福岡の経営コンサルタント|笑顔商店

20年ぶりの海へ。ブランクダイバーが沖縄・瀬良垣で再会した生命(いのち)の神秘と「自然への感動」

序章:20年という「空白」と、再び海へ向かう理由

「最後に潜ったのは、いつだっただろうか」

ふと、そんな思いが頭をよぎった。カレンダーをめくり、記憶の糸を手繰り寄せる。おそらく、20年近い歳月が流れている。かつてはレスキューダイバーのライセンスを取得し、ログブックには100本を超えるダイビングの記録が刻まれている。あの頃は、海こそが私の情熱の対象であり、日常からの逃避行であり、未知との遭遇の場だった。

しかし、人生の荒波は、時に人を海から遠ざける。仕事、生活、様々な優先順位の中で、重たいタンクを背負い、非日常の青い世界へ飛び込むという選択肢は、記憶の奥底へと追いやられていた。

だが、心の奥底で燃え続ける「海の火」は、消えてはいなかった。何がきっかけだったかは、もう定かではない。沖縄の青い海の写真だったかもしれないし、テレビで見た悠々と泳ぐウミガメの姿だったかもしれない。

「もう一度、あの感覚を味わいたい」

その思いは日増しに強くなり、ついに私は重い腰を上げた。選んだ場所は、沖縄。ブランクダイバーであることを正直に告げ、リカバリーダイビングを2本行うプログラムに申し込んだ。

当日。那覇空港に降り立つと、空はあいにくの雨模様だった。亜熱帯の湿った空気が肌にまとわりつく。「よりによって、この天気か…」。20年ぶりの門出としては、少々水を差された気分だった。だが、不思議と心は高ぶっていた。ダイバーにとって、陸(おか)の天気は二の次だ。海の中が穏やかであれば、それでいい。

第1章:信頼のバディ。ガイドの人柄が不安を溶かす

ブランクダイバーにとって、最も重要な要素は「ガイド」の存在だ。20年という空白は、ペーパードライバーが突然首都高を運転するようなもの。知識はあっても、体が覚えているかは別問題だ。万が一の時、絶対の信頼を置けるバディ(相棒)が必要不可T欠なのである。

今回お世話になるダイビングショップを選んだのには、理由があった。予約の段階で交わした数回のメール。その返信が、驚くほど丁寧で、こちらの不安を先回りして解消してくれるような温かみに満ちていたのだ。

「この方はきっと、親切で面倒見の良い方に違いない」

画面越しに伝わる誠実さに、私は半分賭けるような気持ちで予約を確定させた。

そして当日、港で対面したガイドさんは、まさに私の予想通りの人物だった。柔らかい笑顔と、落ち着いた物腰。経験に裏打ちされた自信と、ゲストへの配慮が滲み出ている。「この人なら大丈夫だ」。直感的にそう感じた。

機材のセッティングを終え、いよいよ核心に触れる質問が飛んできた。 「おもり、何kgつけますか?」

この質問は、ダイバーの経験値と現在のコンディションを探るバロメーターだ。私は一瞬言葉に詰まった。20年前の感覚など、到底思い出せない。 「うーん……(ウェットスーツの浮力を考えると)……8kgぐらい、ですかね?」 我ながら、あまりにも曖昧で、不安が丸出しの答えだった。

するとガイドさんは、私の体格と使用するスーツ、タンクを一瞥し、にこやかに言った。 「いや、たぶん3kgぐらいでいいでしょう。もし3kgで足らない場合、すぐに追加でおもりを渡せるように準備しておきますから」

「3kg!?」。私の予想の半分以下だ。正直、「そんなに軽くて潜れるのか?」という不安が顔に出ていたのだろう。ガイドさんは続けた。 「大丈夫、最初は少し浮き気味でも、呼吸でコントロールすれば沈めます。重すぎると、中性浮力を取るのが余計に難しくなりますからね」

その的確な判断と、私の不安を完全に受け止めた上での「万が一の準備」。この一連のやり取りだけで、私の緊張は半分ほど解けていた。信頼できるプロフェッショナルと共に海に入れる。これほど心強いことはない。

第2章:1本目。蘇る感覚と、ブランクの洗礼

小雨がぱらつく瀬良垣港から、ボートは白波を立てて沖へ向かった。10分ほど走っただろうか。エンジンがスローになり、ポイントに到着した。幸いなことに、私たちが海に入る頃には、雨はほとんど止んでいた。

ガイドさんとバディチェックを済ませ、重いタンクを背負ってボートの縁に立つ。マスクを装着し、レギュレーターを咥える。

「スーー、ハーー」

圧縮空気が肺を満たす、あの独特の機械音と乾いた空気の味。懐かしい。この音を聞くだけで、体中の細胞が「海だ」とざわめき始める。

ガイドさんの合図で、バックロールエントリー。海面に叩きつけられる衝撃と共に、青い世界が私を包んだ。

水面でBCD(浮力調整具)の空気を抜き、ゆっくりと潜行を開始する。ガイドさんの言った通り、3kgのおもりで体はスムーズに沈んでいく。水深5メートル、10メートル…。

「懐かしい」

その一言に尽きた。20年ぶりとは思えないほど、すんなりと海の世界に溶け込んでいく自分がいた。あいにくの天気だったにもかかわらず、さすがは沖縄の海だ。透明度は15mはあろうか、驚くほど透き通っている。水中に差し込む光が、ゆらゆらと海底の砂地を照らしていた。

目の前をツバメウオの群れがゆっくりと横切っていく。岩陰には、枯葉のように擬態したカミソリウオ。猛毒を持つツマジロオコゼが、獲物を待つようにじっとしている。ガイドさんが指差す先には、指先ほどの大きさしかないチビカエルアンコウがいた。

素晴らしい。これだ、これが見たかったんだ。

しかし、感動と興奮も束の間、私は「ブランクの壁」に直面していた。

「中性浮力をとるのに必死だった」

ダイビングの醍醐味は、水中で浮きも沈みもしない「中性浮力」の状態を保ち、無重力空間を散歩するように泳ぐことだ。だが、20年のブランクは想像以上に大きかった。

呼吸が少し乱れるだけで体が浮き上がり、慌てて息を吐くと今度は沈みすぎる。BCDの操作も、どこかぎこちない。手足を無駄にバタつかせ、体を安定させようともがいていた。

100本潜った経験も、レスキューダイバーの資格も、今は何の役にも立たない。頭では分かっているのに、体がついてこない。焦れば焦るほど呼吸は浅く、早くなる。

そして、その焦りが最悪の結果を招く。エアの消費が、異常に早いのだ。

しかし、楽しさと必死さで夢中になっていた私とは違い、プロの目は冷静だった。ガイドさんは、常に私のエアの残量を気にしてくれており、私のゲージが危険水域に近づくより一早く、その消費ペースの異常さに気づいてくれた。

(私がパニックになる前に)ガイドさんからそっと「浮上しよう」という合図が出された。安全を最優先した的確な判断だった。通常ならまだ十分に水中散歩を楽しめる時間だったが、1本目は安全マージンを持って早めに切り上げることになった。

ボートに這い上がると、どっと疲労感が押し寄せた。水中での高揚感と楽しさ半分、そして「まあ、20年のブランクなのだから、こんなものだろう」という、ある種の冷静な納得半分。これが20年ぶりの現実だった。

第3章:2本目。覚醒、そしてアオウミガメとの邂逅

船上で、機材を外しながらガイドさんが苦笑いを浮かべて口を開いた。 「いやー、エアーなくなるの早すぎでしたね!」

「やっぱりそうですよね」と私も笑い返す。その口調には、不思議と「あきれた」というようなトゲはなかった。むしろ、完全にブランクダイバー特有の緊張が原因だと見抜いた上での、明確な「課題」の提示である。リカバリーダイビングとして、これ以上ない的確なフィードバックだ。

1本目の潜行が3kgでスムーズすぎた感覚と、エア消費の早さが力みによるものだと自覚していた私は、ガイドさんにこう宣言した。 「2本目、おもり2kgでいきます」

ガイドさんは一瞬驚いたような顔をして、ニヤリと笑った。 「おー、チャレンジャーやねえ! 分かりました、やってみましょう」

1本目の結果(エア消費の早さ)を見れば、普通はより慎重になるところだろう。しかしガイドさんは、私の「感覚」と「挑戦」を尊重し、承諾してくれたのだ。この信頼が、私をさらにリラックスさせてくれた。

十分な休息を取り、ポイントを変えて2本目のエントリー。

BCDのエアを抜く。そして、ガイドさんの教え通り、肺の中の空気を「フーッ」と細く長く、完全に吐ききった。

するとどうだろう。あんなに不安だった体が、まるで吸い込まれるように、スーッと静かに沈んでいくではないか。3kgの時よりも、格段にスムーズだ。

水深10メートル。私は、自分が「覚醒」するのを感じた。

「中性浮力もばっちり取れ、余裕でまわりで見れた」

さっきまでの苦闘が嘘のようだ。体が水と一体化し、呼吸ひとつで自在に浮き沈みをコントロールできる。手足の無駄な動きが消え、最小限のフィンキックで水中を滑るように進める。

これだ。これこそがダイビングだ。

視界が一気に開けた。心に余裕が生まれた途那、海はまったく違う表情を見せ始めた。

その時だった。ガイドさんが前方を指差す。

視線の先には、大きなアオウミガメがいた。

悠々と、まるで太古からそこを泳いでいるかのように、優雅に水をかいて進んでいる。私たちは、その神々しい姿を、ただ息をのんで見つめていた。カメはこちらを意に介す様子もなく、ゆっくりと青の彼方へ消えていった。

「ああ、沖縄に来てよかった」

心の底から感動が湧き上がってきた。

余裕ができた目で見渡すと、海の「地形」も目に飛び込んできた。ごつごつした岩が作り出す、自然のアーチ。私たちはその下、海底トンネルをくぐり抜けた。上から差し込む光がカーテンのように揺らめき、幻想的な空間を作り出している。

1本目には見えていなかった、サンゴの繊細な色合い。岩陰に隠れる小さなエビ。すべてが生き生きと輝いて見えた。

「やはり海の中はいい。いつもワクワク感動でいっぱいだ」

時間いっぱいまで水中散歩を楽しみ、安全停止を経て水面へ。1本目とは比べ物にならないほどの満足感と、十分なエアの残量。

ボートに上がると、ガイドさんが満面の笑みで私を迎えてくれた。

「1本目とは見違えるほどでしたね! 中性浮力もとれていたし、エアの残量も十分だ。バッチリでしたよ!」

プロからのその一言が、失いかけていた自信を完全に取り戻してくれた。

終章:人が創れぬもの。海という「ミステリー」への感動

帰りのボートで、私は冷えた体に浴びる潮風を感じながら、深い思索にふけっていた。なぜ、私はこんなにも海に惹かれるのだろうか。

海の中は、生命(いのち)で満ち溢れている。そこは、私たちが普段暮らす陸上とはまったく異なる生態系、異なる物理法則が支配する世界だ。

私は常々感じていることがある。 「僕は人が作ったものにはあまり感動しない。が、自然が作り出したものにはとても感動してしまう」

どれほど精巧な高層ビルも、どれほど美しい芸術品も、私の心を根本から揺さぶることは少ない。それらは人間の知恵と技術の産物であり、どこか予測の範疇(はんちゅう)にあるからかもしれない。

しかし、自然が作り出したものはどうだ。

アオウミガメのあの完璧な流線型。数千年、数万年かけて波に削られた海底トンネルの造形。チビカエルアンコウの、生き抜くための知恵が詰まった擬態。これらはすべて、人間の計算や設計図を超越している。そこには、地球という星が持つ、圧倒的な時間の流れと生命の意志が凝縮されている。

「海の中は自然がいっぱい」。その当たり前の事実に、私は今回、改めて打ちのめされた。

そして何より、「海の中はミステリー」だ。

私たちが潜ったのは、ほんの数十メートルの深さ。しかし、海の大部分は、いまだ人類が到達していない暗黒の世界だ。私たちが知っている海洋生物など、氷山の一角に過ぎない。

この底知れぬ「わからなさ」こそが、私を惹きつけてやまない魅力の源泉なのだろう。

20年ぶりのダイビングは、単なるリハビリではなかった。それは、緊張と失敗、そして覚醒を経て、自分自身が「自然の一部」であることを再確認する儀式だった。そして、信頼できるガイドという「人」の温かさに支えられてこそ、その感動が最大化されることも知った。

雨上がりの沖縄の空の下、私は再び海に恋をした。このワクワクと感動が尽きない限り、私はきっと、この青く広大な「ミステリー」の懐(ふところ)に、何度も還っていくのだろう。

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髙栁 和浩 笑顔商店株式会社 代表取締役