつ広げていく。
だからこそ、大人が子どもにしてあげられることの一つは、
答えを教えることではなく、
世界を見せること。
なのだと思う。
成功の反対は、失敗ではない
そして今回、大ピンチ展を見ながら、僕が以前から思っていることを改めて感じた。
成功の反対は、失敗ではない。
何もしないことだ。
成功と失敗は、反対側にあるものではないと思う。
むしろ、
成功は、失敗の延長線上にある。
やってみる。
うまくいかない。
考える。
やり方を変える。
またやってみる。
そうやってチャレンジを繰り返した先に、成功がある。
だから大切なのは、
失敗しないことではなく、チャレンジする心を失わないこと。
そう考えると、「大ピンチ展」は単に子どもを楽しませるイベントではないのかもしれない。
ピンチになっても大丈夫。
失敗しても大丈夫。
困ったら考えればいい。
別の方法を試してみればいい。
そして、そのピンチが新しい発見や成長につながることもある。
そんなことを、遊びながら子どもたちに伝えてくれている。
僕はそこが、とても素晴らしいと思った。
大人が子どもにしてあげられることは、失敗しないようにすべての障害を取り除くことではない。
小さな失敗を経験させること。
小さな大ピンチを乗り越えさせること。
そして、「やってみよう」という気持ちを育てること。
それも大切な教育なのだと思う。
子どもの心を忘れない
よく、
本当に成功している人は、無邪気で子どものようだ
という話を聞く。
僕も、これまで成功している経営者に会ってきて、そう感じることがある。
何歳になっても好奇心旺盛なのだ。
「それ面白いね」
「どうなっているの?」
「やってみよう」
と、知らないことに興味を持つ。
だから、いろいろなものが目に入る。
一見関係のないもの同士がつながる。
そして、そこから新しいアイデアが生まれる。
反対に、
「そんなの当たり前」
と思った瞬間、そこで思考は止まる。
なぜそうなっているのか。
本当にこれが一番いいのか。
もっと違う方法はないのか。
そんな問いも生まれなくなる。
当たり前は安心だ。
当たり前は楽だ。
でも、当たり前ばかりの毎日は、少しつまらない。
大ピンチ展で楽しそうにしている子どもたちを見ながら、
子どもの心を忘れないことは、人生を面白くするだけではなく、新しい発想を生み出すためにも大切なんだろうな
と思った。
大人になるということは、何でも知っている人になることではない。
むしろ、
何歳になっても「なんでだろう?」「面白そう」と思えること。
そんな大人でいたいと思う。
