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千年の時を超える祈り:京都・奈良研修で受け取った「夢」の実現法

5年ぶりに、京都・奈良の研修の地を訪れました。

前回この地を訪れた5年前。私はまだ、インドでぼんやりと想起した夢の輪郭を、うまく言葉にできずにいました。夢はあっても具体化しておらず、ただ唱えるだけ。これでは「夢の発動装置」は機能しません。

しかし、あの日から夢は研鑽され、磨かれていきました。インドのサンチーにある第3ストゥーパ(仏塔)で再び祈りを捧げた時、私は強烈な体験をしました。まるで背後から光の矢を射抜かれたような感覚に襲われ、胸が熱くなり、涙が止まらなくなったのです。

そして、今回の研修。確かな手応えがありました。

神仏との対話:東寺、そして三十三間堂での不思議な体験

まず訪れたのは東寺(教王護国寺)。 立体曼荼羅の中心にいらっしゃる大日如来像の前に立った瞬間、いつもは静かに閉じられているその目が、薄目を開けたように感じました。

次に訪れた三十三間堂(蓮華王院本堂)。 千手観音坐像と千一体の観音立像が並ぶ圧巻の空間。その中で、私は不思議な声を聞きました。

340番の仏像、「明鏡尊(みょうきょうそん)」。 その仏像の前で、ふと「おい」と呼び止められたのです。

それは、とてもゆったりとした、独特の「間(ま)」を持った声でした。最初は気のせいかと思いました。しかし、改めて明鏡尊と目を合わせると、はっきりとこう言われた気がしたのです。

「お前の夢をいってみろ」

私は導かれるままに般若心経を唱え、そして、この4年間で磨き上げてきた自分の夢を読み上げました。

すると、明鏡尊は、先ほどと同じゆっくりとした、しかし確かな間で、こう応えてくださったように感じました。

「頑張れ」

法隆寺(法隆學問寺)の夢殿でも、私はこの夢をしっかりと伝えることができました。

私が神仏に誓った「三つの願い」

私が明鏡尊に伝え、神仏に誓った夢。それは、「日本を繋ぐ子供たちを元気にしていくこと」を核とした、三つの願いです。

「 私の願い事

❶ 世界で活躍する元気な中小企業社長を輩出すること。 企業価値が30倍以上に上がり、超優良企業となる。社員の手取り給与も増え、社員自らが考え行動し、自分を誇れるようになる。彼らが日本の未来を考え、笑顔が連鎖していく。そして、子供たちが親を慕い、親子関係が改善したと涙を流して喜ぶ人達が増えること。

❷ 財団法人を設立すること。 子供たちが食の面からも元気になる、「本物の食」の供給の仕組みを作る。国への補助金の提言が予想以上の高い成果をあげている。誠実な食糧の生産者が抱える後継者問題や経営難を救い、「本物」を作る会社が世の中でまっとうな評価を受けていること。

❸ 子供達の心を育む学校を設立すること。 阿蘇の大自然の美しい環境の中に、完全寮制のフリースクールを設立する。ここでは道徳、運命學、本物の歴史などを教える。登校拒否や身寄りがない子供、自虐で悩んでいた子供などの受け皿となり、この学校に入った子供たちが、人間が本来持つ優しい心を取り戻し、自分らしさを発見し、他を助け合い、成長していくこと。

これら三つの願いが、私の夢です。

師の言葉と「千年続くもの」の哲学

今回の研修でこの夢を誓った後、私の頭には、師匠からいただいた言葉がずっと残っていました。

「1000年続くものをつくれ。或いは100年、1000年忘れられない人になれ」

1000年続くものとは何か。 今回訪れた東寺、三十三間堂、東大寺、法隆寺。これら日本の重要文化財であり、世界を魅了し続ける建物群に、その答えがあると感じました。

これらの建造物の共通項は、「釘一つないこと」「ペンキが塗られていないこと」です。

天然素材をいかに生かすか。先人たちは知恵を絞り、考え抜き、技術を磨き、これらを創造しました。

研修中、たまたま買ってみた日本最古のお菓子といわれる「清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)」にも、同じ哲学が通底していました。原材料は、米粉、小麦粉、こし餡、天然香辛料(桂皮など7種)、ごま油のみ。保存料・添加物・着色料は一切なし。素材そのものの純度を守り抜いています。

ここに、「千年続くものの共通哲学」が見えてきます。

千年続くものの共通哲学

❶ 自然素材の純度100% ヒノキ100%の建物、金剛石の仏像。清浄歓喜団の素材。 特に日本の「木組み技術」は、釘を使わず、木材同士を精密に組み合わせます。 宮大工の世界には「塔組みは木組み、木組みは木のクセ組み、木のクセ組みは人の心組み」という言葉があるそうです。

❷ 不純物を加えない智慧 なぜ釘を使わないのか。釘は鉄であり、錆びれば建物が弱くなるからです。 なぜペンキを塗らないのか。化学物質は必ず劣化し、素材の寿命を縮めるからです。 人工的なものは「経年劣化」しますが、良質な自然素材は「時を経て味わいを増す」のです。

❸ 「引き算の美学」 余計なものを加えない。素材本来の力を信じる。 シンプルだからこそ強く、純粋だからこそ美しい。

❹ 未来へ託す「思い」と「祈り」 これらには、世の安寧や人々の幸福を願う強烈な「祈り」が込められています。 そして、「1000年先までこれを残す」という、時を超える「意志」が存在しています。

現代は「添加物」「化学物質」「合成素材」にあふれています。それらは短期的には便利で安価かもしれませんが、長期的には劣化し、環境を汚染し、修復不可能で使い捨てになります。

千年続くものが教えてくれること。 それは、「純度100%の素材は時を超え、不純物は劣化の原因となり、シンプルこそが最強であり、自然との調和こそが持続可能性の鍵である」ということです。

千年の智慧を「人」に当てはめる

では、この哲学を現代の私たち、個人の生き方に当てはめるとどうなるでしょうか。

天然の素材 = 天命を知る 木は木として、米は米として、その本来の性質を生かす。人も同じく、自分の本質(天命)を知り、それを無理に変えようとしない。ヒノキにはヒノキの強さがあり、桜には桜の美しさがあるように、人にもそれぞれの天与の才能があります。

不純物を加えない = ごまかさない生き方 添加物で味をごまかさないように、嘘をつかず、自分を飾らない。釘で無理に留めないように、力づくで物事を押し通さない。素材そのものを信じるとは、自分自身を信じることです。

精密であり思いが詰まっている = 命をかける 「木のクセ組みは人の心組み」。宮大工が一本一本の木の個性を見極め、ミリ単位の精密な仕事をする。それは祈りに近い集中力です。世の為、人の為、百年後の人の為に命をかける。

困難にぶつかっても無理に解決しようとしない 木組みは木の性質に逆らいません。無理に曲げず、適材適所に配置し、自然の力(重力、木の強度)を味方につけます。人生も同じ。流れに逆らわず、タイミングを待つこと(バイオリズムを知ること)が重要です。

楽な道に逃げず、技術を磨く 釘を使えば簡単ですが、それは安易な道。木組みは何十年もの修行が必要です。しかし、その本質的な技術こそが千年を支えます。近道はありません。

祈りながら待つ 清浄歓喜団は祈祷の供物。寺社は祈りの場。宮大工は祈るように木を組み、職人は祈るように仕事をします。そして「待つ」。木が育つのを何百年も待ち、技術が身につくのを何十年も待つ。時が来るのを焦らずに待つ。自然のリズムに身を委ねるのです。

現代社会は、インスタントな結果、効率、スピード、利益を優先し、添加物でごまかし、表面を飾ります。

しかし、千年の智慧は、「天命に従い、本質を大切にし、時間をかけて磨き、祈りを込め、自然と調和して生きる」ことを教えてくれます。

キーワードは、「天然・純粋・精密・祈り・待つ」です。

壮大な夢をどう実現するか?:「囚われるな」という神の声

これほど壮大な三つの夢を、どう実現するのか。 研修中、ふと頭の中に「夢の実現方法」がよぎった瞬間、強い声が響きました。

「囚われるな!」

夢をもつことは素晴らしい。 しかし、その実現方法を「自力で」無理矢理考える必要はない。それは単なる「囚われ」にすぎない、と神様は言います。

多くの人はすぐに実現方法を考え、そして「私には無理だ」とすぐに諦める。 確かに、壮大な夢の実現は難題です。しかし、それは「自力」での話。

「お前は、ここに何しに来た?俺様の力を借りに来たんじゃないのか?」

人間如きが考えることなど、神様の思し召し(みおぼしめし)から比べれば、浅知恵に過ぎません。

逆に、自分でやり方がわかっていることや、調べれば簡単にわかるようなちっぽけな夢を神様にお願いしても、「俺の出番じゃないだろ、自分でやれ」と呆れられるだけ。

神様の力を借りれば、限りなく夢は近くなると、私は信じます。 もし、できなければ、その時はその時。単に神様に認めてもらえなかっただけ。 しかし、志が高い夢ならば、たとえ私が倒れても、誰かがきっと引き継いでくれるはずです。

大事なのは、本当に叶えたい夢に向かって「努力しているのか」ということ。やり方を何も思いつかなければ、毎日祈るだけでもいい。誰かに夢を語るだけでもいい。誰かに否定されようと、諦めない。

夢を語ると、多くの人はこう聞きます。「どうやって実行するの?」と。そして、うまく答えられないと笑う。でも、それでいい。自分に負けるな!

そして、たまに真剣に聞いてくれる人がいる。そいつを探せ。それがお前の仲間だ。

祈り続けよ!諦めるな! 大切なのは自分の「思い」だ。

夢は、タイミングご縁、そして少しの勇気によって叶えられます。 私は、神様の声を信じます。

なぜ神様の声を信じるのか:39歳の「お告げ」

その理由は、私自身が過去に強烈な経験をしたからです。

私は39歳の時、日本ハムを辞めました。自分で言うのもなんですが、当時の私は超エリートでした。所属部署の成績は常に上位。全社で競う優秀部門賞も何度も受賞していました。特に私が東京に赴任してからは業績が大きく向上。バブル期に急拡大した組織で、誰もまとめられなかったチームを、私がリーダーとして配属され、僅か半年足らずでまとめあげたのです。その後、そのチームはしばらくの間、毎年2割程度の成長を見せました。

会社生活は順風満帆。会社も将来を期待してくれており、新設される有望部署の課長職のオファーさえいただいていました。

しかし、私は会社を辞めました。

元々独立志向はありましたが、日本ハムの自由でのびのびとやらせてくれる環境が好きで、この会社に一生を捧げてもいいとさえ思っていました。

あの日、あの出来事さえなければ。

会社に残るか、独立するか。本気で悩み、寝る前に出した結論は「会社に残る」でした。 しかし、その夜です。

「今すぐ会社をやめろ。そして中小企業を救え」 「お前はマーケティングがわかっている。マーケティングドクターになれ」

はっと、その言葉で目が覚めました。 すぐさまノートにその「お告げ」を書きました。「マーケティング?ドクターって医者?」聞き覚えがない言葉でしたが、私はなんだかワクワクしていました。まさに、夢心地でした。

朝になり、現実に引き戻されます。「やめる」と言っても、自分から電話したこともない親になんて言おうか……そう諦めかけた時、母親から電話がかかってきたのです。たわいもない内容でしたが、私は「奇跡だ」と思いました。その電話で、私は会社を辞めることを告げました。

連休明け、上司に辞意を伝えました。上司は驚き、何度か引き止められましたが、私の意思が固いとわかり、5ヶ月後、私は会社を辞めました。

私は会社が嫌いで辞めたのではありません。今でも当時の上司(現会長職)や仲間(現支社長)とは付き合いがあります。

そう考えると、やはり神様はいるのだな、と思います。

今考えると、この「お告げ」にも伏線がありました。 私の父は早くに他界し、母親が事業に失敗。私が知った時には高利貸しに手を染め、妹と弟が保証人になっていました。最終的に店と家を手放し、借金は解決したと思いきや、一部が残り、それが原因で家族は崩壊。30歳を過ぎた頃の私は人間不信になり、その原因を作った母親を恨んでいました。

しかし、時が過ぎ、会社で鶏インフルエンザ問題など様々な案件に触れるうち、大手企業と中小企業の「情報ギャップ」を痛感するようになりました。母の経営の勉強不足は否めない。しかし、何も母だけが悪いわけではない。そう感じるようになり、次第に「中小企業を守りたい」という気持ちが芽生えていたのです。

これら全てを、神様が仕組んでいたのだと思います。私はその声に答え、自分の道を決めた。そしてまずは中小企業診断士になることを目指したのです。

籠の中の鳥か、自由な道か

勿論、全てがうまくいったわけではありません。時々、神様は厳しい試練をお与えになります。ただし、絶対に乗り越えられない試練はなく、乗り越えた瞬間、ステージが変わる。ご褒美がもらえる。そんな経験を、私は何度かしてきました。

神様の声にもし答える勇気があの時なかったら、僕はどうなっていただろうか? 今も会社に残っている元同僚と話していると、彼らが「カゴの中にいる鳥」のような印象を受けることがあります。確かにその世界ではトップクラスであり、安全や生活の安定は保証されているでしょう。

しかし、今の自由で好きなことがやれる僕にとっては、求めるものが違う世界のように感じてしまうのです。

私にとっては、道は間違えていませんでした。東寺で、三十三間堂で、法隆寺で誓った三つの夢。これからも神様の声にしっかりと耳を傾け、この「天然・純粋・精密・祈り・待つ」という千年の智慧を胸に、一歩一歩進んでいこうと、決意を新たにしました。