接客を守るか、接客を磨くか
カスハラという言葉が広がった意味
最近、「カスハラ」という言葉を日本でもよく見かけるようになった。
カスタマーハラスメント。顧客による暴言、威圧、理不尽な要求、長時間拘束、過剰な謝罪要求などを指す言葉である。
この言葉が広がってきたこと自体は、私は必要な流れだと思っている。これまで多くの現場では、本来であれば受け入れる必要のない行為までが、「お客様対応」の一言で片づけられてきた。接客業に限らず、医療、介護、行政、コールセンター、配送など、さまざまな現場で働く人たちが、理不尽に耐えることを半ば当然のように求められてきた面がある。そうした状況に対して、「それは違う」と社会が言い始めたことには意味がある。
ただ一方で、私はこの言葉が広がるほどに、別の心配も強くなっている。
それは、カスハラ対策が「接客レベルを下げる理由」になってしまうことだ。
つまり、現場が萎縮し、「余計なことはしない方がいい」「深く関わらない方が安全だ」「最低限だけやっておけばいい」という空気になってしまう危険である。これは十分にあり得る。むしろ、表面的にカスハラ対策だけを進めようとすると、かなり高い確率でそうなるのではないかと思っている。
しかし本来、ここで考えるべきことは、接客を薄くすることではないはずだ。
むしろ逆で、自社はどんな人に価値を届けたいのかを明確にし、その人に対する接客レベルを上げることこそが、本質なのだと思う。
「お客様は神様です」が生んだ誤解
昔、「お客様は神様です」という言葉がよく使われた。
本来この言葉は、客が絶対に偉いという意味ではなく、提供する側の心構えを表すものだったのだろう。神前に立つような気持ちで、目の前の相手に真剣に向き合う。雑に仕事をせず、最善を尽くす。そういう覚悟の表現だったはずだ。
ところが現実には、この言葉は別の意味で広がった。
金を払う人が一番偉い。客は何を言ってもよい。店はどこまでも下がるべきだ。そうした空気が生まれ、現場に無理が積み重なっていった。そしてその反動として、今度はカスハラという言葉が出てきた。
ここで怖いのは、また振り子が反対側に振れすぎることだ。
以前は「お客様は神様」だった。
今度は「カスハラだから対応しない」になる。
どちらも極端である。
私は、経営において一番危険なのは、こういう“わかりやすい言葉”に飛びついて思考停止することだと思っている。現場は楽になるかもしれない。社内の説明もしやすいかもしれない。しかし、それで顧客から選ばれ続けるかというと、話は別だ。
顧客の最強の権利は「買わないこと」
なぜなら、顧客の最大の権利は「クレームを言うこと」ではないからである。
顧客の最強の権利は、買わないこと、来なくなることだ。
これは商売の本質だと思う。
どれだけ丁寧なマニュアルを作っても、どれだけ社内で理屈を整えても、顧客には離脱する自由がある。そして一度「ここは違うな」と思われたら、何も言わずに去っていく。企業にとって本当に怖いのは、大声で怒る客だけではない。むしろ、何も言わずに静かに離れていく客の方が、よほど怖い。
クレームには二種類ある
ただし、ここで誤解してはいけないのは、すべてのクレームを美化してはいけないということでもある。
前にも話したように、クレームには二種類あると思う。
一つは、改善を求めるクレームである。
サービスがもっと良くなってほしい、説明をきちんとしてほしい、約束を守ってほしい、品質を上げてほしい。そういう思いから出る声だ。厳しい言い方をされることはあっても、その中には論点がある。何をどうしてほしいのかが見える。企業にとっては耳が痛くても、改善のヒントになる声である。
もう一つは、反応を求めるクレームである。
問題解決よりも、相手を困らせたい、優位に立ちたい、長く関わりたい、あるいはただ構ってほしい。そうした感情が前面に出ているものだ。これは現場で働いたことがある人なら、感覚的によく分かると思う。話せば収まる人と、何をしても終わらない人は違う。前者は解決を求めているが、後者は反応を求めていることがある。
最近は社会的な孤独も増えていると言われる。人とのつながりが弱くなり、誰かに強く反応してもらうこと自体が目的化してしまう人もいるのかもしれない。もちろん、すべてをそこに結びつけるのは乱暴だが、少なくとも現代社会の空気が顧客行動に影響している面はあるだろう。だから企業は、クレームをすべて善意とも、すべて悪意とも決めつけてはいけない。重要なのは、その声の目的を見極めることである。
本当に必要なのは、自社の軸を明確にすること
そして、ここからが本題だ。
この見極めを本当にできるようにするには、結局のところ、自社の軸を明確にするしかないのだと思う。
自社にとって大切なのは、どんな人なのか。
その人は何を求めているのか。
自社は何のために存在しているのか。
何で選ばれたいのか。
この問いが曖昧な会社ほど、接客もぶれる。
ある時は「お客様だから」と言って我慢しすぎる。
ある時は「カスハラだから」と言って切りすぎる。
その場の感情や担当者次第で対応が変わる。
これが一番弱い。
逆に、軸が明確な会社は強い。
なぜなら、何を受け止め、何に線を引くかが決まるからだ。
ファーストフードの事例が教えてくれること
ここで思い出すのが、あるファーストフードの話である。
その会社では、顧客の声に対して、驚くほど明確な優先順位があるという。たとえば「不味い」「価格が高い」といった声には、基本的には大きく反応しない。もちろん無視するわけではないだろうが、それだけで会社全体が大きく動くことは少ない。
しかし、「遅い」というクレームには違う。
それが入ると、即座に経営会議レベルの話になるという。
なぜか。
その会社が顧客に選ばれる理由の一つが、提供スピードだからである。
これは非常に示唆的だ。
つまり、商売において大事なのは、「すべての声に同じ温度で反応すること」ではない。
自社が何で選ばれているのかを知り、その価値に直結する声に敏感になることなのである。
この事例は、カスハラの議論とも深くつながっていると思う。
結局、受けるべき声と、振り回されてはいけない声を分けるには、自社が何を提供している会社なのかが分かっていなければならない。どんな人に来てほしいのか、その人は何に価値を感じるのか、何を守ることが自社の存在意義なのか。そこがはっきりしていれば、判断できる。
逆に、そこが曖昧だと、すべての声に反応して疲弊するか、あるいは面倒な声を全部「カスハラ」で片づけるかのどちらかになりやすい。どちらも弱い。
接客はリーダーシップである
ここで、以前私が書いた「接客はリーダーシップだ」という話につながってくる。
私は、接客とは単に注文を取ることでも、感じよく振る舞うことでもないと思っている。
本来の接客とは、お客様を、来店時よりも少しでも良い状態にして帰っていただくことではないか。
そのために、相手が何を求めているのかを察する。
不安を感じていそうなら安心させる。
迷っているなら背中を押す。
気づいていない価値があるなら、そっと提案する。
場合によっては、相手が本当に必要としている方向へ導く。
つまり接客とは、相手の言うことをただ聞くことではない。
相手にとって価値ある方向へ働きかけることだ。
だから私は、接客はリーダーシップだと思うのである。
この視点に立つと、カスハラの問題の見え方も変わる。
もし接客を「相手の言うことをすべて受け入れるもの」と考えれば、現場は疲弊するしかない。
一方で、接客を「価値提供」だと考えるなら、話は変わる。
価値を高めるための要望には真摯に向き合う。
しかし、価値を毀損する行為には線を引く。
これは矛盾ではない。
むしろ一貫している。
なぜなら、それは本当に大切にしたい顧客体験を守るための判断だからだ。
弱い接客は、相手に振り回される。
強い接客は、相手を見ながら価値ある方向へ導く。
だからカスハラの時代に求められるのは、接客を薄くすることではない。
リーダーシップとしての接客を、もう一段高いレベルで実践することなのだと思う。
中小企業は「なんとなく接客」から卒業する時期に来ている
私は、日本の中小企業の多くが、これまでこの土台の部分を「なんとなく」でやってきたのではないかと思っている。もちろん、それでも回る時代はあった。人口が増えていた。市場も伸びていた。地域のつながりも強かった。顧客の選択肢も今ほど多くなかった。だから、社長の経験や現場の勘、昔からのやり方でも何とか回った。
しかし今は違う。
少子高齢化で人口は減る。
インバウンドはあるが流動的で安定しない。
人手も足りない。
顧客の価値観は多様化し、比較も簡単になった。
そして、嫌なら黙って去ればいい時代である。
こういう時代に「なんとなく接客」では通用しない。
むしろ、いち早くそこに気づいた会社が勝ち残るのだと思う。
つまり、カスハラ時代に本当に強い会社とは、接客を守りの対象としてだけ見る会社ではない。
接客を差別化の武器として再設計できる会社である。
どんな人に来てほしいのか。
その人は何を求めているのか。
自社は何のために存在しているのか。
その上で、何を守り、何を磨くのか。
ここまで言語化できた会社は強い。
リッツ・カールトンに学ぶ、誇りある接客
この意味で、私はリッツ・カールトンの考え方に共感する。
「お客様のためには何でもやる」。
しかし同時に、「我々は紳士淑女である」。
この二つを両立させているからだ。
ここには深い意味があると思う。
高い接客とは、へりくだることではない。
何でも言いなりになることでもない。
誇りを持って、相手にとって価値ある時間や体験をつくることだ。
そして、その前提には相互の敬意がある。
だからこそ、徹底した価値提供と、自尊心が両立する。
これからの差別化は、接客の質で決まる
日本の中小企業にとって、これから本当に必要なのはここではないか。
カスハラを理由に接客を薄くすることではない。
理不尽には線を引きながら、本当に大切にしたい顧客への接客レベルを上げること。
それこそが差別化になる。
価格競争では勝てない。
人材も潤沢ではない。
市場も広がりにくい。
だからこそ、どんな人に、どんな価値を、どんな接客で届けるかが、これまで以上に重要になる。
まとめ:本当に問われているのは、クレーム対応力ではない
結局のところ、カスハラの議論は単なるクレーム対策の話ではない。
それは、自社はどんな人に選ばれたい会社なのかを問う話なのだと思う。
接客を下げる会社は、静かに選ばれなくなる。
接客を磨く会社は、静かに支持を集めていく。
その分かれ道は、カスハラにどう対応するか以前に、
自社は何のために存在し、どんな人に価値を届けたいのかを、どこまで本気で考えているかにあるのだと思う。
カスハラの時代に本当に問われているのは、クレーム対応の技術ではない。
自社は何のために存在し、どんな人に、どんな価値を届けたいのか。
その問いに答えを持つ会社だけが、これからの時代に選ばれ続けるのだと思う。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役