飲食店のIT化は、何でも進めればいいわけではない
先日、美味しい焼き魚が食べたくなって、近くに新しくできた定食屋に行ってみた。
調べてみると、魚料理専門の店らしい。
メニューは焼き物、揚げ物、煮物、刺身など、魚料理のみ。魚に絞っているだけで、なんとなく期待が高まる。魚を看板にしている店には、それだけで専門性やこだわりを感じるからだ。
価格は安くはなかった。
ただ、品質が悪いわけでもない。今の時代としては普通か、少し高めかな、という印象だった。激安店ではない。だからこそ、こちらも無意識のうちに「ただ空腹を満たすだけではない何か」を期待していたのかもしれない。
店の運営はかなり省人化・IT化されていた。
注文はタブレット。配膳はしてくれるが、水やサービス品はセルフ。配膳時にはバーコード付きの伝票が渡され、会計もセルフ。店員さんはいるけれど、基本は人を介さずに店が回るように設計されている。
今どきらしい店だなと思った。
人手不足の時代であり、材料費も上がっている。国もIT化や省人化を後押ししている。飲食店の現場を考えれば、この流れ自体は自然なものだろう。むしろ、今後こういう店は確実に増えていくのだと思う。
では、その店は良くなかったのか。
そういうわけではない。
料理はまずくはなかった。
むしろ普通に美味しかったと思う。魚の質も悪くない。接客も失礼なわけではない。「お待たせしました」くらいの最低限の声かけはあった。
それでも、食べ終わったあとに、どこか味気なさが残った。
この感覚は少し不思議だった。
美味しくないわけではない。嫌な思いをしたわけでもない。なのに、「またぜひ来たい」と強く思う感じが弱い。
振り返ってみると、問題は言葉がなかったことではなく、店全体の空気や声のトーンに元気がなかったことなのだと思う。
飲食店の印象は、接客の文言そのもの以上に、
●声の張り
●表情
●目線
●店全体の活気
●人の気配
で決まることが多い。
今回の店も、必要なオペレーションはきちんとこなしていた。
でも、人の気配に“生きた感じ”が少し弱かった。
失礼ではない。けれど、食事の美味しさを一段押し上げるエネルギーが薄かった。そんな印象だった。
魚を売りにする店には、こちらが勝手に期待してしまうものがある。
威勢のよさとまでは言わなくても、少し明るい空気、活力、気持ちよく迎えられている感じ。そういうものがあるだけで、同じ焼き魚でも不思議と一段と美味しく感じる。
逆に、料理がきちんとしていても、店の空気が平坦だと、食後の印象も平坦になりやすい。
美味しいのに、なぜか心に残りにくい。
今回感じたのは、まさにそんな感覚だった。
退店時も象徴的だった。
会計はセルフなので、自分で済ませる。たまたま外にいた店員さんが挨拶してくれたが、タイミングによっては誰にも気づかれないまま店を出ることもありそうだった。
これも合理的ではある。
けれど、焼き魚定食を食べたあとに、無言に近い形で店を出る体験には、どこか寂しさが残る。
ここで思ったのは、この店は食事処というより、ただの飯屋に近づいていたのかもしれないということだ。
もちろん、飯屋が悪いわけではない。
さっと食べて、さっと出る。余計な接客がなく、気楽でいい。そういう店が好きな人もいるし、それはそれで立派な価値だと思う。
ただ、問題は店が何を売っているのかである。
牛丼屋や立ち食いそばのように、
早い、安い、必要十分、
という価値が中心の業態なら、セルフ化や省人化はむしろ満足度を高めることもある。
一方で、焼き魚定食のように、
ちゃんとしたものを食べたい、
少し体にいいものを食べたい、
丁寧な食事の時間を取りたい、
そんな期待が入りやすい業態では、ただ合理化すればいいとは限らない。
つまり、店に合ったIT化が必要なのだと思う。
IT化そのものが悪いわけではない。
注文がタブレットでもいい。会計がセルフでもいい。水がセルフでもいい。
問題なのは、その過程で店の魅力まで一緒に削ってしまうことだ。
効率化によって人件費を抑える。
オペレーションを安定させる。
回転率を上げる。
それ自体は正しい。
しかし、その店が本来持っていた良さ――
人の温度、ちょっとした活気、迎えられている感じ、また来たいと思う空気――
そこまで削ってしまったら、本末転倒である。
特に怖いのは、新規客は来ても、リピートが弱くなることだと思う。
新しい店だから一度行ってみよう、という人はいる。
広告や立地や物珍しさで来る人もいる。
でも、もう一度来るかどうかは、味だけでは決まらない。
「なんか良かった」
「またあの店に行きたい」
「気持ちよく食べられた」
そんな感情が残るかどうかで、リピートは決まる。
今回の店は、味は悪くなかった。
でも、感情が大きく動かなかった。
だから「また行ってもいいけれど、強く行きたいわけでもない」という位置に入ってしまう。
この“悪くはないが、強く支持されにくい店”というのが、経営的には一番怖いのではないかと思う。
安ければ納得できる。
圧倒的に美味しければ納得できる。
居心地が良ければ納得できる。
でも、そのどれもが中途半端だと、価格に対する納得感が弱くなる。
しかも、その店は混んでいるわけでもなく、客もまばらだった。
だから余計に考えてしまった。
この業態、この価格、この空気感で、今後どう評価されていくのだろうかと。
東京のような大都市では、こういう店が成立しやすいかもしれない。
人との接触を最小限にしたい人も多いし、効率や気楽さを重視する客層も厚い。
けれど、福岡ではどうだろう。
もちろん一概には言えない。
ただ、福岡の飲食にはまだ、親しみや人情や、ちょっとした声かけを好む空気が残っているようにも感じる。
だからこそ、福岡で飲食店をやるなら、IT化するにしても人の温度まで消してはいけないのではないかと思う。
省力化は必要だ。
効率化も必要だ。
人手不足の中で、昔と同じやり方をそのまま続けるのは難しい。
でも、それは「何でもかんでもIT化すればいい」という話ではない。
大事なのは、その店が何を提供しているのかを見極めることだ。
空腹を満たす場なのか。
食事の時間そのものに価値がある場なのか。
その違いによって、残すべき“人の役割”は変わってくる。
注文はタブレットでもいい。
会計はセルフでもいい。
ただ、入店時の一声が少し明るいだけで印象は変わる。
配膳時のトーンに活気があるだけで、美味しさは増す。
退店時にきちんと見送る空気があるだけで、店の記憶は変わる。
人件費を増やさなくても、温度は残せる。
むしろ、これからの時代に必要なのは、効率化しながらも、人の温度をどう設計するかなのだと思う。
今回の体験から感じたのは、そんなことだった。
これから、こういう店は増えていくだろう。
だからこそ、客としても経営者としても考えたい。
効率化によって残るものは何か。
そして、効率化によって失ってはいけないものは何か。
美味しいのに、なぜか味気ない。
その小さな違和感の中に、これからの飲食店経営の大きなヒントがあるように思う。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役