福岡の経営コンサルタント|笑顔商店

私たちは、石油文明を卒業できるのだろうか

——ナフサ不足が問いかけるもの

最近、「ナフサ不足」というニュースをよく見かけるようになった。

ナフサ価格の高騰。
包装材の値上げ。
食品価格への影響。
物流コストの増加。

ニュースでは、「不足」「高騰」「生活への影響」という言葉ばかりが並ぶ。

もちろん、それは現実問題として大きい。
特に日本は石油資源を海外に依存している国であり、原油価格の変動は社会全体に影響を与える。

しかし私は、そのニュースを見ながら、ある違和感を覚えていた。

本当に問題なのは、「ナフサ不足」なのだろうか。

むしろ問題なのは、

“ナフサなしでは成り立たない社会”

になってしまったことではないのか。

そんなことを考えたのである。

そもそもナフサとは何なのか

ナフサとは、原油を精製して作られる石油化学原料である。

そして現代社会は、このナフサによって支えられている。

プラスチック。
食品包装。
ペットボトル。
発泡スチロール。
洗剤。
衣類。
スマホ。
車。
医療用品。

私たちは気づかないうちに、石油由来製品に囲まれて生活している。

しかし、ここで興味深いことがある。

石油製品の多くは、最初から「それを作るため」に存在したわけではないということだ。

原油を精製すると、

●ガソリン

●軽油

●重油

●灯油

●ナフサ

など様々な成分に分かれる。

つまり石油製品の多くは、

「残ったものを、何かに使えないか」

という人類の工夫の中で発展してきたのである。

プラスチックもそう。
合成繊維もそう。
薬もそうだ。

人類は、「捨てるにはもったいない」と考え、加工し、新しい価値を生み出してきた。

これはある意味、人類の知恵であり、技術革新だった。

石油文明は、人類を豊かにした

ここで勘違いしてはいけないのは、石油が悪だったわけではないということだ。

むしろ石油文明は、人類を大きく発展させた。

大量輸送。
大量生産。
衛生環境の向上。
医療技術の進歩。
食品保存技術。

これらは石油文明によって加速した。

例えば薬もそうである。

現代医療の多くは石油化学技術なしには成立しない。

カプセル。
医療用樹脂。
点滴。
合成薬。
手術器具。

もし石油化学がなければ、多くの命は救えなかったかもしれない。

だから私は、「昔に戻れ」と言いたいわけではない。

むしろ石油文明は、人類にとって必要な時代だったのだと思う。

実際に使ったからこそ、私たちは便利さを知った。

効率を知った。
快適さを知った。
豊かさを知った。

しかし同時に、その代償も見えてきた。

私たちは、あまりにも自然に使っている

私自身は、普段コンビニ弁当を買うことはほとんどない。

しかし、コンビニやスーパーへ行くたび、ふと思うことがある。

弁当。
サラダ。
惣菜。

一つ一つが丁寧に包装され、衛生的に管理されている。

ラップ。
フィルム。
スプーン。
ソース袋。
トレー。

もちろん、それらは悪意で作られたわけではない。

むしろ、

●より安全に

●より便利に

●より快適に

を追求した結果なのだと思う。

コンビニも、スーパーも、外食産業も、最初から「自然を壊そう」と思って今の形になったわけではない。

衛生的で、便利で、効率的で、品質が安定し、誰でも安心して使える。

そうした努力の積み重ねの結果なのだと思う。

そして消費者である私たちも、それを当たり前のように受け入れてきた。

恐らく、多くの人は普段、深く考えずに石油製品を使っている。

事業者も同じだ。

安く、便利で、普及していて、皆が使っている。
だから使う。

それは意識が低いわけではない。

ごく自然なことなのだと思う。

しかし、「当たり前」が揺らぎ始めている

ところが、「不足」や「値上がり」が起きると、人は初めて考え始める。

なぜ、ここまで依存しているのだろう。
本当に、このままでよいのだろうか。
他の方法はないのだろうか。

私は、こういう瞬間こそ大事なのではないかと思う。

危機とは、単なるピンチではない。

「当たり前」を見直すチャンスでもあるからだ。

実際、歴史を振り返っても、人類は危機のたびに変化してきた。

戦争。
災害。
感染症。
エネルギー危機。

そのたびに、「当たり前だったもの」を見直してきた。

今回のナフサ不足も、単なる価格問題ではなく、

●過剰包装

●大量消費

●使い捨て文化

●石油依存

を見直すきっかけになるのかもしれない。

本当に怖いのは「不足」ではない

ニュースでは、「ナフサ不足が深刻」と言われる。

しかし本当に怖いのは、不足そのものではない。

“それが止まると社会が回らなくなること”

ではないだろうか。

これは石油だけではない。

エネルギー。
金融。
物流。
通信。
食料。

現代社会は、多くのものを巨大システムに依存している。

便利である一方で、とても脆い。

どこか一つ止まれば、社会全体に影響が広がる。

つまり現代社会は、「自由」に見えて、実は強い依存構造の上に成り立っているとも言える。

これは時に、「支配する側」と「支配される側」という力関係も生みやすい。

石油を持つ国。
持たない国。

供給する側。
依存する側。

元を押さえられれば、一気に干上がる。

だから人は、常に不安を抱えながら生きることになる。

止まったらどうしよう。
値上がりしたらどうしよう。
働けなくなったらどうしよう。

便利さは増えた。
しかし、不安も増えた。

それは本当に豊かと言えるのだろうか。

大きな会社ほど変えられない

ここで、もう一つ思うことがある。

本当は、多くの企業も薄々気づいているのかもしれない。

「このままで、本当にいいのだろうか」と。

しかし、一度できあがった便利な仕組みを変えるには、大きな代償が伴う。

例えば、

●個包装を減らす

●ストローを廃止する

●自然素材へ切り替える

と言っても、現実には、

●コスト増

●クレーム

●現場負担

●品質問題

●利益率低下

など、様々な問題が発生する。

そして大企業ほど、その影響は巨大になる。

設備。
物流。
サプライチェーン。
全国展開。

変えるリスクがあまりに大きいのである。

だから本当は問題に気づいていても、簡単には動けない。

小さな会社だからできること

しかし逆に言えば、小さな会社には可能性がある。

小さいからこそ、理念で動ける。
小さいからこそ、未来を優先できる。
小さいからこそ、変化できる。

もちろん簡単ではない。

もしも本気で、

●包装を減らす

●自然素材へ変える

●地域循環を目指す

ということをやろうとすれば、相当な勇気と覚悟が必要だと思う。

短期利益よりも、

●未来

●子供達

●環境

●本質

を優先しなければならないからだ。

しかも、最初は理解されないかもしれない。

不便。
高い。
面倒。

そう言われることもあるだろう。

しかし歴史を変えるのは、いつも巨大組織とは限らない。

「このままではいけない」と感じた小さな挑戦から始まることの方が多いのかもしれない。

人類は、「便利さ」を卒業できるのか

私は最近、こう思うようになった。

もしかすると人類は今、「便利さの限界」に気づき始めているのではないか。

もちろん便利さ自体が悪いわけではない。

石油文明には大きな役割があった。

人類を成長させた。
世界を繋げた。
多くの命を救った。

だから必要だったのである。

しかし、人間も成長すると、子供の頃に必要だったものを少しずつ手放していく。

補助輪。
杖。
過保護。

最初は必要だった。
しかし、永遠には使わない。

それと同じように、人類もまた、「石油依存」という段階を少しずつ卒業する時期に来ているのかもしれない。

それは怒りでも、否定でもない。

感謝を持ちながら、静かに次の時代へ進むということだ。

子ども達に、何を残したいのか

私は最近、「子ども達に何を残したいのか」をよく考える。

安くて便利な社会なのか。

それとも、

●安心できる食

●自然との調和

●支え合える地域

●心に余裕のある暮らし

なのか。

ナフサ不足のニュースを見ながら、私はそんなことを考えた。

本当に問われているのは、「ナフサが足りないこと」ではない。

私たちは、いつの間にか、

“石油なしでは生きられない社会”

を作ってしまった。

そして今、人類は初めて、その代償に気づき始めているのかもしれない。

だから必要なのは、「否定」ではない。

便利さに感謝しながらも、少しずつ卒業を考えること。

危機とは、単なるピンチではない。

未来を見直すチャンスでもある。

私は、そう思うのである。

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髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役