「106万円の壁」問題の奥にある、日本経済と中小企業の現実
最近、「106万円の壁」という言葉をニュースでよく耳にするようになった。
テレビをつけても、ネットニュースを見ても、パートの働き控え、社会保険の負担、制度の見直し、企業への支援策といった話題が繰り返し取り上げられている。人によっては、「またこの話か」と感じているかもしれない。しかし、これだけ繰り返し報じられるのは、それだけ多くの人に関係する問題だからだろう。
たしかに、この問題は働く側にとって大きい。少し働く時間を増やしただけで、社会保険の加入対象になり、手取りの感覚が変わる。だから、あえて仕事を増やさない。もっと働けるのに、働かないほうを選ぶ。いわゆる「働き控え」である。ニュースでは、そこに焦点が当たりやすい。
けれども、経営者の立場からこの問題を見ると、少し違う景色が見えてくる。
それは、これは単なる「制度の壁」の話ではないということだ。むしろ本質は、日本の賃金構造、税や社会保険の負担構造、そして中小企業の雇用のあり方そのものが限界を迎えつつあるという点にあるのではないかと思う。
私は最近、このテーマについて考えるたびに、どうしても一つの違和感に行き着く。
それは、「賃上げが必要だ」という議論は盛んに行われるのに、その一方で「なぜ手取りが増えないのか」「なぜ企業の負担感がこんなに重いのか」という話が、十分に深掘りされていないように感じることである。
日本で賃上げが必要になっていること自体には、ほとんど異論はないだろう。
長いデフレの中で、日本企業は賃金を十分に上げられなかった。企業は生き残りのためにコスト削減を優先し、人件費を抑えてきた。社員もまた、「給料が大きく上がらないのは仕方がない」と、ある意味で諦めながら働いてきた面がある。
しかし、その間に世界は変わった。
かつては日本よりも後発だと思われていた中国や韓国、さらに東南アジアの国々まで、着実に賃金水準を引き上げてきた。しかも今は、単に賃金が高いか安いかだけでなく、どこで働くほうが将来性があるか、どの国のほうが自分の能力を評価してくれるか、そういう視点で人が動く時代である。日本が長く「安い国」になってしまったことの影響は、これからますます大きくなるだろう。
特に深刻なのは、日本が人口減少社会に入っていることだ。
労働者人口は減り続ける。若い世代は減る。しかも、単純作業なら人が集まるという時代ですらなくなってきている。そうなると、企業は賃上げをしなければ人を確保できない。つまり、賃上げは「したいからする」のではなく、しなければ会社が回らないからせざるを得ないものになっている。
ここまでは、おそらく多くの人が納得する話だと思う。
だが、問題はその先にある。
実際に中小企業の経営者と話していると、こんな声を本当によく聞く。
「社員の給与はしっかり上げているんですよ」
「でも、本人たちはあまり増えた実感がないと言うんです」
「会社としては負担は相当増えているのに、社員満足につながりにくいんですよね」
「結局、税金でもっていかれている感じがするんですよ」
こうした言葉は、一人二人の特殊な愚痴ではない。むしろ、今の中小企業の現場にかなり広く共通している感覚ではないかと思う。
なぜこんなことが起きるのか。
理由は単純である。賃金が上がることと、手取りが増えることは、同じではないからだ。
給与が上がれば、所得税や住民税の負担も増える。社会保険料の負担も増える。本人にとっては、「額面」は増えたのに、「自由に使えるお金」は思ったほど増えていない、ということが起きる。しかも、物価は上がっている。食品も、光熱費も、ガソリンも、外食も、以前より高くなっている。そうなれば、たとえ去年より月収が上がっていても、「暮らしが楽になった」という感覚につながりにくいのは当然である。
そして、企業側もまた苦しい。
賃上げをすれば、会社が払う総人件費は増える。さらに社会保険料の会社負担も増える。ここで重要なのは、給与や社会保険料は、外注費のように消費税の仕入税額控除という感覚では見られないという点である。もちろん制度上の言い方はいろいろあるが、現場感覚としては、直接雇用に伴う負担はかなり“生のコスト”として重くのしかかる。外注中心で回している会社と、直接雇用中心で回している会社とでは、この重みの感じ方がまるで違う。
日本の中小企業の多くは、やはり直接雇用で現場を回している。
飲食、小売、介護、保育、製造、建設、地域サービス、事務支援。こうした業種では、最後は人がいなければ回らない。だからこそ、「106万円の壁」のような話は、単なる制度論ではなく、利益構造そのものに影響する経営課題になる。
ここで出てくるのが、週20時間という論点である。
最近の議論では、106万円という年収の数字以上に、むしろ「週20時間」が一つの焦点になってきている。週5日働くとすれば、1日4時間程度である。このラインを超えるかどうかで、社会保険の扱いが変わってくる。たったそれだけの差が、企業にとっては大きなコスト差になる。
しかも、この話をさらに複雑にするのが、最低賃金の引き上げである。
政府は最低賃金を今後さらに上げていく方向を打ち出している。方向性としては理解できる。安すぎる賃金のままでは、日本はますます人が集まらない国になるからだ。だが一方で、賃金が上がれば上がるほど、従来の「年収の壁」との関係はねじれてくる。
たとえば、時給が1500円に近づいていけば、年収106万円に収めるために働ける時間はかなり短くなる。逆に言えば、短い時間でもある程度の年収になってしまう。しかも現行の制度の捉え方によっては、週20時間未満であれば、年収が106万円を超えていても、社会保険の対象にならないケースが出てくる。すると企業としては、「だったら短時間でもしっかり働いてもらえればいい」という考え方も出てくる。
ここは実に面白いところで、同時に悩ましいところでもある。
たとえばパートの事務員さんであれば、AIやデジタルツールを導入することで、かなり大幅な時短ができる可能性がある。これまで5時間かかっていた仕事が3時間半で終わる。これまで週25時間必要だった業務が、週18時間でも回る。そうなれば、社会保険のラインをまたがずに、比較的高い時給で働いてもらうという設計も見えてくる。
実際、これからはそういう発想が増えていくだろう。
長く働いてもらうことより、短い時間でどれだけ価値を出してもらうか。そこに焦点が移っていく。これは事務だけではない。受発注、請求、集計、顧客対応、資料作成、在庫確認、広報、採用補助。中小企業の中には、AIをうまく使えば「人がやらなくてよかった仕事」がかなりあるはずだ。
ただし、ここにもまた別の壁がある。
たとえ会社としては週19時間で十分だと思っても、本人に扶養の事情があれば、別の制約が出てくる。世帯全体で見た損得、配偶者の扶養、家庭の事情、将来の年金への考え方。つまり、企業が合理的だと思う設計と、働く人が望む働き方は、必ずしも一致しない。ここでもまた、「制度」と「現実」のズレが表面化する。
だから私は、この問題の本質は「106万円の壁をどうするか」だけではないと思っている。
本当に問われているのは、賃上げ、手取り、社会保険、税負担、生産性、働く人の事情を、どう一つの設計に落とし込むかということだ。
そしてその設計は、もはや一社だけでは難しい場面も増えてくるだろう。
小さな会社が単独で人材を抱え、教育し、制度対応し、繁閑差も吸収する。それを全部やるのはかなり厳しい。だからこそ以前お話ししたように、将来的には地域で人材を持つという発想も重要になってくると思う。まずは地域雇用を共同で安定化させる。複数社で教育や配置を工夫する。その上で必要があれば、将来的に外国人材も視野に入れる。そうした流れは十分にあり得る。
結局のところ、「賃上げだけでは人は豊かにならない」というのは、単なる批判ではない。
むしろ、賃上げが必要だからこそ、その先を考えなければならないという意味である。賃上げは必要だ。だが、賃上げだけを叫んでも、税や社会保険の負担構造がそのままで、企業の生産性向上策も不十分で、働き方の設計も旧来のままであれば、現場では「上げているのに苦しい」「上がっているのに楽にならない」という矛盾が続くだけだ。
ニュースでは、「106万円の壁」が問題だと言う。
もちろん、それは間違っていない。だが本当に見るべきなのは、その壁の向こう側にある日本経済の歪みであり、中小企業の現実であり、そして働く人たちの生活感覚ではないだろうか。
給与は上げている。
会社の負担も増えている。
それなのに、社員も会社も、どこか楽になった実感がない。
この違和感こそが、今の日本の問題を最もよく表しているように思う。
だから必要なのは、「賃上げか、現状維持か」という単純な二択ではない。
手取りをどう増やすのか。企業の負担をどう吸収するのか。AIや仕組みでどう生産性を高めるのか。短時間でも価値を出せる働き方をどう作るのか。そこまで考えて初めて、賃上げは本当の意味を持つのだと思う。
「106万円の壁」のニュースを見ながら、私が感じるのは、制度の話以上に、日本はそろそろ働き方と雇い方の設計思想そのものを変える時期に来ているということだ。
問題は壁そのものではない。
その壁を生み出している構造を、まだ変えきれていないことなのである。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役