先日、小田原へ行ってきた。
目的は小田原城を見ることだった。
小田原といえば北条早雲。
そう思っている人は多いのではないだろうか。私もその一人だった。
実際、小田原駅の西口には北条早雲の銅像がある。
そして東口を出ると、小田原城へ向かう流れになる。
小田原という町において、小田原城と北条氏が大きな存在であることは間違いない。
城へ向かう途中、まず印象に残ったのは城壁沿いに咲く紫陽花だった。
ちょうど見頃を迎えており、石垣と紫陽花の組み合わせが美しかった。
花菖蒲はこれからのようだったが、春には桜も美しいらしい。
城そのものだけではなく、季節ごとに違う表情を見せる。
これも小田原城の魅力の一つなのだろう。
その後、城内に入り、展示を見て回った。
展示物はもちろん興味深い。
甲冑があり、刀があり、古文書があり、城の歴史が語られている。
ただ、正直なところ、全国の城をいくつか見ていると、展示物はどこも似たような印象を受けることもある。
もちろん歴史好きには面白い。
しかし一般の観光客の立場で見ると、
「なるほど」
で終わってしまう可能性もある。
一度見れば十分と思う人も少なくないかもしれない。
そんな中で、私の目が止まったのは年表だった。
そこには、北条氏が小田原に入る前に、大森氏が町を整備し、城を築いていたことが記されていた。
私は全く知らなかった。
小田原といえば北条早雲。
小田原城といえば北条氏。
そう思っていた。
実際、展示の中心も北条氏や徳川氏であり、大森氏は年表の中に登場する程度である。
おそらく気づかずに通り過ぎる人も少なくないだろう。
しかし私は、そこで少し考えた。
歴史というのは、どうしても主役に光が当たる。
北条早雲は有名である。
後北条氏も小田原の歴史を語るうえでは欠かせない。
しかし、その前に町を整備し、城を築いた人がいる。
土台を作った人がいる。
その基盤があったからこそ、後の発展があったのかもしれない。
歴史とは、主役だけで作られるものではない。
そんなことを考えながら小田原城を後にした。
小田原城は確かに魅力的だった。
ただ、今回私が強く印象に残ったのは、城そのものだけではなかった。
駅前にある新城下町である。
三階建ての飲食店街なのだが、城下町風の造りになっている。
こうした施設は、全国にもある。
だから最初はそれほど期待していなかった。
しかし実際に歩いてみると、悪くなかった。
いや、思っていた以上に面白かった。
平日にもかかわらず、人も少なくなかった。
そして何より、中身に小田原らしさを感じた。
魚を焼く香りが漂っている。
干物の試食コーナーのような場所には人が集まっている。
係の人もいて、地元の魚の魅力を伝えようとしているように見えた。
私は人が多かったので立ち寄らなかったが、金目鯛の干物を焼いていたと思う。
とにかく魚の良い香りが印象に残った。
食べ物の魅力は、文字だけでは伝わりにくい。
写真でも限界がある。
しかし香りは強い。
魚を焼く香りが漂っているだけで、
「小田原に来た」
という感覚が少し強くなる。
地元の鯵を使った料理も多かった。
私は鯵の唐揚げを食べてみた。
これが美味しかった。
鯵フライは知っている。
干物も知っている。
タタキも知っている。
しかし鯵の唐揚げはあまり食べた記憶がない。
食べてみると、これがなかなか良かった。
ビールのつまみには最高だと思った。
もちろん、熱々だったから美味しかったのかもしれない。
冷めたらどうなるかは分からない。
それでも、
「鯵ってこんな食べ方もあるのか」
という発見があった。
また、小田原どんという取り組みも目にした。
小田原の海と大地で育まれた食材を使う。
小田原漆器に盛る。
そして、小田原をもっと好きになってもらうようにもてなす。
詳しいことまでは分からないが、新城下町だけの取り組みではなく、小田原の町全体で行われている活動のようだった。
この考え方が面白いと思った。
単に丼を作るだけではない。
地元の食材だけでもない。
器も小田原。
もてなしも小田原。
つまり、食を入口にして、小田原という町全体を感じてもらおうとしている。
これは地域ブランドを考えるうえで、とても大事な視点ではないだろうか。
私は観光地へ行くと、少し残念に思うことがある。
その土地とはあまり関係のない土産物が並んでいる時である。
もちろん経営上の事情はあるだろう。
売れる商品を置かなければならない。
品揃えを増やしたい。
棚を埋めなければならない。
それは理解できる。
しかし、そういう売場を見ると、私は少し冷めてしまう。
そしてこう思ってしまうのである。
「もう諦めてしまったのだろうか」と。
自分たちの地域の魅力を。
自分たちの文化や歴史を。
自分たちの強みを。
その土地に来た人は、その土地のものを見たいのだと思う。
その土地でしか感じられないもの。
その土地の人が誇りに思っているもの。
その土地で育ってきたもの。
それに出会いたい。
もちろん、すべてを地元のものだけで揃えるのは難しいのかもしれない。
しかし、品揃えが足りないと思うのは、広げようとするからではないだろうか。
むしろ狭めて、深掘りする。
そうすると、意外と色々なものが出てくるのではないかと思う。
京都へ行った時、唐辛子の専門店を見て驚いたことがある。
唐辛子と聞くと、多くの人は一味唐辛子や七味唐辛子を思い浮かべるだろう。
私もその程度の認識だった。
しかし京都で見た唐辛子の世界は、思った以上に深かった。
辛さの違いがある。
香りの違いがある。
柚子の香りを感じるものもある。
料理によって使い分けるという発想もある。
同じ唐辛子でも、こんなに種類があるのかと驚いた。
唐辛子そのものは珍しいものではない。
全国どこにでもある。
しかし、それを徹底的に深掘りすると、一つの文化になる。
専門店が成立するほどの奥行きが生まれる。
大阪では、たこ焼きの缶詰を見たことがある。
正直、
「ここまでやるのか」
と思った。
しかし同時に、さすが大阪だとも思った。
たこ焼きという一つの食文化を、そこまで広げ、深掘りしている。
たこ焼きそのものは珍しくない。
しかし、そこまでやることで大阪らしさが強くなる。
小田原の鯵も同じだと思う。
鯵は珍しい魚ではない。
鯵フライも干物も全国にある。
しかし、鯵の唐揚げや鯵出汁と聞くと、少し興味が湧く。
知っていると思っていたものに、まだ知らない世界がある。
そこに発見がある。
地域ブランドとは、新しいものを無理に作ることではないのかもしれない。
自分たちの地域にすでにあるものを深掘りすること。
その魅力を、外から来た人にも分かる形で伝えること。
そこに価値があるのだと思う。
そして地域ブランドを考えるうえで、もう一つ大事なことがある。
それは、主役だけではリピートは生まれないということだ。
小田原の主役は、間違いなく小田原城である。
小田原へ行こうと思う最初の動機として、小田原城はとても強い。
ドラマでいえば主演俳優のような存在だ。
「あの人が出ているなら見てみようかな」
と思わせる力がある。
地域も同じで、
「小田原城があるなら行ってみようかな」
と思わせる力がある。
だから地域の人も行政も、主役に力を入れる。
お金もかける。
整備もする。
発信もする。
それは当然だと思う。
しかし、本当に大事なのは、主役を支える脇役なのではないだろうか。
多くの観光地は、主役におんぶにだっこになっているように感じることがある。
有名な城がある。
有名な神社がある。
温泉がある。
景勝地がある。
それ自体は素晴らしい。
しかし、そこだけに頼ってしまうと、観光客は一度来て終わりになる。
そしてやがて、
「一見さんばかりでリピーターが少ない」
と嘆くことになる。
そもそも、一見さんばかりに頼る観光地は経営的にも苦しくなりやすい。
新しいお客様を呼び続けるには、広告費もかかる。
話題作りも必要になる。
イベントも打たなければならない。
一度来た人がまた来てくれる地域であれば、集客の負担は少しずつ軽くなる。
しかし、一度来て終わりの地域は、常に新しい人を呼び続けなければならない。
しかも今はSNSの時代である。
実際に訪れた影響力のある人が、
「思ったほどではなかった」
「一度行けば十分」
と発信すれば、その印象は一気に広がる。
主役だけに頼った観光地は、最初の期待値が高い分、期待を超えられなかった時の反動も大きい。
だからこそ、地域にはリピートしたくなる理由が必要なのだと思う。
でも本当に見るべきなのは、主役そのものではなく、その周りなのかもしれない。
なぜなら、主役は注目されるからだ。
注目されるから研究される。
研究されるから、どうしても似てくる。
城の展示も、観光施設の作り方も、導線も、全国を見れば似たような印象になることがある。
これは仕方がない。
主役には、ある程度の型があるからだ。
しかし脇役は違う。
特に、その土地の気候や土壌を活かしたもの。
その土地に根づいた産業。
長い歴史の中で培われた食文化や工芸。
そうしたものは、簡単には真似できない。
小田原でいえば、相模湾の魚、干物、かまぼこ、小田原漆器などがそうなのだろう。
花や景観は、時間と手入れをかければ他地域でもある程度再現できるかもしれない。
もちろん簡単ではないが、計画的に整備すれば似たものを作ることは可能である。
しかし食や産業の文化は、そうはいかない。
魚を食べる文化。
干物にする技術。
かまぼこを作り続けてきた歴史。
漆器を使う習慣。
それらは一朝一夕には生まれない。
だからこそ、地域ブランドの差別化要素になる。
もし今、自分たちの地域にそうしたものがないと思うなら、これから育てればいいのかもしれない。
例えば鹿児島の芋焼酎も、最初から鹿児島に焼酎技術やサツマイモ栽培があったわけではない。
外から入ってきた技術や作物が、その土地の気候や土壌、暮らしに合い、長い時間をかけて根づいていった。
そして人々が工夫を重ね、磨き続けた結果、今では鹿児島を代表する文化になっている。
そう考えると、地域ブランドとは、昔からあるものだけを守ることではない。
その土地に合うものを見つけ、育て、未来の地域資源にしていくことでもあるのだと思う。
昔は、なぜその土地で何が育つのか、なぜその産業が合うのか、経験的にしか分からなかったのかもしれない。
しかし今は違う。
気候データがある。
土壌分析がある。
水質分析もある。
歴史資料も調べられる。
観光客の行動も分析できる。
SNSの反応も見られる。
AIを使って仮説を立てることもできる。
昔よりはるかに多くの情報を取ることができる。
本当は、自分たちの地域の強みを見つけやすい時代になっているはずなのだ。
だから地域ブランドとは、過去の遺産を守ることだけではない。
今ある価値を深掘りすること。
そして、未来の地域資源を育てることでもある。
これは企業経営にも似ている。
多くの会社は、看板商品ばかりを磨こうとする。
もちろん看板商品は大事である。
それがお客様を呼ぶ。
しかし、お客様がリピートする理由は、必ずしも看板商品だけではない。
定食屋で考えると分かりやすい。
主役はおかずである。
ハンバーグかもしれない。
焼魚かもしれない。
とんかつかもしれない。
しかし実際にリピートしたくなる理由は、美味しい炊き立てのご飯だったり、出汁のきいた味噌汁だったり、自家製の漬物がおかわり自由だったりする場合も少なくない。
主役は普通でも、周りがしっかりしている店には、なぜかまた行きたくなる。
ドラマも同じだ。
主演俳優が入口になる。
あの人が出ているなら見てみようと思う。
しかし、名作になるかどうかは主演だけでは決まらない。
むしろ、ベテランの名バイプレイヤーたちが周りを固めているかどうかが大きい。
主役を支える人がいる。
世界観を作る人がいる。
物語に厚みを出す人がいる。
だから主役が輝く。
地域も同じなのではないだろうか。
小田原城は主役である。
しかし小田原城だけでは、小田原という町の魅力は完成しない。
城壁沿いの紫陽花がある。
新城下町がある。
干物の香りがある。
鯵の唐揚げがある。
かまぼこ文化がある。
小田原どんの考え方がある。
そうした脇役たちが、小田原という町に厚みを与えている。
人を呼ぶのは主役かもしれない。
しかし人を惹きつけ続けるのは脇役である。
地域ブランドとは、主役を作ることだけではない。
主役を支える脇役を育てること。
そして、自分たちの価値を信じ、それを深掘りし続けること。 そんなことを考えながら、帰りの駅でかまぼこ屋の一人前サイズのおつまみを見つけ、思わず購入していた。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役