——『貞観政要』が教える、人を支配しない知恵
「帝王学」という言葉を聞くと、多くの人はどのようなイメージを持つだろうか。
権力。
支配。
カリスマ。
人を動かす技術。
そんなイメージを持つ人も多いかもしれない。
しかし、私自身が帝王学について学べば学ぶほど、その本質は一般的なイメージとはかなり違うのではないかと思うようになった。
帝王学とは、人を支配する学問ではない。
むしろ、
“力を持った人間が、どう自分を律するかを学ぶもの”
なのではないかと思うのである。
帝王学の代表的な古典に『貞観政要』という書物がある。
これは、中国・唐の二代皇帝である太宗・李世民の政治を、後に呉兢(ごきょう)という人物がまとめたものだと言われている。
太宗は、中国史の中でも名君として知られる人物であり、その時代は「貞観の治」と呼ばれるほど安定していた。
そして興味深いのは、この『貞観政要』が日本でも長く読み継がれてきたことである。
源頼朝。
北条氏。
徳川家康。
そして明治天皇。
日本の歴史に大きな影響を与えた人物たちが、この書物を学んだと言われている。
特に徳川家康は有名だ。
戦国時代を生き抜き、260年以上続く江戸幕府の基盤を作った人物である。
ここで私は、昔から不思議に思っていたことがある。
なぜ、武力で天下を取った人物たちが、帝王学を重視したのかということだ。
普通に考えれば、強い武将が学ぶのは「勝つ方法」のように思える。
しかし『貞観政要』には、意外なほど「戦わない重要性」が書かれている。
民を疲弊させるな。
感情で判断するな。
無駄な戦をするな。
耳の痛い意見を聞け。
慢心するな。
つまり、本当に優れた統治者とは、
“戦争を起こさない者”
だという思想が根底にあるのである。
これは非常に深い。
戦争に勝つことは、一時的にはできる。
しかし、戦争を続ければ、国は疲弊する。
会社でも同じだ。
社内対立。
派閥争い。
感情的な経営。
短期利益だけを追う競争。
これらは、一時的に勝ったように見えても、最終的には組織を弱らせていく。
だから帝王学とは、「どう勝つか」よりも、
“どう争いを減らすか”
を学ぶものなのではないかと思うのである。
実際、日本は世界史的に見ても特殊な国だと言われる。
もちろん細かい争いはあった。
しかし、鎌倉時代には約150年、江戸時代には約260年以上にわたり、全国規模の大戦乱が起きなかった。
これは世界的に見ても極めて珍しい。
徳川家康は、単に強かっただけではない。
参勤交代、幕藩体制、婚姻政策、儒教的倫理など、様々な仕組みを組み合わせ、
「戦争そのものが起きにくい構造」
を作った。
これは現代で言えば、戦略というより「システム設計」に近い。
つまり本当に優れたリーダーとは、問題が起きてから対処する人ではなく、
“問題が起きにくい状態を作る人”
なのだろう。
そして私は、ここが現代にも非常に重要だと思っている。
なぜなら、現代は民主主義社会だからである。
昔の帝王学は、一部の権力者のための学問だった。
皇帝。
王。
将軍。
大名。
限られた人だけが大きな権力を持っていた。
しかし現代は違う。
民主主義社会では、国民一人一人が、小さな権力を持っている。
選挙。
SNS。
投資。
消費行動。
口コミ。
情報発信。
現代では、一人の発言が社会を大きく動かすこともある。
つまり今の時代は、
「国民全員が、小さな王になった時代」
とも言えるのである。
だからこそ、帝王学は一部の人だけのものではなく、
“すべての人が学んでもよい時代”
なのではないかと思う。
特にSNS時代は象徴的だ。
顔が見えない。
相手の空気感が伝わらない。
責任感も薄くなりやすい。
その結果、人は現実世界では言わないような言葉を、簡単に発するようになった。
怒り。
否定。
攻撃。
分断。
しかもそこには、教育、食事、人間関係、家庭環境、社会不安など、様々な要因が複雑に絡んでいる。
心に余裕がなくなれば、人は攻撃的になりやすい。
帝王学や気の考え方で言えば、生気よりも、退気や滅気のような状態の人が増えているのかもしれない。
もちろん、これは誰かが悪いという単純な話ではない。
社会全体が、不安とストレスを抱えやすい構造になっているのである。
だからこそ今、本当に必要なのは、
知識の多さでも、
テクニックでも、
影響力でもなく、
「自分を律する力」
なのかもしれない。
本来、人はそれぞれ異なる。
そんなことは、多くの人が頭では理解していると思う。
しかし実際には、「どう違うのか」を深く理解している人は少ないのではないだろうか。
なぜなら、そのような教育を受ける機会がほとんどないからである。
学校では数学や歴史は学ぶ。
しかし、
●なぜ人は怒るのか
●なぜ価値観が違うのか
●なぜ同じ言葉でも受け取り方が違うのか
●なぜ人間関係で衝突が起きるのか
といった、「人間そのもの」を学ぶ機会は極めて少ない。
かつての私もそうだった。
無意識のうちに、自分を基準に相手を見ていた。
「なぜ分からないのだろう」
「普通はこう考えるだろう」
「これだけ言えば理解するはずだ」
そんなふうに思っていた。
しかし今振り返ると、それは理解ではなく、
“自分の価値観を基準に、相手を都合よく解釈していただけ”
だったのだと思う。
そして人は、相手に期待する。
「こう動いてくれるはずだ」
「普通はこうするはずだ」
しかし、その期待通りにならないと感情的になる。
怒る。
責める。
失望する。
だが冷静に考えれば、それは極めて自分本位なことである。
なぜなら、その期待の基準は、結局「自分」だからだ。
しかし帝王学や人間学を学ぶと、少しずつ見えてくるものがある。
それは、
「人は、本当に違う生き物なのだ」
ということである。
何を大切にするのか。
どんな環境で力を発揮するのか。
どういうことで傷つくのか。
どんな役割が向いているのか。
人によって、本当に違う。
私は現在、「ガイアコード」という帝王学を学んでいる。
これも非常に面白い。
帝王学とは、人を活かす学問でもある。
人には向き不向きがある。
しかもそれは、資格や経験だけでは分からないことも多い。
資格を持っていたとしても、その仕事に本当に向いているとは限らない。
逆に、経験が少なくても、生まれ持った特性として、その役割に非常に向いている人もいる。
帝王学には、その人の先天的な気質や役割を見抜く知恵がある。
だから私は、特に経営者や役員クラスの人ほど学ぶ価値があると思っている。
会社とは、結局「人」で成り立っているからだ。
どんなに立派な戦略があっても、人が疲弊していては長く続かない。
そして多くの会社は、外部要因よりも内部崩壊によって弱っていく。
社内不信。
感情的対立。
コミュニケーション不足。
トップの暴走。
役員同士の不和。
だから経営者に必要なのは、単なる経営知識だけではない。
「人を理解し、人を活かす力」
なのである。
そして私は、「戦わない」という思想も非常に大切だと思っている。
戦いとは、無意識の反発から生まれる。
相手を知らない。
理解しようとしない。
自分の正しさだけを押し通す。
だからぶつかる。
しかし帝王学を学ぶと、意識して相手に合わせることができるようになる。
もちろん迎合するという意味ではない。
相手の特性を理解した上で、伝え方や距離感を調整できるようになるのである。
すると、無駄な争いが減る。
私は思うのである。
帝王学とは、決して古い時代の支配者の学問ではない。
むしろ、
民主主義時代を生きる私たち全員に必要な、人間理解の知恵
なのではないかと。
そしてその本質は、
人を支配することではなく、
自分を律し、人を活かし、争いを減らすこと
にあるのだと思う。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役