――柳川の老舗味噌屋で考えた、伝統食が消えていく理由
先日、柳川にある老舗の味噌屋さんを見学する機会があった。
味噌は、日本人にとってあまりにも身近な食品である。
味噌汁はもちろん、味噌煮、味噌炒め、田楽、酢味噌、味噌漬けなど、さまざまな料理に使われている。
私自身、味噌についてまったく知らなかったわけではない。
大豆に麹と塩を加えて発酵させる食品であること。地域によって米味噌、麦味噌、豆味噌などがあること。そして、九州の味噌は比較的甘いこと。
その程度の知識は持っていた。
しかし、実際に老舗の味噌屋さんを訪ね、製造方法や地域による違いについて話を聞いてみると、知らないことばかりだった。
そして私は、味噌そのものについてだけでなく、日本人と伝統食との関係について考えさせられた。
これほど長い間、日本人の食卓を支えてきた食品でありながら、私たちは味噌のことを、あまりにも知らなくなっているのではないだろうか。
九州の普通の味噌は、全国では「減塩味噌」に近い
見学で特に驚いたのが、九州の味噌の塩分についての話だった。
味噌というと、
「塩分が高い」
「血圧によくない」
「味噌汁は控えた方がよい」
という印象を持つ人も少なくない。
ところが味噌屋さんによると、九州の味噌は、関東などで一般的に食べられている味噌と比べて、もともとの塩分濃度が低いのだという。
しかも、一般的に「減塩味噌」と呼ばれる商品の塩分濃度が、九州では普通の味噌と同じ程度なのだそうだ。
私はこの話を聞いて、かなり驚いた。
九州では、最近の健康志向に合わせて塩を減らしたわけではない。
昔から普通に造り、普通に食べてきた味噌が、全国的な感覚で見ると減塩味噌に近かったのである。
つまり、九州の人にとって当たり前の味噌が、ほかの地域から見ると「減塩食品」に近いということになる。
味噌汁一杯の食塩相当量についても、一般的には一・五グラム程度といわれることがあるが、九州の味噌なら一グラム程度になることもあるという。
もちろん、味噌の種類や使用量、濃さによって違いはある。
しかし、全国一律に、
「味噌汁は塩分が高い」
と決めつけること自体が、少し乱暴なのではないかと思った。
九州の合わせ味噌は、後から混ぜるだけではない
もう一つ興味深かったのが、九州の合わせ味噌の造り方である。
私はこれまで、合わせ味噌とは、完成した米味噌と麦味噌を後から混ぜたものだと思っていた。
ところが、九州の合わせ味噌は、米味噌と麦味噌を別々に完成させてから混ぜるのではないという。
米麹と麦麹を仕込みの段階から一緒にし、大豆や塩と合わせ、初めから一つの味噌として発酵、熟成させるのだそうだ。
完成した二つの味噌を後から混ぜるのと、二種類の麹を初めから一緒に育てるのでは、発想そのものが違う。
後から混ぜる方法は、それぞれの味噌の個性を組み合わせるブレンドである。
一方、九州の合わせ味噌は、米麹と麦麹が同じ環境の中で働き、互いに影響し合いながら、一つの味を造り上げていく。
同じ「合わせ味噌」という言葉でも、その背景には地域ごとの製法と文化がある。
これも、実際に味噌屋さんの話を聞かなければ知らなかったことである。
九州味噌の甘さは、砂糖の甘さだけではない
九州の味噌というと、「甘い味噌」という印象を持つ人が多いと思う。
確かに、関東の辛口味噌などに比べると、九州の味噌は甘く感じる。
しかし、その甘さは、単に砂糖を加えただけの甘さではない。
麹の割合が多く、発酵によって原料のでんぷんやたんぱく質が分解されることで、甘みやうま味が生まれる。
さらに塩分が比較的低いため、麹や大豆、麦が持つ甘みを感じやすい。
もちろん、商品によっては砂糖や調味料などが使われているものもある。
九州の味噌だから、すべてが無添加というわけではない。
しかし本来、九州味噌の甘みは、原料の配合、麹の量、発酵、熟成、地域の食文化が積み重なって生まれたものである。
そこには、単に「甘い」「辛い」だけでは語れない奥深さがある。
「減塩」と書いてあれば、それで安心なのか
今回の話を聞いて、私は一般的な減塩味噌についても考えた。
味噌造りにおける塩は、単に塩味をつけるためだけのものではない。
発酵の進み方を調整し、好ましくない微生物の増殖を抑え、保存性を保つ役割もある。
そのため、一般的な味噌から単純に塩だけを減らせば、同じ味や品質を保てるとは限らない。
市販されている減塩味噌の中には、原料の配合や発酵技術を工夫して塩分を抑えた商品もある。
一方で、少なくなった塩味や保存性を補うため、酒精や調味料などを使っている商品もある。
もちろん、添加物が使われているから、すべてが直ちに悪いと断定するつもりはない。
しかし私は、食品添加物については慎重に考えている。
日本で使用が認められていても、海外で安全性に疑問が持たれ、使用が規制されているものであれば、あえて選ぶ必要はないという考えである。
国によって基準が違うという説明もある。
それでも私は、疑問があるものを積極的に口にする必要はないと思っている。
少なくとも、「国が認めているから絶対に大丈夫」と無条件に信じるのではなく、自分で原材料表示を確認し、選ぶことが必要ではないだろうか。
ただし、九州味噌もすべてが無添加ではない。
九州にも調味味噌はあるし、酒精や調味料を使った商品もある。
だから、
「減塩味噌は悪い」
「九州味噌ならすべてよい」
という単純な話ではない。
大切なのは、「減塩」という表面の言葉だけで判断するのではなく、何を原料にし、どのような方法で造られているのかを見ることである。
一般的な減塩味噌と九州の普通の味噌の塩分濃度が同じ程度であるなら、一度、九州の味噌も試してみてはどうだろうか。
減塩でも、食べ過ぎれば同じである
もう一つ気をつけたいのが、
「減塩だから多く食べても大丈夫」
という思い込みである。
どれほど塩分濃度が低くても、食べる量が増えれば、最終的に取る塩分量も増える。
また、うま味や甘味などによって塩味の角が取れ、まろやかでおいしく感じられるように調整された食品もある。
味を整えること自体が悪いわけではない。
しかし、しょっぱさを感じにくいために、つい量が増えてしまうこともあるかもしれない。
減塩とは、あくまで同じ量を食べた場合の比較である。
実際にどれだけ食べ、どれだけ飲むかまで考えなければ、本当に塩分を減らしたことにはならない。
「減塩」という表示だけで安心するのではなく、原材料、製法、食べる量まで含めて考えたい。
なぜ味噌汁だけが悪者にされるのか
私は以前から、味噌汁が塩分の多い食品の代表のように語られることに違和感を持っている。
もちろん、味噌汁にも塩分は含まれている。
濃い味噌汁を何杯も飲めば、塩分の取り過ぎになるだろう。
病気や体質によっては、医師から食事制限を受けることもある。
それは理解できる。
しかし、本来見るべきなのは、一杯の味噌汁ではなく、一日の食生活全体ではないだろうか。
インスタント麺、加工肉、練り物、総菜、レトルト食品、スナック菓子。
こうした食品にも塩分は含まれている。
商品によっては、味や香り、保存性を整えるため、さまざまな添加物も使われている。
それにもかかわらず、昔から日本人が食べ続けてきた味噌汁ばかりが、まるで健康を害する食品の代表のように語られる。
私は、その伝え方に疑問を感じる。
味噌汁を無条件に健康食品だと言いたいわけではない。
しかし、伝統的な発酵食品である味噌と、高度に加工されたインスタント食品を、塩分の数字だけで同じように評価してよいのだろうか。
味噌は、大豆や米、麦を麹の力で発酵させた食品である。
味噌汁にすれば、豆腐、野菜、海藻、きのこなどを一緒に取ることもできる。
食品は、一つの栄養成分だけでできているわけではない。
何を原料にし、どのように造られ、どのような食べ方をするのかまで見て考える必要があると思う。
味噌汁を塩分だけで悪者にする一方で、インスタント食品や加工食品が当たり前のように食卓に広がっている。
それは、本当に正しい健康指導なのだろうか。
少なくとも私は、強い疑問を感じる。
味噌離れの前に、「味の伝承」が失われた
見学の際、味噌屋さんがこんな話をしていた。
昔は大家族が多かった。
嫁いできた女性が、特に深く考えず、安い味噌を買って味噌汁を作る。
すると、姑が味噌汁を一口飲み、
「なんだい、この味噌汁は。うちの味じゃない」
と言ったのだそうだ。
今の時代に聞くと、少し厳しく、時代遅れの話にも感じるかもしれない。
私も、昔の家族制度に戻るべきだとは思わない。
姑が嫁に厳しく指導することを復活させるべきだとも思わない。
しかし、この話には、無視できない一面がある。
昔は、家庭の中に味を伝える人がいたということである。
どの味噌を使うのか。
どのくらいの濃さにするのか。
どのようなだしを使うのか。
どんな具材を組み合わせるのか。
そうした知恵は、料理本を読んで覚えるのではなく、日々の食卓の中で自然に伝えられていた。
それぞれの家庭が地元の味噌を使い続けることで、その地域の味噌文化も守られてきたのだと思う。
ところが核家族化が進み、家庭の中で味を教える人が少なくなった。
味噌を変えても、誰も気づかない。
味噌を選ぶ基準も、
昔から使ってきたものから、
安いもの、
特売になっているもの、
減塩と書かれているもの、
売り場で目立っているものへと変わっていく。
もちろん、核家族化だけが味噌の消費減少の原因ではない。
食生活の洋風化、外食や中食の増加、朝食を食べない人の増加、調理に時間をかけない生活など、多くの要因があるだろう。
だから、味噌離れを核家族化だけで説明するのは無理がある。
しかし、家族の形が変わったことで、味噌の選び方や、おいしい味噌汁の作り方が伝わりにくくなったことは否定できないのではないか。
昔の仕組みはなくなった。
それなのに、それに代わる新しい伝承の方法は、十分に生まれていない。
そのことが問題なのだと思う。
日本人が、自国の伝統食を説明できない
味噌は、日本人が長い年月をかけて育ててきた大豆発酵食品である。
日本食や発酵食品への関心が世界で高まり、味噌は今や「MISO」として海外でも知られるようになった。
それにもかかわらず、日本人自身が味噌について説明できない。
米味噌と麦味噌の違いも知らない。
合わせ味噌の造り方も知らない。
味噌をどう選べばよいのかも分からない。
おいしい味噌汁をどう作るのかも、次の世代へ伝えられていない。
そして、味噌汁は塩分が高いという情報だけを聞き、飲むのをやめてしまう。
これは、かなり深刻なことではないだろうか。
海外から評価されて初めて、自国の文化の価値に気づく。
しかし、その時には既に、地元の味噌屋がなくなり、昔ながらの製法や味が失われているかもしれない。
老舗の味噌屋がなくなるということは、単に一つの会社がなくなるという話ではない。
そこで受け継がれてきた菌、製法、職人の感覚、味の記憶まで失われるということである。
一度失われた食文化は、簡単には戻らない。
昔に戻るのではなく、今の方法で伝えればよい
伝統を守るというと、昔の生活に戻らなければならないように感じるかもしれない。
しかし、そうではない。
大家族に戻る必要もない。
姑から嫁へと厳しく味を教える必要もない。
家族の形が変わったのであれば、伝え方も変えればよい。
味噌屋が見学会を開く。
学校で味噌造りや味噌汁について教える。
動画やSNSで、味噌の違いやおいしい味噌汁の作り方を伝える。
飲食店が、使っている味噌や蔵元を紹介する。
家庭でも、なぜこの味噌を選んだのかを子供に話す。
そうした形であれば、今の時代にも伝承はできる。
大切なのは、単に味噌を消費することではない。
味噌の違いを知り、自分なりの基準で選び、その理由を次の世代へ伝えることである。
まずは九州の味噌を一度試してみてほしい
今回、柳川の老舗味噌屋を見学し、私は改めて味噌の奥深さを知った。
九州の味噌は、昔から比較的塩分が低い。
米麹と麦麹を初めから一緒に仕込み、発酵させる合わせ味噌もある。
麹の甘みとうま味を生かし、独自の味を育ててきた。
もちろん、すべての九州味噌が無添加というわけではない。
商品ごとに原材料や製法は異なる。
だからこそ、裏面の表示を見て、自分で選ぶことが大切である。
一般的な減塩味噌と九州の普通の味噌の塩分量が同じ程度なら、一度、九州の味噌も試してみてほしい。
減塩という言葉だけでなく、原料や製法、その土地の歴史まで含めて味わってみる。
甘さや香りに、最初は少し驚くかもしれない。
しかし、その一杯の中には、日本人が長い年月をかけて受け継いできた発酵の知恵が詰まっている。
味噌汁は、単なる塩分を含んだ汁物ではない。
日本の風土と、微生物の力と、人の暮らしが作り上げた伝統食である。
世界がその価値に気づき始めている今、日本人自身が味噌の価値を忘れてしまってよいのだろうか。
私は、そうは思わない。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役