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「ありえない」が「必然」に変わる時。映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』が私に教えてくれた、今を生きる意味

第1章: ~「もしも」の出会いはアマプラで~

いつものように、夜のリラックスタイムを求めてAmazonプライム・ビデオを漁っていた時のことだ。一つのタイトルが目に飛び込んできた。

『もしも徳川家康が総理大臣になったら』

思わず二度見した。 「いやいや、ありえないでしょ」 声に出してツッコミを入れてしまった。 コメディか? 『翔んで埼玉』や『テルマエ・ロマエ』の武内英樹監督作品。なるほど、その路線か。

主演は野村萬斎さん演じる徳川家康。そしてGACKT様の織田信長、竹中直人さんの豊臣秀吉…。キャストが豪華すぎて、もはや「お祭り」の様相だ。

「まあ、深く考えずに笑うにはちょうどいいかもな」

そんな軽い気持ちでボタンを押した。

だが、物語が進むにつれて、私はその認識が甘かったことを知る。 「えっ、AI?」 「ホログラムで復活?」 「最強内閣って…本気か?」

予想の斜め上を行く設定に最初は笑っていたはずが、いつしか画面に釘付けになっていた。

観終わった後、私の口から出た言葉は「……面白かった」だけではなかった。 「とても面白かった。そして、深く考えさせられた。

荒唐無稽な「もしも」の物語が、現代に生きる私たちへの強烈なメッセージを突きつけてくるとは、この時の私はまだ知らなかった。

第2章:作品概要 ~最強ヒーロー内閣、爆誕~

この物語の舞台は、私たちが経験したばかりの「現実」から始まる。

2020年、新型コロナウイルスのパンデミックにより、日本中が未曾有の混乱に陥っていた。医療は崩壊寸前、経済は麻痺し、人々は先の見えない不安に怯えていた。 そんな中、最悪の事態が発生する。なんと首相官邸でクラスターが発生し、現職の総理大臣が急死してしまうのだ。

国家存亡の危機。 残された政府関係者が最後の望みを託したのは、極秘裏に開発されていた最先端AI「IZUMO」だった。 そのプロジェクトとは、「歴史上の偉人たちをホログラムとして現代に復活させ、最強の内閣を作る」という、にわかには信じがたい計画だった。

こうして、AI「IZUMO」によって選ばれ、現代に「爆誕」したのが、日本史上最強のドリームチーム「最強内閣」である。

その顔ぶれが、とにかくすごい。

・内閣総理大臣:徳川家康(演:野村萬斎) 言わずと知れた江戸幕府の創始者。265年にわたる平和の礎を築いた「平和の創造者」。

・内閣官房長官:坂本龍馬(演:赤楚衛二) 幕末の風雲児。現代人と偉人たちの「架け橋」となる調整役。

・経済産業大臣:織田信長(演:GACKT) 既成概念を破壊する革命家。「楽市楽座」ばりの大胆な経済政策を打ち出す。

・財務大臣:豊臣秀吉(演:竹中直人) 「人たらし」の天才。その驚異的なプロデュース能力で、国家予算を握る。

これだけではない。 SNSを駆使して世論を動かす「尼将軍」北条政子(総務大臣)、『源氏物語』の作者であり冷静な分析眼を持つ紫式部(文部科学大臣)、米将軍として「享保の改革」を現代に蘇らせる徳川吉宗(農林水産大臣)、堪能な英語力で外交の舞台に立つ足利義満(外務大臣)、十七条の憲法を携えた聖徳太子(法務大臣)…。

まさに「オールスター」だ。 物語は、浜辺美波さん演じるテレビ局の若手記者・西村理沙の視点を通じて、この「ありえない内閣」の活躍と、それに振り回される現代日本を追っていく。

最初は「偉人ショー」として彼らをもてはやす国民。しかし、家康たちが打ち出す政策は、常に「長期的視点」に基づいている。目先の利益や人気取りに走らない彼らのやり方は、次第に現代人の価値観と衝突していく。

この荒唐無稽な設定が、逆に現代日本の政治的・社会的な閉塞感を痛烈に浮き彫りにしていく。エンターテインメントの皮を被った、恐ろしく鋭い社会風刺ムービーなのだ。

第3章:感想 ~「とても面白かった」の正体~

まず、純粋にエンターテインメントとして「とても面白い」。 武内監督の手腕が光る、コメディとシリアスの絶妙なバランスは見事としか言いようがない。

偉人たちが現代文明に触れた時のリアクションは爆笑必至だ。 北条政子が「エゴサ(エゴサーチ)」に勤しみ、SNSでの世論誘導を画策する姿。足利義満が流暢すぎる英語で各国首脳と渡り合うスマートさ。信長がドローンを飛ばし、経済特区をぶち上げる苛烈さ。

彼らは単なる「過去の人」ではない。卓越した知性と実行力を持つ彼らは、現代のツールを瞬時に理解し、最適化し、使いこなしていく。 特に、農政改革に乗り出す徳川吉宗のエピソードは痛快だ。現代の複雑な流通システムや既得権益に対し、「米将軍」がどう立ち向かうのか。その手腕は、現代の政治家が決して真似できない「覚悟」に満ちている。

しかし、この映画の「面白さ」は、それだけではない。 「なぜ、今、彼らなのか?」 AI「IZUMO」は、なぜ数多いる歴史上の人物から、家康を「総理」に選んだのか。

それは、現代の私たち(そして政治家たち)が失ってしまった「何か」を、彼らが持っているからに他ならない。

映画の中で、彼ら「偉人内閣」は、現代の政治家や官僚、そして私たち国民が直面する「事なかれ主義」「前例踏襲」「ポピュリズム(大衆迎合主義)」といった根深い病理と真っ向から対峙する。

彼らの判断基準は、常にシンプルだ。 「それが日本のためになるか」 「それが未来(子孫)のためになるか」

そこには、私利私欲や、次の選挙のための人気取りは一切ない。 観ていて胸がすくような思いがしたのは、私たちが心のどこかで、こうした「本物のリーダーシップ」を渇望しているからだろう。

だが、物語は単純な「ヒーロー待望論」では終わらない。 次第に明らかになるAI「IZUMO」の真の目的。そして、偉人たちの力をもってしても解決できない現代社会の「闇」。

「面白かった」という感情の後から、静かに、しかし重く問いかけてくるもの。 それこそが、私が「考えさせられた」と述べた理由だ。

第4章:考察 ~家康のリーダーシップと「信じること」~

この映画の核となるのは、やはり徳川家康のリーダーシップだ。 野村萬斎さんが演じる家康は、信長や秀吉のような派手さはない。むしろ地味で、慎重だ。 だが、その内面には、誰よりも強固な「信念」が息づいている。

パンフレットや関連資料にもあるように、家康のリーダーシップは「忍耐力と長期的視点」「俯瞰力とリスク管理」に象徴される。 彼は、目先の勝利に一喜一憂しない。常に戦いの「全体」を見渡し、2手先、3手先を読み、勝つべきタイミングまで「待つ」ことができる。

それは、彼が「265年続く平和な世」という、途方もない未来を本気で信じ、設計し、実行した人物だからだ。

ここで私は、この映画から受け取った一つ目の強烈なメッセージに行き着く。 それは、「信じることの大切さ」だ。

映画の中の家康は、未曾有の国難に対し、焦る現代人を尻目に、徹底的な情報収集と分析を命じる。 「なぜこうなったのか」 「本質的な問題はどこにあるのか」 小手先の対策ではなく、根本治療を目指す。

そのためには、短期的な国民の不満や、メディアからの批判を受け入れなければならない。支持率が下がるかもしれない。 だが、彼は動じない。 なぜなら、彼は「未来」を信じているからだ。今、正しい種を蒔けば、必ず未来で「平和」という花が咲くことを、彼は知っている。

そして、彼が信じたのは「未来」だけではない。 彼は「人」を信じた。 坂本龍馬を官房長官という調整役に据え、暴走しがちな信長や秀吉の手綱を握らせる。適材適所を見抜き、それぞれの能力を最大限に発揮させる。

これは、現代の私たちにとって、耳の痛い話でもある。 私たちは今、何を信じているだろうか? 未来を信じているか? 他人を信じているか? そして何より、自分自身を信じているか?

疑心暗鬼と分断が渦巻く現代社会において、家康の「どっしりと構え、信じて待つ」という姿勢は、リーダーシップの本質であると同時に、私たちが忘れてしまった「強さ」そのものだ。

AI「IZUMO」が家康を選んだ理由。 それは、彼が「日本史上最も長く続く平和」を信じ抜き、実現させた男だからだ。 このバラバラになった日本を再び一つにし、未来への希望を信じさせる力。それこそが、今、最も必要とされているものだと、AIは判断したのではないだろうか。

第5章:深層 ~私たちが「今、ここにいる」意味~

映画は、偉人たちの活躍を通して、私たち観客に「自分の頭で考えること」の重要性を説く。 最初は偉人たちを「救世主」と熱狂的に歓迎した国民が、次第に彼らのやり方に不満を抱き、反発し、そして最後には「自分たちの国の未来は、自分たちで決めるべきだ」と気づいていくプロセスが描かれる。

この映画が「考えさせられた」最大のポイントは、ここからだ。 私はこの作品から、さらに深い、根源的なメッセージを受け取った。

それは、「命の連鎖」と「今、ここにいることの必然性」だ。

「先祖が1人でもかければ自分たちは生まれていない」

映画では、徳川家康や織田信長といった「過去」の偉人たちが、ホログラムとはいえ「今」の私たちを救おうと奮闘する。 この構図自体が、私たちに一つの真実を突きつけている。

私たちは、「過去」と切り離されて存在しているのではない。 今、私たちがこうして生きているのは、徳川家康が生きたからであり、坂本龍馬が奔走したからであり、名もなき無数のご先祖様たちが、それぞれの時代を必死に生き抜き、命のバトンを繋いでくれたからだ。

父と母がいて、その両親(祖父母)がいて、そのまた両親がいて…。 この連鎖は、途方もない過去まで続いている。 そのうちの「たった一人」でも、違う人生を選んでいたら。出会うべき人と出会っていなかったら。困難な時代を生き抜けなかったら。

今、ここに「私」は存在しない。

そう考えると、私たちが今、ここに生きて存在しているという事実は、天文学的な確率の先に成り立つ、とんでもない「奇跡」なのだ。 私たちは、ご先祖様たちから託された「命のバトン」の、最先端のランナーなのである。

「この時代に生まれてきた意味」

では、なぜ私たちは、この時代に生まれてきたのか。 パンデミックを経験し、AIが急速に台頭し、価値観が大きく揺らぐ、この激動の時代に。

映画は、偉人たちを「召喚」することで、現代日本の問題を解決しようとした。 しかし、本当の答えはそこにはなかった。 偉人たちは、あくまで「触媒」であり、目覚めさせるべきは「現代に生きる私たち自身」だった。

私たちのご先祖様たちも、それぞれの時代で「国難」と呼べるような困難に直面してきたはずだ。戦乱、飢饉、疫病、大災害…。 その度に、彼らは悩み、苦しみ、それでも諦めずに立ち向かい、未来を信じて命を繋いできた。

だとしたら。 私たちがこの時代を選んで生まれてきたことにも、きっと「意味」がある。 この困難な時代だからこそ、私たちにしか果たせない役割があるのではないか。

ご先祖様たちがそうであったように、今度は私たちが、この時代の困難に立ち向かい、次の世代へ、より良い未来のバトンを渡す番なのだ。

「偶然ということはない、すべてが必然。」

私がこの映画をアマプラで見つけたこと。 軽い気持ちで再生し、こんなにも深く考えさせられていること。 そして、あなたが今、このブログを読んでいること。

それは、本当に「偶然」だろうか。

AI「IZUMO」が家康たちを選んだのは、偶然ではない。日本の歴史とデータを解析した上での「必然」だった。 私たちのご先祖様たちが結ばれてきたのも、偶然のようで、実は「必然」だったのかもしれない。

そう、「偶然ということはない、すべてが必然」なのだ。

私たちがこの時代に、この日本という国に、この身体を持って生まれてきたこと。 それら全てが、何か大きな「必然性」に基づいているとしたら。 私たちの人生の見え方は、180度変わってくる。

「胎内記憶」

この「必然性」というテーマは、私が以前から関心を寄せている「胎内記憶」という概念とも繋がってくる。 胎内記憶とは、文字通り、母親のお腹の中にいた時の記憶や、それ以前の「魂」としての記憶を指す言葉だ。

科学的に証明されているわけではない。しかし、多くの子供たちが「お空の上からママを選んできた」と語る事例がある。 もし、それが真実だとしたら。

私たちは、生まれてくる前に「この時代に、日本に生まれる」と自分自身で決め、さらには「この困難な時代を乗り越える」という使命すらも持って、生まれてきたのではないだろうか。

映画の中で、AIによって「召喚」された偉人たち。 彼らが過去からやってきたように、私たちもまた、「魂の世界」から、この時代に「必要」とされてやってきた「メッセンジャー」なのかもしれない。

そう考えると、私たちが今、ここで生きている意味は、とてつもなく重く、そして尊いものに思えてくる。

第6章:結論 ~「もしも」のバトンを受け取って~

映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』。 それは、「もしも」から始まる、最高に痛快なエンターテインメントだった。 と同時に、私たち一人ひとりの「存在意義」を揺さぶる、哲学的な問いを投げかける作品でもあった。

観終わった今、思う。 AIが偉人を召喚しなくても、私たちの内側には、すでに「答え」があるのだと。

私たちのDNAには、徳川家康の「忍耐力」も、織田信長の「革新性」も、豊臣秀吉の「実行力」も、そして数えきれないご先祖様たちの「生き抜く力」も、すべて刻み込まれている。

映画は私たちに問いかける。 「お前たちは、いつまでヒーローを待っているのだ?」 「お前たち自身が、この時代のヒーローになるのだ」と。

「自分の頭で考える」とは、周りに流されることではない。 それは、自分自身のルーツ(ご先祖様)に感謝し、自分が「今、ここにいる必然性」を受け入れ、そして「未来」に対して自分なりの覚悟を決めることだ。

「とても面白かった。そして深く考えさせられた。」

この映画との出会いが「偶然」でなく「必然」であったならば、私はこの「もしも」の物語から、確かなバトンを受け取らなければならない。

ご先祖様たちが繋いでくれたこの命を、この時代でどう燃やすのか。 何を信じ、何を次世代に残すのか。

『もしも徳川家康が総理大臣になったら』は、壮大な歴史コメディのふりをして、私たち全員に「総理大臣」としての当事者意識、すなわち「この国と未来の主人公は、あなた自身だ」という覚醒を促す、強烈な「目覚まし時計」だったのかもしれない。

もしもあなたが、この時代の「何か」を託された主人公だとしたら。 あなたは明日から、何を信じ、どう行動しますか?