――ドラマ『リボーン』が描いた人間の本質
私は普段、テレビをほとんど見ない。
連続ドラマを毎週決まった時間に見る習慣もない。今回の『リボーン』も、テレビ放送ではなく、配信で見たのだと思う。
そんな私がこのドラマに興味を持ったのは、主演が高橋一生さんだったからである。
高橋一生さんは演技力の高い俳優で、私が好きな俳優の一人だ。
大げさな表情や派手な演技をしなくても、目線や声の調子、立ち姿、わずかな間の取り方によって、その人物が何を感じているのかを伝える。
今回のドラマでも、同じ姿をしながら中にいる人物が違うことを、細かな演技で見事に表現していた。
設定だけを見れば、人生が入れ替わるという少し変わった娯楽ドラマに見える。
ところが最終回まで見ると、そこには思っていた以上に深いテーマがあった。
人は、置かれた立場や環境によって変わる。
しかし、たとえ同じ立場を得たとしても、同じ人間になることはできない。
私は、このドラマを見ながら、そんなことを考えた。
人は、その立場にならなければ分からない
最終回には、印象的な言葉がいくつかあった。
その中でも、特に心に残ったのが、次のような趣旨の言葉である。
人は、その立場にならないと分からない。
人を変えるのは、置かれた環境である。
どこに身を置き、誰と一緒にいるかによって、人の性格さえ変わってしまう。
上から見下ろす人間も、下から見上げる人間も、同じ人間なのだ。
これは、かなり本質的な言葉だと思う。
私たちは、人の性格を簡単に決めつける。
あの人は優しい。
あの人は冷たい。
あの経営者は傲慢だ。
あの社員は責任感がない。
しかし、今見えている姿だけで、本当にその人のすべてが分かるのだろうか。
人は、置かれた立場によって見える景色が変わる。
例えば、経営者と社員では、同じ会社にいても見えているものが違う。
社員から見れば、経営者は自分の好きなように会社を動かせる人に見えるかもしれない。
しかし経営者には、資金繰り、借入金、雇用、取引先、会社の将来といった、社員には見えにくい責任がある。
一方、経営者から見れば、社員は会社の方針に従えばよい立場に見えるかもしれない。
しかし社員には、現場でしか分からない苦労や不合理がある。
上にいる人には、上にいる人にしか分からない孤独がある。
下にいる人には、下にいる人にしか分からない不安がある。
立っている場所が違うから、見える景色も違うのである。
よく「相手の立場に立って考えなさい」と言われる。
確かに大切なことだ。
ただ、実際には、その立場になってみなければ分からないことも多い。
責任を背負った人の重さも、弱い立場に置かれた人の不安も、実際にその立場を生きた人にしか分からない。
このドラマは、人生が入れ替わるという設定を使いながら、相手の立場に立つということを、本当にその立場を生きることとして描いていた。
環境は人を変える。それでも同じ人間にはならない
人は、生まれつきの性格だけで生きているわけではない。
どこに身を置くか。
誰と一緒にいるか。
どのような言葉をかけられるか。
どのような責任を与えられるか。
それによって、人の行動や考え方は変わっていく。
周囲から信頼されれば、その信頼に応えようとする。
何をしても否定され続ければ、次第に自信を失う。
権力を持てば、それまで謙虚だった人が傲慢になることもある。
反対に、弱い立場を経験したことで、人の痛みに気づく人もいる。
私たちが今見ているその人の姿は、それまで置かれてきた環境によってつくられた結果の一つなのかもしれない。
違う家庭に生まれていたら。
違う学校に通っていたら。
違う上司や仲間に出会っていたら。
同じ人でも、まったく違う人生を歩んでいた可能性がある。
しかし、環境が人を変えるからといって、環境だけで人間のすべてが決まるわけでもない。
私はドラマを見ながら、同じ人間が世の中に二人いるわけではないと思っていた。
たとえ同じ顔を手に入れても、同じ肩書を持っても、同じ会社の社長になっても、その人の中身まで同じになるわけではない。
人は、それまでに生きてきた経験の積み重ねによってつくられている。
成功した経験。
失敗した経験。
人を信じた経験。
裏切られた経験。
お金に困った経験。
誰かに助けられた経験。
自分で決断し、その結果を引き受けた経験。
そうした一つ一つが、その人の価値観や判断力をつくっていく。
根尾光誠として生きてきた人と、野本英人として生きてきた人では、見てきた景色も、身につけた知恵も違う。
身体や立場が入れ替わっても、その経験までは入れ替わらない。
私は、そこが二人のその後を分けたのではないかと思った。
未来を知っていたから成功できたのか
野本英人になった根尾光誠が成功できたのは、未来を知っていたからではないか。
そのような見方もあると思う。
確かに、これから何が起こるのかを知っていることは、大きな優位性である。
何が求められるのか。
誰がどのように動くのか。
どこに機会があるのか。
未来を知らない人より、はるかに有利だったことは間違いない。
しかし、未来が分かっていれば、誰もが同じ行動を取るのだろうか。
私は、そうは思わない。
未来の情報を、自分だけが得をするために使う人もいるだろう。
値上がりする土地を買う。
儲かる会社に投資する。
自分の地位や財産を取り戻すために使う。
反対に、未来を変えるのが怖くなり、何もしない人もいるかもしれない。
知っていても、あえて使わないという選択もある。
つまり、未来を知っていること自体が、人をヒーローにするわけではない。
大切なのは、その知識を何のために、誰のために使うかである。
根尾光誠は、未来の知識を自分だけの成功のためには使わなかった。
目の前にいる人を助ける。
人と人をつなぐ。
地域や周囲の状況を変える。
未来の情報を、単なる金儲けの道具ではなく、人を救うために使った。
だから彼は、単に未来を知る人ではなく、ヒーローになったのだと思う。
知っていることと、正しく使えることは違う。
知識が多い人が、必ずしも人を幸せにするとは限らない。
能力が高い人が、必ずしも善いことに能力を使うとは限らない。
結局、知識や能力は道具である。
その道具を何のために使うかを決めるのは、その人の価値観であり、人間性なのだと思う。
何もなくなっても残るもの
野本英人になった根尾光誠は、地位や財産を失った。
成功した経営者としての肩書も、会社も、人脈も、そのまま使うことはできない。
しかし、これまでの人生で身につけた経験と知恵までは失わなかった。
人が何を求めているのか。
問題の本質はどこにあるのか。
誰に働きかければ、状況が動くのか。
人をどのようにまとめればよいのか。
これまで悩み、失敗し、決断してきた経験があったからこそ、まったく違う環境でも道をつくることができた。
そして、未来を知っているという優位性を、自分だけのためではなく、周囲のために使った。
彼がヒーローになれたのは、未来を知っていたからだけではない。
未来をどう使うかを選べる人間だったからである。
肩書を失った時。
財産を失った時。
立場を失った時。
その時に何が残るのか。
そして、残ったものを何のために使うのか。
そこに、その人の本当の姿が表れるのかもしれない。
用意された道を歩くこと
一方、根尾光誠になった野本英人は、成功した経営者の立場を得た。
会社がある。
社員がいる。
信用がある。
人脈も資金もある。
そして、根尾光誠がつくった道がある。
その道をたどることで、一定の成功を収めることはできた。
これは、野本英人に能力がなかったということではない。
与えられた立場の中で努力し、その役割を果たそうとしたのだと思う。
ただ、すでにある道を歩くことと、道のない場所に新しい道をつくることは違う。
前の人が残した答えを使うことはできる。
前の人が決めた方針に沿って進むこともできる。
しかし、その道が終わった先では、自分自身で次の方向を決めなければならない。
私は、根尾光誠になった野本英人が最終的に社長を降りたのは、その限界に気づいたからではないかと感じた。
もちろん、現在の野本英人と出会ったことによって、心境に変化があったのだろう。
他人の人生を生き続けるのではなく、自分自身の人生を生きなければならないと思ったのかもしれない。
いずれにしても、彼は根尾光誠の立場にはなれても、根尾光誠そのものにはなれなかった。
創業者と二代目にも通じるもの
この構図を見ながら、私はふと、創業者と二代目以降の違いにも通じるものがあると感じた。
もちろん、このドラマは事業承継を描いた話ではない。
ただ、立場と経験の違いという点では、似ている部分がある。
創業者は、何もないところから事業を始める。
商品も顧客も信用もない中で、自分で考え、判断し、道をつくっていく。
一方、二代目以降は、創業者がつくった会社や顧客、社員、信用を引き継ぐ。
その土台を守り、発展させることが役割になる。
だからといって、創業者が優れていて、二代目が劣っているわけではない。
創業者にはできなかった組織化や仕組みづくりを行い、会社をさらに成長させる二代目もいる。
ただ、会社を引き継ぐことはできても、創業者の人生までは引き継げない。
資金に困った経験。
何度も断られた経験。
失敗し、会社を失いかけた経験。
その中で身につけた判断力や覚悟は、会社と一緒に譲り渡すことはできない。
だから二代目は、創業者と同じ人間になる必要はない。
創業者がつくった道を理解しながら、その先に自分の道をつくればよい。
その時、初めてその人自身の経営が始まるのだと思う。
人をつくるのは、環境と経験と選択
人は、環境によって変わる。
どこに身を置き、誰と一緒にいるかによって、考え方も行動も変わっていく。
また、人は経験によってつくられる。
何に失敗し、誰に助けられ、どのような決断をしてきたか。
その積み重ねが、その人の知恵や判断力になる。
しかし、最後にその人を表すのは、選択なのかもしれない。
持っている知識を何のために使うのか。
与えられた力を誰のために使うのか。
知っていることを使うのか、使わないのか。
同じ立場にいて、同じ情報を持っていたとしても、選択が違えば結果は変わる。
だから、同じ人間にはならないのである。
本当の意味での「リボーン」
『リボーン』とは、生まれ変わるという意味である。
このドラマで描かれた生まれ変わりは、単に別の身体や立場を得ることではなかったのかもしれない。
違う立場に身を置くことで、それまで見えていなかった景色を見る。
上から見ていた人が、下から見る。
下から見ていた人が、上から見る。
相手の苦しみを知る。
自分の弱さに気づく。
そして、持っている知識や力を何のために使うのかを問い直す。
その経験によって、人間として変わっていく。
それが、本当の意味での「リボーン」だったのではないだろうか。
人は環境によって変わる。
しかし、同じ立場を得ても、同じ人間にはなれない。
人はそれまでに歩んできた人生と、そこで積み重ねた経験、そして何を選んできたかによってつくられているからである。
高橋一生さんが出演しているという理由で見始めたドラマだった。
しかし最終回まで見終えた時、そこには、立場と環境、経験と知恵、そして人間の選択について考えさせられる物語があった。
上から見下ろす人も、下から見上げる人も、同じ人間である。
しかし、同じ人間が世の中に二人いるわけではない。
未来を知っていても、同じように使うとは限らない。
力を持っていても、同じ目的に使うとは限らない。
だからこそ、人は他人の人生をなぞるのではなく、自分自身の経験と選択によって、自分の道をつくっていかなければならない。
それが、このドラマが最後に伝えたかったことなのかもしれない。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役