そしてこれからの時代、接客の意味はさらに問われていく
数年前のことだ。
先輩の中小企業診断士から、ある飲食店の接客指導をしてほしいという依頼を受けた。
最初にその話を聞いたとき、正直少し意外だった。
というのも、僕は飲食店の経営コンサルティングに関わった経験はそれなりにある。売上改善、利益構造の見直し、商品設計、価格戦略、人材育成、店舗運営の方向性づくり。そうしたことについては、多くの現場を見てきたし、実際に成果につながった案件も少なくない。
しかし一方で、自分自身が飲食店に勤めた経験はない。どこかの有名店で修業したこともなければ、接客マナーを体系的に学んだこともない。
だから最初は思った。
「僕に接客指導ですか?」と。
すると先輩は、あっさりこう言った。
「いや、あなたならやれると思うよ。」
不思議なもので、人は信頼されると腹が決まる。
その一言に背中を押されて、「では、やってみよう」と引き受けることにした。
実際にその店へ足を運んでみると、第一印象は悪くなかった。
むしろ、かなり良い店だと感じた。
スタッフの挨拶も自然で、変に作った感じがない。動きもよく見えているし、お客様への目配りもできている。店内の空気も重くない。料理や空間に対するこだわりも感じられた。少なくとも、いわゆる「基本的な接客ができていない店」ではなかった。
だからすぐに分かった。
この店が求めているのは、初歩的な接客指導ではない。
「笑顔を増やしましょう」とか、「挨拶はもっと大きな声で」とか、「お辞儀の角度は何度です」といった類の話ではないのだと。
必要なのは、もっと上のレイヤーだった。
接客の“やり方”ではなく、接客をどう捉えるかという“考え方”だった。
言い換えれば、テクニックではなく思想である。
そこで僕は、その場でいろいろな話をさせていただいた。
細かな所作の話ではなく、接客とは何かという本質的な話だ。
その中で、特に強く伝えたのが、
「接客はリーダーシップである」
ということだった。
この言葉を聞くと、少し大げさに感じる人もいるかもしれない。
接客というと、多くの人は「サービス」「おもてなし」「気遣い」「礼儀作法」といった言葉を思い浮かべる。もちろんそれらは大切だ。現場において欠かせない要素であることは間違いない。
ただ、僕は接客の本質はそこだけではないと思っている。
なぜなら、多くのお客様は、その店のことを店側以上には知らないからだ。
どの料理が一番その店らしいのか。
どういう順番で食べるとより美味しく感じられるのか。
どんな楽しみ方をすると満足度が上がるのか。
今日は何をおすすめすべきか。
そうしたことは、当然ながらお客様よりも店側のほうがよく分かっている。
しかし一方で、お客様が何に不安を感じているかは、最初から分かるとは限らない。
だからこそ接客とは、正解の言葉を一方的に投げることではない。
目配りで気づき、気配りで感じ、声をかけ、相手の反応を受けて心配りとして返すこと。
そのやり取りの中で、お客様は少しずつ安心していくのだと思う。
にもかかわらず、接客という仕事は時に誤解される。
「お客様に合わせること」
「お客様の言う通りにすること」
それが接客だと思われていることがある。
けれど、本当にそうだろうか。
もちろん、お客様への敬意は大前提だ。
横柄であっていいはずがないし、自分本位であっていいはずもない。
しかし、ただ相手に合わせるだけでは、プロとしての価値は生まれない。
なぜなら、相手は必ずしも最善の選択を知っているわけではないからだ。
だからこそ、接客には“導く力”が必要になる。
お客様を不快にさせず、押しつけがましくもなく、目配り・気配り・心配りを通して、その人に合ったより良い体験へと案内していく。
これこそが接客の価値であり、その本質はリーダーシップに近い。
僕はそのとき、こんな話をした。
接客とは、お客様が来店したときよりも、帰るときのほうが少しでも良い状態になっていることを目指す仕事ではないか、と。
来たときより、少し気分が良くなっている。
少し元気になっている。
少し笑顔になっている。
少し安心している。
少し大切にされたと感じている。
少し誰かに話したくなっている。
また来たいと思っている。
もし、そういう状態でお客様をお帰しすることができたら、その接客は成功だと思う。
逆に言えば、料理の味は悪くなかったのに、帰るときに何か引っかかるものが残る。そんな体験をさせてしまったら、それはやはりどこかで接客が価値を下げているということになる。
料理を運ぶこと自体は作業である。
注文を取ることも、レジを打つことも、オペレーションとして見れば業務だ。
しかし、お客様の気持ちの流れを読み、体験全体を整え、その店で過ごした時間をより良いものにすることは、単なる作業ではない。
そこには意思が必要だ。
観察力が必要だ。
判断力が必要だ。
そして何より、「この人に気持ちよく過ごして帰ってほしい」という姿勢が必要になる。
それはもう、立派なリーダーシップだと僕は思う。
オーナーはその話をとても真剣に聞いてくださった。
そして後から、印象的なことを言われた。
「実は、これまで何人も接客コンサルタントを入れてきたんです。でも、なかなか良い人に恵まれなかった。あなたみたいな人を待っていました。」
ありがたい言葉だった。
ただ、同時にいろいろ考えさせられもした。
接客の指導というと、多くの場合、形の話に寄りやすい。
笑顔、挨拶、姿勢、言葉遣い、クレーム対応の定型文。
もちろんそれらも必要だし、できていなければ整えなければならない。
しかし、形だけを整えても限界がある。
なぜなら、形は本質の表現であって、本質そのものではないからだ。
本当に良い接客をする人は、マニュアルをなぞっているようには見えない。
その人の中に、お客様に対する理解や姿勢があるから、自然と良い言葉が出て、良い間が生まれ、良い判断ができる。
逆に、中身が伴っていないと、どれだけ綺麗な所作をしても、どこか薄く見えてしまう。
お客様は、意外とそこを感じ取る。
接客とは、人間が人間に向き合う仕事だ。
だからこそ、表面の技術だけでは届かない。
その人がどういう視点でお客様を見ているのか。
何のためにその場に立っているのか。
自分の仕事をどう捉えているのか。
そういう“在り方”が、最後は接客の質を決めるのだと思う。
最初は商工会議所の専門家派遣という形で入った。
期間限定の支援である。
ところが、その後、半年間の顧問契約をいただくことになった。
さらにその半年が終わったあとも、追加で契約をいただいた。
もちろん、成果のすべてを自分の手柄にするつもりはない。
それは違う。
もともとその店には力があったし、オーナーにもスタッフにも素直さがあった。現場が変化を受け入れる姿勢を持っていたからこそ、言葉が浸透し、行動に移り、文化になっていったのだと思う。
ただ、その店は後に、ミシュランのビブグルマンに選ばれた。
その知らせを聞いたとき、僕はとても嬉しかった。
同時に、やはり接客とは単なる付加価値ではないのだと改めて感じた。
料理が美味しいのは大前提かもしれない。
でも、料理だけで人の記憶に残るとは限らない。
店全体の空気、迎えられ方、言葉のかけ方、すすめ方、タイミング、見送られ方。
そうした一つひとつが積み重なって、「また来たい」という感情になる。
人は、何があったかを正確には覚えていない。
どんな会話をしたか、何分待ったか、料理が何番目に出てきたか、細かな事実は時間とともに曖昧になる。
けれど、感情は残る。
なんだか居心地が良かった。
気分が良かった。
大切にされた気がした。
また来たいと思った。
逆に、少し雑に扱われた気がした。
料理は悪くないのに、後味が悪かった。
お客様が持ち帰るのは、事実よりもむしろ感情である。
だから接客とは、その場の満足度を上げるだけの仕事ではない。
未来の再来店率や口コミ、紹介、ブランドイメージにまで影響を与える重要な行為なのだ。
つまり、接客は現場業務であると同時に、立派なマーケティングでもある。
そんなことを考えていたとき、後になってジェイ・エイブラハムの
「マーケティングはリーダーシップである」
という言葉に触れた。
その瞬間、ふとあの店のことを思い出した。
ああ、自分があのとき伝えたかったことは、これだったのかもしれない、と。
マーケティングというと、集客の技術や販促の技法として捉えられがちだ。
広告、導線、コピー、SNS、キャンペーン。
もちろんそれらも大切だ。
しかし本質は、単に「売ること」ではない。
相手をより良い選択へと導くこと。
価値に気づいてもらうこと。
その商品やサービスによって、今より良い状態になれることを理解してもらうこと。
これが本来のマーケティングだとすれば、確かにそれはリーダーシップに近い。
接客も同じだ。
単にお客様の希望を聞いて応じるだけではない。
お客様自身がまだ気づいていない価値を見つけ、自然に案内し、より良い時間へと導いていく。
押しつけではなく、伴走である。
操作ではなく、導きである。
だからこそ、そこにはリーダーシップが必要になる。
そして、ここから先の時代は、この問いがさらに重要になっていくのだと思う。
今後、おそらく飲食店は二極化していく。
ひとつは、接客を強みにし、人がいるからこそ生まれる価値を磨いていく店。
もうひとつは、注文、会計、案内などをセルフ化・無人化し、ロボットやシステムで効率を高めていく店である。
これはどちらが正しい、どちらが間違っているという話ではない。
業態や立地、客層、価格帯、提供価値によって、最適な形は違う。
実際、すべての店が手厚い接客を目指す必要もないし、むしろ過剰な接客が煩わしく感じられる店もあるだろう。
効率性や省人化が求められる時代の中で、セルフ化や自動化は当然の流れでもある。
だが、だからこそ大事なのは、
それでも人が接客する意味は何か
を、改めて問い直すことだと思う。
注文を取るだけなら、タブレットでもできる。
会計をするだけなら、セルフレジでもできる。
料理を運ぶだけなら、配膳ロボットでも一部は代替できる。
空席案内や呼び出し対応も、システム化はどんどん進んでいくだろう。
では、人が現場に立つ意味は何なのか。
それは、単なる作業のためではない。
お客様の気持ちを察し、空気を読み、言葉を選び、その場に合った体験をつくるためだ。
マニュアル通りでは届かない安心感や、機械では表現しきれない温度を届けるためだ。
そして何より、お客様を来店時よりも少し良い状態で帰すためだ。
もし接客が、ただ業務をこなすことにとどまるなら、これから先、その多くは機械に置き換わっていくだろう。
しかし接客が、人にしかできない価値の創造であるならば、その価値はむしろこれからさらに際立っていくはずである。
だから、接客を重視する店ほど、
「なぜうちは人が接客するのか」
「接客によって何を提供したいのか」
「お客様をどんな状態で帰したいのか」
を、真剣に見直す必要がある。
人手不足だから接客を減らす。
コストが高いから効率化する。
それも経営判断として重要だ。
だが逆に、人を配置し、接客を残し、教育に時間とコストをかけるのであれば、その意味を曖昧にしてはならない。
接客とは何か。
それは作業ではない。
人が人に価値を届ける行為であり、相手をより良い状態へ導く営みである。
だからこそ、接客はリーダーシップなのだと思う。
この考え方は、飲食店に限らない。
営業もそうだろう。
コンサルティングもそうだろう。
医療も教育も、士業の仕事も同じだ。
目の前の相手は、その分野の専門家ではない。
だからこそ、こちらが正しく理解しやすい形で伝え、安心して選べるようにしなければならない。
相手の不安を減らし、迷いを整理し、前に進める状態をつくる。
これもまた、リーダーシップである。
「お客様は神様です」という言葉がある。
けれど、この言葉を誤解すると、現場は苦しくなる。
お客様にただ合わせることが正義になり、言われた通りにすることが良い接客だと思い込み、本来提供すべき価値を見失ってしまうことがある。
本当に大切なのは、へりくだることではない。
導くことだ。
もちろん傲慢になってはいけない。
しかし、媚びる必要もない。
敬意を持ちながら、相手のために最善を尽くす。
そのために必要な提案をし、必要な言葉をかけ、必要な空気をつくる。
それがプロの接客であり、プロの仕事だと思う。
接客とは、店の品格である。
接客とは、店の思想である。
接客とは、店の文化である。
そしてそれは、現場に立つ一人ひとりの在り方によってつくられていく。
飲食店での勤務経験がない自分が、接客について語る。
一見すると不思議なことのように見えるかもしれない。
けれど今振り返ると、経験の有無そのものよりも、本質をどう捉えるかのほうが大事だったのかもしれない。
接客を作業として見るのか。
それとも、人をより良い状態へ導く営みとして見るのか。
その見方一つで、話す内容は大きく変わる。
あのときの経験は、僕の中に強く残っている。
接客は、技術ではない。
もちろん技術でもある。
だが、技術だけでは足りない。
本質は、相手をより良い状態へ導くこと。
つまり、リーダーシップである。
そしてこれからの時代、その問いはさらに重くなる。
人がやるべき接客とは何か。
機械では代替できない価値とは何か。
接客を残す意味は何か。
飲食店が二極化していく時代だからこそ、
接客を大事にしたい店ほど、接客の意味を深く考えてほしい。
接客を単なる業務の延長としてではなく、店の価値を形づくる中心として捉え直してほしい。
相手を支配することではなく、
相手を見下すことでもなく、
相手に迎合することでもなく、
相手がより良い選択をできるように導くこと。
それが、接客であり、マーケティングであり、リーダーシップなのだろう。
そんなことを、ふと思い出した。

髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役