福岡の経営コンサルタント|笑顔商店

「元祖たこ焼き」に行って気づいたこと

大阪に出張する機会があった。
大阪といえば、やはりたこ焼きである。

せっかくなので、難波周辺で「どこか美味しいたこ焼き屋はないかな」とネットで探していた。
すると、ある店が目に留まった。

会津屋。

「元祖たこ焼き」と書かれている。

そういえば以前、“ラヂオ焼き”という食べ物の話を聞いたことがあった。
たこ焼きの原型のような食べ物らしい。実際、会津屋は1933年創業で、ラヂオ焼きから現在のたこ焼きが生まれたと言われている。

しかし、まさかそれが今でも食べられるとは思っていなかった。
しかも、その店がたこ焼き発祥の店だったという記憶も正直なかった。

ただ、このタイミングで見つけたからには、何か意味があるのかもしれない。

ちょうどクライアントも、たこ焼きのような商品を開発している。
温故知新という言葉がある。新しいものを考える時ほど、原点を知ることは大切なのではないか。

そう思い、私は会津屋へ向かうことにした。

そして店に入って、まず驚いた。

「ソースが、ないのである。」

私は思わず、「えっ?」となった。

我々の多くは、たこ焼きといえば、

ソース

マヨネーズ

青のり

かつお節

を思い浮かべる。

しかし、会津屋のたこ焼きには、それがない。
生地そのものに出汁や醤油系の味がついており、そのまま食べるのである。

食べてみると、さらに驚いた。

これは、我々が普段食べている“たこ焼き”とはかなり違う。

むしろ私は、「明石焼き」に近いと感じた。

小ぶりで、出汁感が強く、どこか上品。
ソースのインパクトで食べるというより、生地そのものを味わう感覚である。

私は、「なるほど、これが原点に近いのかもしれない」と思った。

さらにラヂオ焼きも注文してみた。

ラヂオ焼きとは、タコではなく牛すじとこんにゃくが入った、たこ焼き以前の食べ物である。

なるほど、悪くない。

しかし、食べながら私はあることに気づいた。

「やはり、タコは強い。」

ラヂオ焼きも美味しい。
だが、どうしてもタコほどの完成度を感じない。

なぜなのだろうか。

考えてみると、タコには独特の“反発”がある。

プリッ。
コリッ。

あの食感が、柔らかい生地との対比を生み出している。

一方、牛すじやこんにゃくは、生地と食感が少し近い。
だから、どうしても全体がぼやける。

つまり、たこ焼きとは単に「丸い粉もの」ではなく、

「柔らかい生地の中に、どんな異質な食感を入れるか」

という料理なのかもしれない。

私は途中から、「もし肉系なら何が合うだろう」と考え始めていた。

例えばミノ。

独特の弾力がある。
あるいはタン。

コリッとした食感は、タコに近いものがある。

もちろん、実際に焼いてみないとわからない。
食感だけを比べれば、かなり面白い可能性はあると思う。

しかし、現実的に考えると難しい部分もある。

特に当時は、タコは現在ほど高級食材ではなく、比較的安価だったと言われている。

一方、牛肉は今よりもはるかに高級品だった時代である。

つまり、タコは単に“美味しかった”だけではない。

食感が良い

出汁と相性が良い

小さく切っても存在感がある

冷めても成立する

そして比較的安かった

という、屋台文化における“最適解”だったのかもしれない。

つまり、たこ焼きとは偶然できた料理ではなく、

「限られた条件の中で磨かれた合理性」

だったのである。

そして、ここでさらに面白いことに気づいた。

それほど繊細で完成度の高い“元祖”があるにも関わらず、日本中に広がったのは、我々が知る「ソースたこ焼き」なのである。

なぜだろうか。

私は、そこに“ソースの力”があったのではないかと思う。

ソースは強い。

香りが強い。
わかりやすい。
食欲を刺激する。
しかも、多少味にブレがあっても全体をまとめてしまう。

極端な話、ソースをかけると、誰が作っても“それっぽく美味しく”なる。

これは非常に大きい。

明石焼きや元祖たこ焼きは、繊細である。

出汁。
生地。
焼き加減。
具材の食感。

つまり、素材そのものが問われる。

しかしソースたこ焼きは違う。

ソースが全体を包み込む。

だから、

店舗展開しやすい

アルバイトでも品質を保ちやすい

屋台でも成立する

誰でも理解しやすい

子供にもウケる

のである。

しかも今では、
ソースそのものを売りにする店も多い。

甘口。
辛口。
フルーティー。
スパイス強め。

オリジナルブレンドで差別化する店まである。

つまり現代たこ焼きは、
「具材」だけでなく、
「ソースの世界観」
まで含めた料理へ進化しているのである。

考えてみれば、今では当たり前のマヨネーズも、昔はなかった。

今のたこ焼きでは、

ソース

マヨネーズ

青のり

かつお節

が定番だが、それも進化の途中で加わったものなのだろう。

そして面白かったのは、会津屋には一般的な“ソースたこ焼き”はなかったが、タルタルソースを使ったたこ焼きがあったことである。

これもまた、進化版なのだと思う。

実際、元祖たこ焼きの出汁感には、濃いソースよりも、タルタルの方が合っていた。

つまり会津屋は、
“ソース文化に迎合する”
のではなく、
“元祖の世界観を壊さない形で進化”
しているのである。

これはとても面白い。

私はここで、大阪の“粉もん文化”について考えていた。

大阪は昔から、

安い

早い

腹にたまる

を大切にしてきた街なのだと思う。

お好み焼きの原型とも言われる“一銭洋食”も、戦後の食糧難の中で、小麦粉にあり合わせの野菜などを混ぜて焼いたものだという話がある。

つまり、高級料理ではない。

限られた材料で、
いかに腹を満たすか。
いかに美味しく感じさせるか。

そこには、庶民の知恵がある。

そう考えると、たこ焼きも非常によく似ている。

小麦粉を、より食べやすく。
より手軽に。
より楽しく。

そして、より美味しそうに。

その結果、
“丸く焼く”
という発想に行き着いたのかもしれない。

しかも、ソースが革命を起こした。

香りが強い。
わかりやすい。
誰が食べても美味しい。

つまり、
「誰が作ってもそこそこ美味しい」
を実現したのである。

これは実は、とても強い。

京都が、繊細さや品を磨いた“殿様文化”だとすれば、大阪は“庶民の知恵”の文化なのかもしれない。

完璧であることよりも、
多くの人を満足させること。

大阪の粉もんには、そんな思想を感じるのである。

そして私は、会津屋でたこ焼きを食べながら、ふと思った。

これは、現代ビジネスにもよく似ているのではないか。

元祖たこ焼きは繊細だった。

生地。
出汁。
焼き加減。
具材の食感。

つまり、素材そのものの完成度が問われる。

しかし、ソースたこ焼きは違う。

ソースが全体をまとめてしまう。

多少焼きが荒くてもいい。
多少味がブレてもいい。
それでも、“たこ焼きとして成立”する。

これは非常に強い。

なぜなら、
「誰が作っても、そこそこ美味しい」
を実現できるからである。

私はここに、“仕組み化”を感じた。

ビジネスの世界でも同じである。

社長しかできない会社。
一部の天才しか作れない商品。
特定の人に依存した営業。

一見すると強そうに見える。

しかし、それは裏を返せば、
その人がいなければ成立しないということでもある。

一方で、
誰がやっても、ある程度の品質が出る仕組みは強い。

教育しやすい。
店舗展開しやすい。
組織化しやすい。
そして、多くの人に届く。

つまり、ソースとは、
たこ焼きにおける“仕組み化”だったのかもしれない。

もちろん、本物の価値は消えない。

実際、今でも会津屋には、会津屋にしかない魅力がある。

しかし、大衆化するものには、
「再現性」
という別の強さが必要なのだと思う。

そして私は今回、改めて思った。

元祖が良いとか、
進化したものが悪いとか、
そういう話ではない。

そもそも、
「なぜそれが生まれたのか」
「どういう理由で広がったのか」
「なぜ形を変えていったのか」

を知ることが面白いのである。

これは単なる“伝承”ではない。

本質だけを残しながら、
時代によって形を変えていく。

むしろ、そういうものこそが“伝統”なのかもしれない。

元祖たこ焼きは、どこか明石焼きに近かった。
繊細で、出汁を味わう料理だった。

しかし、日本中に広がったのは、ソースたこ焼きである。

香りが強く、わかりやすく、誰が作ってもそこそこ美味しい。

だからこそ、文化になった。

これは、たこ焼きだけの話ではないのだと思う。

商品も、サービスも、経営も同じである。

「本当に良いものを作ること」と、
「多くの人に届くこと」は、
時として別なのである。

大阪のたこ焼き屋で、私はそんなことを考えていた。

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髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役